トルコの旅11日目の6月30日、チャナッカレのホテルの前は海。
ダーダネルス海峡を挟んで、こちらのアジア側と向こうのヨーロッパ側とは目と鼻の先だ。
本日は、チャナッカレからオスマン朝誕生の地ブルサを経て、フェリーでマルマラ海を渡って今回の旅行で訪ねる最後の都市であるイスタンブールへ。
ダーダネルス海峡を挟んで、こちらのアジア側と向こうのヨーロッパ側とは目と鼻の先だ。
本日は、チャナッカレからオスマン朝誕生の地ブルサを経て、フェリーでマルマラ海を渡って今回の旅行で訪ねる最後の都市であるイスタンブールへ。
ブルサはオスマン帝国の最初の首都となった場所でもあり、現在でも重要なスルタンの霊廟が数多く保存されている。人口も多く、トルコ第4の都市。
オスマン時代につくられたアーチ橋、ウルガンドゥ橋。橋の両脇に建物が並んでいて、商店街になっている。
1442年に建造され、橋上に31軒の店舗と礼拝所が1つあったが、地震やその後の戦争によって大きなダメージを受けた。2005年に芸術家たちの橋として再生され、手工芸品の店舗やカフェがオープンしている。
橋の上を歩いていると、建物の中から日本の尺八のような響き。
のぞいてみるとコンヤのメブラーナ霊廟で見たネイという葦笛をみんなで吹いていた。どうやらここはネイを教える教室らしい。
写真を撮っていいかと尋ねるとオーケーというので練習風景を撮影させてもらう。
2、3枚シャッター切って出ていくと、あとから男性が追いかけてきて、「よかったら先生の演奏を聞いていかないか」という。
大喜びで戻って演奏を聞く。
さすが先生の演奏はすばらしく、静かで落ち着いたネイの響きだった。
ネイはダブルリードの楽器で、吹くのは相当難しく、満足に音が出せるまでには何カ月もの練習が必要と聞いた。
ネイとはもともとペルシャ語で葦を意味する言葉で、トルコ以外でもイラン、エジプトなどのイスラム圏で似た形状の楽器が使われているという。
オスマン時代につくられたアーチ橋、ウルガンドゥ橋。橋の両脇に建物が並んでいて、商店街になっている。
1442年に建造され、橋上に31軒の店舗と礼拝所が1つあったが、地震やその後の戦争によって大きなダメージを受けた。2005年に芸術家たちの橋として再生され、手工芸品の店舗やカフェがオープンしている。
橋の上を歩いていると、建物の中から日本の尺八のような響き。
のぞいてみるとコンヤのメブラーナ霊廟で見たネイという葦笛をみんなで吹いていた。どうやらここはネイを教える教室らしい。
写真を撮っていいかと尋ねるとオーケーというので練習風景を撮影させてもらう。
2、3枚シャッター切って出ていくと、あとから男性が追いかけてきて、「よかったら先生の演奏を聞いていかないか」という。
大喜びで戻って演奏を聞く。
さすが先生の演奏はすばらしく、静かで落ち着いたネイの響きだった。
ネイはダブルリードの楽器で、吹くのは相当難しく、満足に音が出せるまでには何カ月もの練習が必要と聞いた。
ネイとはもともとペルシャ語で葦を意味する言葉で、トルコ以外でもイラン、エジプトなどのイスラム圏で似た形状の楽器が使われているという。
ネイはイスラム神秘主義(スースィズム)の一派、メヴレヴィー教団の修行に欠かせない楽器だった。
正統派イスラムでは教義上音楽を好ましいものとはみなさないが、イスラム神秘主義では音楽や舞踊を宗教的な修行の一部とみなしていて、音楽は神との合一をはかる重要な手段だった。
ことにメヴレヴィー教団の特色は、音楽に合わせて集団でクルクルと回旋するセマーという儀式を行うことで、このときに欠かせないのがネイだ。
ネイの響きに合わせてクルクル回旋することで忘我の境地となり、神と一体になるというわけだ。
正統派イスラムでは教義上音楽を好ましいものとはみなさないが、イスラム神秘主義では音楽や舞踊を宗教的な修行の一部とみなしていて、音楽は神との合一をはかる重要な手段だった。
ことにメヴレヴィー教団の特色は、音楽に合わせて集団でクルクルと回旋するセマーという儀式を行うことで、このときに欠かせないのがネイだ。
ネイの響きに合わせてクルクル回旋することで忘我の境地となり、神と一体になるというわけだ。
メヴレヴィー教団以前でも、笛の音は宗教儀式に必須のものだったに違いない。
人々は天に神がいると信じ、そこから生まれたのがアニミズムだ。
豊作も飢饉も自然災害も神さまの気持ち次第。このとき、祈りや願いを通じて神と交信する人をシャーマンというが、シャーマンは歌や踊りで恍惚のトランス状態に入り、それで神や精霊と交わり、お告げを授かったこともあっただろう。
