善福寺公園めぐり

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トルコ15日間の旅 その1

しばらく本ブログを休んでいたが、6月20日(水)から7月4日(水)までの15日間、トルコを旅してきた。何回かに分けて旅の思い出を綴る。

ヨーロッパの都市を回る旅なら個人で行くときもあるが、今回行ったのは主としてトルコの遺跡めぐり。やはり団体で行くのが無難だろうとユーラシア旅行社主催の「トルコ物語~東西文明の十字路・トルコを究める~15日間」の旅に参加した。
参加メンバーは総勢21人。夫婦6組、兄と妹のきょうだい1組、男性の友人同士1組、あとは男性の1人参加。年齢層は60~70代ぐらい。
古代遺跡をめぐるのが中心の旅だし、15日間もかかるとなると、会社勤めとか仕事を持っている人では行きにくいのだろう。

参加者はみなさん旅慣れていて、心の穏やかな人たちばかり。15日間も一緒にいると自然と仲よくなれたし、旅の終りには別れるのが寂しいぐらいの気持ちになってしまった。

利用航空会社は当然のことながらターキッシュエアラインズ。20日午後9時25分発のTK53便で成田を立ち、イスタンブールにランディングしたのは翌21日午前2時53分。
国内線に乗り換えてアンカラ・エセンボア空港着は午前7時すぎ。

空港にはガイドのギョクハンさんが待っていた。トルコ人だが日本語が堪能で、冗談だって日本人以上に上手で、終始私たちを楽しませてくれた。この人が全行程を案内してくれる。交通手段も46人乗りの大型バスが全行程を運んでくれて、運転手はラマダンさん。通称・断食さん。
21人の参加だから1人で2人分の席にラクラク座れた。

到着後、さっそくアンカラ市内観光。
まず行ったのはトルコ建国の父、トルコ共和国初代大統領のアタチュルクが眠る霊廟。
アンカラ市内を見渡せる丘の上にあるが、軍の施設となっていて、入口とか建物の中で陸海軍の3人の衛兵が直立不動の姿勢で霊廟を守っている。たまたま衛兵の交替式を見ることができた。
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霊廟の近くで見かけたアタチュルクの肖像。
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続いてアナトリア文明博物館へ。
アナトリアとは今のトルコのことで、同博物館はアタチュルクの「ヒッタイト博物館をつくろう」との号令のもと隊商宿とバザールだった建物の修復・改造が始まり、ようやく2014年に全面的な修復を終えてオープンしたという。
なぜアタチュルクがヒッタイト博物館をつくろうと思い立ったかというと、紀元前1700年ごろに現在のトルコのほぼ全域を支配する一大国家を築いたのがヒッタイト帝国だからだ。
地理的に三方を黒海エーゲ海、地中海に囲まれたトルコは東西の文明がぶつかり合い、また融合する場所だった。ヒッタイト滅亡後は古代ギリシャ・ローマ、ビザンチン帝国、セルジューク朝オスマン帝国などが興亡を繰り返したが、第一次大戦では敗戦国となり、欧米列強による分割統治の危機に直面した。そのときトルコ革命の先頭に立ち、独立を守ってトルコ共和国の初代大統領に就いたのがアタチュルクだった。
彼の指導のもと、トルコはほかのイスラム世界とは一線を画す独自の国家路線を歩み始める。宗教と政治を分離しなければトルコの発展はないと政教分離世俗主義)を断行。憲法からイスラム教を国教とする条文を削除し、トルコ語にはアラビア文字にかわってアルファベットを当てた。また、一夫多妻制を禁止して1934年には女性の参政権を実現させている。この点では日本なんかよりずっと進んでいる。
彼は、イスラムの教えをただ守るだけではだめで、自らが勉強しなければいけない、といっていて、自分たちの国の原点ともいえるヒッタイトの歴史から学ぼうとヒッタイト博物館をつくろうとしたのだ。
したがって、アナトリア文明博物館はヒッタイトの遺跡からの出土品が中心となっている。

