カリスマ的人気のヴァイオリニスト石田泰尚が6カ月続けて舞台に立つ「石田泰尚スペシャル・熱狂の夜・第二章」の第6夜「コンチェルト(協奏曲)」を、JR川崎駅前のミューザ川崎シンフォニーホールで聴く。
6月から毎月1夜、無伴奏から始まり、デュオ、トリオ、カルテット、アンサンブルと共演の輪を広げていって、きのうは最終回のコンチェルト。
出演はヴァイオリン石田泰尚、管弦楽は中田延亮指揮による神奈川フィルハーモニー管弦楽団。石田は神奈川フィルの首席ソロ・コンサートマスターでもある。
演奏曲目は、エルネスト・ブロッホ「ヴァイオリン協奏曲」、フィリップ・グラス「ヴァイオリン協奏曲第2番“アメリカの四季”」。
2曲とも、まさしく“熱狂”したくなるような曲であり演奏だった。
ブロッホの「ヴァイオリン協奏曲」は、「民族的な旋律やリズムがとってもかっこいい」と石田が以前からぜひ演奏したいと思っていた作品という。
1938年12月、ヨゼフ・シゲティのヴァイオリン独奏、ミトロプーロス指揮、クリーブランド管弦楽団により初演されたが、日本での初演は何十年か前に東京フィルの定期演奏会で数住岸子のヴァイオリン独奏によるもので、それ以後、ほとんど忘れられた曲だったという。
それが、「学生のころからブロッホが大好きだった」という石田のたっての願いで2019年5月の神奈川フィル定期で石田のヴァイオリン独奏により演奏され、今回、彼が「熱狂の夜」の掉尾(ちょうび)を飾る曲のひとつとして選んだのがこの曲だった。
途中、日本的というか東洋的な響きもあって、神秘さと明るさがない交ぜになったような曲だった。
座ったのが舞台真後ろの席で、演奏者は後ろ姿しか見えないが、指揮の中田延亮はちょうど正面で、指揮ぶりがつぶさに見られて楽しかった。
演奏前の各パートの楽譜。
中には楽譜に細かく書き込みをしている人がいた。
おそらく楽譜は借り物だからコピーしたのに書き込んだのだろう。勉強熱心さ感心した。
こちらは2曲目のグラスの「アメリカの四季」のハープシコードの楽譜かな?
その2曲目のグラス「ヴァイオリン協奏曲第2番“アメリカの四季”」がとても感動的で、今年聴いたクラシックの曲の中で一番よくて、胸揺すぶられ、終わったら思わず「ブラボー!」と叫んでしまった。
何がよかったかといえば、ミニマル音楽の大家と呼ばれるグラスの曲とあって、何度も音のパターンの反復を繰り返すミニマリズムがすばらしかった。
ミニマル音楽とは、音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる音楽、といわれるが、聴いていて思ったのは、単なる反復ではないということだった。同じパターンを繰り返しているように見えて、そこには変化があり、聴く者の心を捉えるものがあった。
聴いていてさらに連想したのが演劇だった。なぜか、この曲はサミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」ではないか、と思った。ゴドー待っている2人の男が、いつ来るともわからない、会ったこともないゴドーを待っていて、何日も同じ会話を繰り返しながら待っている、そんな話だが、現代演劇の傑作のひとつだ。
その「ゴドーを待ちながら」とそっくりだと思ったのはなぜか?
気になって家に帰ってから調べたら、彼はベケットの影響を受けていた。
20代のころの1960年代、フルブライト奨学金を受けてパリで音楽の勉強をしていたとき、たまたま隣に住んでいたのがベケットだった。グラスは音楽仲間と一緒にベケットのために曲をつくり始めて、グラスはその後数年にわたってベケットのために9作品を作曲したという。
「それが自分の音楽だと悟ったのは、ベケットのために作曲している間のことだった」とグラスは回想している。
ベケットといえば彼は日本の能や俳句の精神にも精通していたことで知られる。ベケットはモンタージュ理論の映画監督エイゼンシュタインに心酔していて、その技法を学びとろうとしたら、エイゼンシュタインがヒントにしていたのが俳句や浮世絵だったという。
ひょっとして、日本の能や俳句、浮世絵のシンプルさがグラスの音楽につながったのかもしれないが、いずれにしろ、演劇と音楽の融合がそこにあったのは間違いない。
もちろん、きのうの石田の技巧と感性もすばらしかった。
きのうのアンコール曲は、ヴィヴァルディの「四季」より”冬”第2楽章、マイケル・ジャクソン「Beat It」、山田耕筰「からたちの花」。
ヴィヴァルディの「四季」はグラスの「アメリカの四季」がヴィヴァルディに対抗したアメリカ版「四季」だったので、そのお返しか。「からたちの花」でしっとりと終わって、粋な終わり方。