善福寺公園めぐり

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ISの産みの親の一人は日本政府か

バングラデシュでのテロ事件では日本人7人の尊い命が奪われた。
イスラム教を信奉する襲撃犯に対し「日本人だ、助けて」と訴えても容赦なく殺害されたという。

この事件と関連して7月6日の朝日新聞に気になるニュースが載っていた。
イラク戦争の政府対応検証 今なぜ必要?」という記事だ。
アメリカが主導した2003年のイラク戦争から10年以上がたったが、日本政府の戦争支持は正しかったかを検証する市民グループ公聴会が始まっているという。

そういえば6日には、イラク戦争への参戦に至る経緯や根拠を検証してきたイギリスの独立調査委員会が、戦争の大義とされた大量破壊兵器の存在を証明できないまま参戦に踏み切ったとして、当時のブレア政権の判断を批判する約260万語にも及ぶ報告書をまとめ、発表したばかりだ。
アメリカでも、独立調査委員会が2005年に大量破壊兵器の存在をめぐる米情報機関の判断は完全に間違っていたとする報告書を公表している。
また、オランダも、やはり独立調査委員会が2010年に「イラク侵攻は国際法上の権限がなかった」とする500ページにのぼる報告書を公表している。

アメリカ支持をいち早く表明し、多くの国民の反対を押し切ってイラク自衛隊を送った日本はどうかというと、2012年に外務省がたった4ページの検証結果を発表し、大量破壊兵器が確認できなかったことを「厳粛に受け止める」としただけだった。

イラク戦争は03年3月、大量破壊兵器を持っているとして米英軍がイラクに侵攻したことにより勃発した。日本の当時の小泉首相はいち早くアメリカ支持を打ち出し、イラク自衛隊を派遣した。
国会で「イラク大量破壊兵器が存在する証拠はあるのか?」と野党から質問されたとき、小泉首相は「存在しないという証拠もないじゃないか」と詭弁を弄したものだった。 
しかし、結局のところ、大量破壊兵器は見つからなかった。

イラク戦争が残した傷跡は大きかった。多くの罪のないイラク国民が亡くなったことはもちろんだが、外国軍が他国に軍隊を送ってその国の政府をたたきつぶすという行為は、中東の人々のアメリカをはじめとする西欧諸国への憎悪をかきたて、「イスラム国」(IS)の台頭を招いたといわれる。

いち早くアメリカに追随した日本は、イスラムの人々からみればアメリカと同じ“侵略者”と見られるようになっただろう。

昨年、安保法制が成立し、日本はますますアメリカの戦争に片棒を担ぐ危険が増している。

しかも、いまなお、というよりますます無批判にアメリカに追随しているのが日本政府の姿だ。
アメリカやイギリスなどが独立調査委員会をつくって検証し、膨大な報告書を明らかにしたのに対して、日本政府がやったことは、お役所仕事でたった4ページの「検証結果」を明らかにしただけだった。

小泉政権当時の自民党幹事長だった山崎拓氏は、今になって次のように述べている。
「米国の同調の求めに、日本は断る術(すべ)がなかった。問題なのは、日本の外交は国連中心主義よりも日米同盟堅持の方が優位にあることだ」
「ISの製造責任は、イラク開戦に賛成した日本にもある。その意味では検証は必要だ」

ISをつくり出したその産みの親が、実はアメリカや日本であるとしたら・・・。
何ともやりきれない気持ちになるし、このままではいけない、何とかしなければ、と痛切に思う。