まずはアナトリア先史時代のコレクション。
アナトリア南部のチュタルホユック遺跡から出土したBC6000年ごろの女神像。
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この女神はキュベレといって、このころからアナトリアで広く崇拝されていたといわれる。新石器時代のころから崇拝されていた大地母神の系譜を引いていて、肥沃な大地、谷や山、野生動物(特にライオンとミツバチ)を体現しているという。
豊満な体は豊穣をあらわしているのか、両脇にライオンを従えた玉座において出産しようとしている姿をあらわしている。

キュベレ女神像はほかにもあり、アナトリア文明博物館でワタシ的にイチオシなのはやはりBC6~7世紀ごろの女神像。
女神の右には笛を吹く楽師が、左には竪琴を弾く楽師が寄り添っている。
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音楽は祭祀の中でも重要な役割を果たしていたのだろう。
一見すると日本の菩薩像のようにも見える。近づいてよーく見ると、まるで陶酔しているような悦楽の顔のようでもある。
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2人の楽師は一心に楽器を奏でている。
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つぎがいよいよヒッタイト帝国があったヤズルカヤやハットゥシャからの出土品。いずれも3000年以上の風雪に耐えたもので、現地にはレプリカがあり、オリジナルはこの博物館で見ることができる。
王権のシンボルであり、魔除けでもあったのだろう、ライオン像。
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十二神の行進を描いたレリーフ
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スフィンクス像。
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戦車に乗った戦士のレリーフ
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ほかにも紹介したいものは山ほどあるが省略。
東西世界のいろんな空気を吸いながら、文明がどうやって育まれていったのかを知る上で、アナトリア文明博物館は必見の博物館だ。

昼食はアンカラ市内のレストランで。
ビールはエフェス。だいたいどこでもこのビールが出た。ピルスナービールなので日本人の飲み慣れた味。
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料理はまずレンズ豆のスープにサラダ。
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メーンはギョズレメ(トルコ風クレープ)。クシ焼きしたケバブを巻いて食べる。ご飯は付け合わせ。
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この日は一皿ずつ出たが、だいたいは自分で好きなものを取ってきて食べるビュッフェ方式。新鮮野菜や各種オリーブ、チーズ、ヨーグルトなどが豊富にあったので、いつも完食。付け合わせのご飯も味がついていておいしかった。
(最後の日の夜の食事が今までの旅行史上最悪のまずさだった意外は合格点)
デザートも大好きなスイカが多かった(旅に出るとなぜか食後のスイカに癒される)。

食後はアンカラの南西100キロほどのところにあるゴルディオン遺跡へ。
ヒッタイト帝国の崩壊後、紀元前750年ごろ、フリギア人によって築かれた王国。フリギア人はおそらくヨーロッパから移住してきた人々で、王国を支配したミダス王の墓はまるで小山のよう。
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ヨーロッパと関係が深いだけに、ミダス王の話はギリシャ神話にも登場していて、触れたものをすべて黄金に変える力があったんだとか。また、イソップ童話に出てくる「王様の耳はロバの耳」のモデルもミダス王。
笛の名手マルシュアスが吹く葦笛(牧神パンの葦笛との説もある)と音楽神アポロンの竪琴を聴き比べて、ミダス王はマルシュアスに軍配を上げたところ、怒ったアポロンはミダス王の耳をロバの耳に変えてしまったという。
この話はあくまで作り話だろうが、墓に埋葬されていたミダス王の遺骸を調べたら、たしかに耳の形がおかしかったという。

盛り土した墓の中へトンネルをくぐって行くと、玄室は木材でつくられていて今も現存している。建造年代はBC740年と推定されていて、木造の玄室としては世界最古の建造物という。材質は赤松で、虫よけのためだろうか、石灰で覆われていたという。
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墓の向かいには博物館があり、ヒョウのようなレリーフ
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翼を持つ人面獣身像。
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夕刻、アンカラのホテルに到着し、第2日目は終わる。