人々は天に神がいると信じ、そこから生まれたのがアニミズムだ。
豊作も飢饉も自然災害も神さまの気持ち次第。このとき、祈りや願いを通じて神と交信する人をシャーマンというが、シャーマンは歌や踊りで恍惚のトランス状態に入り、それで神や精霊と交わり、お告げを授かったこともあっただろう。
葦笛や竪琴のような弦楽器は古代ギリシャの物語にもよく登場する。
アンカラのアナトリア文明博物館にある地母神キュベレの像は、両脇に笛を吹く人、竪琴を弾く人を従えて、恍惚とした表情をしていた。
最初の葦笛は古代ギリシャの「アウロス」という笛といわれる。
双管の縦笛で、リードが2枚あるダブルリードの楽器だ。リードとは英語で「葦」の意味。
それがトルコに伝わって「ネイ」となったのかもしれない。
ギリシャ(あるいはエジプト)発祥のダブルリードの笛は東西に伝搬し、日本では篳篥(ひちりき)。西域から中国(亀茲=クチャ)を経て日本に伝わったといわれる。
アンカラのアナトリア文明博物館にある地母神キュベレの像は、両脇に笛を吹く人、竪琴を弾く人を従えて、恍惚とした表情をしていた。
最初の葦笛は古代ギリシャの「アウロス」という笛といわれる。
双管の縦笛で、リードが2枚あるダブルリードの楽器だ。リードとは英語で「葦」の意味。
それがトルコに伝わって「ネイ」となったのかもしれない。
ギリシャ(あるいはエジプト)発祥のダブルリードの笛は東西に伝搬し、日本では篳篥(ひちりき)。西域から中国(亀茲=クチャ)を経て日本に伝わったといわれる。
一方、トルコにはズルナというやはりダブルリードの木管楽器がある。古代ペルシャが起源とされ、オーボエの元祖といわれる。
ズルナはメフテルというトルコ軍楽に不可欠の楽器でチャルメラのようなけたたましい音がする。
トルコのメフテルで日本でも有名な曲は「ジュッディン・デデン」という曲で、「祖父も父も」という意味。昔NHKで放送された向田邦子脚本、和田勉演出のドラマ「阿修羅のごとく」のテーマ曲となった。
ズルナはヨーロッパに伝搬してチャルメラになったともいう。
ズルナの材料はアンズ(アプリコット)だが、リードに葦を使っていて、葦の意味のラテン語calamus を語源としてチャラメラ(charamela)と呼ばれ、チャルメラとなった。
ズルナはメフテルというトルコ軍楽に不可欠の楽器でチャルメラのようなけたたましい音がする。
トルコのメフテルで日本でも有名な曲は「ジュッディン・デデン」という曲で、「祖父も父も」という意味。昔NHKで放送された向田邦子脚本、和田勉演出のドラマ「阿修羅のごとく」のテーマ曲となった。
ズルナはヨーロッパに伝搬してチャルメラになったともいう。
ズルナの材料はアンズ(アプリコット)だが、リードに葦を使っていて、葦の意味のラテン語calamus を語源としてチャラメラ(charamela)と呼ばれ、チャルメラとなった。
そういえば以前、アルメニアを旅行したとき、やはりアンズの木でつくった「ドゥドゥク」というダブルリードの木管楽器の演奏を聴いた。しかし、こちらは深く重い響きで、チャルメラとは大違いだった。どうやら、リードの大きさや穴の数の違いで異なる音色になるらしかった。
メフメト1世の廟であるイシェル・ツルベ。
ターコイズブルーに輝くタイルの外壁が美しい。
中に安置された棺や館内の装飾もブルー一色だった。
赤レンガ屋根の家並み。
ブルサを代表するモスク、ウル・ジャーミィ。
特に建物内部のアートな文字であるカリグラフィーがすばらしい。
何てかいてあるかはわからないが「美しい」のひとこと。
上は剣、下はまるで花びらのような文字。
猛獣の顔?
これも芸術だ!
ヤロワ港からカーフェリーに乗ってイスタンブールへ。
波はなく、静かな航行。1時間20分ほどしてイェニカプ港に到着。
到着直前に見えてきたヨーロッパ側のブルーモスクとアヤソフィア。
イスタンブール到着を寿ぎ、夜の食事で飲んだワイン。
ターコイズブルーに輝くタイルの外壁が美しい。
中に安置された棺や館内の装飾もブルー一色だった。
赤レンガ屋根の家並み。
ブルサを代表するモスク、ウル・ジャーミィ。
特に建物内部のアートな文字であるカリグラフィーがすばらしい。
何てかいてあるかはわからないが「美しい」のひとこと。
上は剣、下はまるで花びらのような文字。
猛獣の顔?
これも芸術だ!
ヤロワ港からカーフェリーに乗ってイスタンブールへ。
波はなく、静かな航行。1時間20分ほどしてイェニカプ港に到着。
到着直前に見えてきたヨーロッパ側のブルーモスクとアヤソフィア。
イスタンブール到着を寿ぎ、夜の食事で飲んだワイン。