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日本国憲法の世界史的意義─「比較のなかの改憲論」を読む

辻村みよ子『比較のなかの改憲論──日本国憲法の位置』(岩波新書)を読む。
筆者は明治大学教授で憲法学者

「96条先行改正論」が強まった2013年3月末以来、筆者は「比較憲法」の専門家ということで多くの取材依頼を受けたという。質問のほとんどは「外国の憲法では憲法改正手続はどうなっているのか」など日本と外国憲法との比較に関わる問題。
そこで筆者は、これらの疑問に改めて答える形で、比較憲法的視座から憲法改正をめぐる問題の本質を浮き彫りにしようと本書をまとめた。

取り上げたテーマは次の7つ。
1、日本の憲法改正手続(76条)は厳格すぎるのではないか。
2、憲法を尊重し擁護する義務は国民に求めるべきものであり、国政の最高責任者である首相が憲法改正を主張しても別に問題はないではないか。
3、日本国憲法は敗戦でGHQによって押し付けられたのだから、日本国民による選び直しがなければ国民主権とはいえないのではないか。
4、国民の義務より自由が保障されすぎているのではないか。
5、家族は助け合うべきと、憲法に明記すべきではないか。
6、非武装平和主義(9条)は非現実的なので、自衛隊をもつ現実に憲法を合わせるべきではないか。
7、国民主権を活かすため、憲法改正の発議と国民投票による選択を多用すべきではないか。

辻村氏はいずれについても「否」と答えている。

たとえば、憲法99条は権力者に対して憲法の尊重擁護義務を規定していて、国民には課していないが、筆者は「99条に国民の憲法尊重擁護義務義務が明記されていないことこそが重要」という。なぜなら、「憲法は主権者である国民が権力者を縛るための手段であり、憲法を護るべき主体は為政者・公務員である」と述べる。

日本国憲法は、改正にあたり通常の法律改正より厳重な手続きを必要とする「硬性憲法」であるが、その理由も明確だ。
為政者は、権力を縛る憲法が邪魔になることから、何とか改正しようとする傾向にある(今の自民党政権がまさにそうかもしれない)。それは歴史的にも明らかであって、そこで近代立憲主義は、国民が為政者に憲法を守らせるために監視し、安易な憲法改正をさせないよう、硬性憲法を採用しているのだという。

日本国憲法は占領軍による“押しつけ”」という主張もおかしいと筆者は述べる。

むしろ、日本国憲法の草案はメイド・イン・ジャパンだった。

憲法がつくられた歴史的経緯を見ると、当初、占領下の日本政府は、帝国憲法の枠組みを残した旧来のものとあまり変わらない憲法案をまとめていた。
これが46年2月1日に「毎日」のスクープによって明らかにされ、それを見たマッカーサは「とてもだめだ」と思った。これでは連合国内にくすぶる対日強硬論(特に天皇の戦争責任論)に油を注ぐことになる、と恐れ、その2日後にマッカーサー3原則(象徴天皇制戦争放棄封建制 廃止)と呼ばれる基本項目をまとめ、これを考慮して日本側に提示するモデル草案を秘密裏に作成するよう、ホイットニーGHQ民政局長に指示した。

これを受けてホイットニーは20余名の民政局員を集め、新憲法草案を秘密裏に作成することを指示。こうして作成された民政局案をマッカーサーが承認し、GHQ案が確定した。
その後も紆余曲折があり(たとえば、日本政府による「3月2日案」というのがあるが、それは、天皇主権の廃棄をあいまいにしたり、封建制廃止の部分や、土地・天然資源のの所有権に関する条文を削除し、基本的人権については法律で制限できる旨を強調するなど、GHQ案の多くに修正を加えたものだった)、ようやくにして、今日の憲法の制定に至った。

以上の経緯を見ると、今日の憲法の源泉となったのはGHQの民政局メンバーが作成した民政局案であるのは明らかだが、民政局が草案の起草過程で参照したものがあった。それは、45年12月27日に公表された憲法学者鈴木安蔵らによる「憲法研究会案」であった。

この憲法草案は、それ以前の12月初旬に、民政局からの要請に基づいてGHQに提出されていたという。
その内容は、「日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス」「国民ハ法律ノ前ニ平等ニシテ出生又ハ身分ニ基ク一切ノ差別ハ之ヲ廃止ス」「国民ノ言論学術芸術宗教ノ自由ニ妨ケル如何ナル法令ヲモ発布スルヲ得ス」「男女ハ公的並私的ニ完全ニ平等ノ権利ヲ享有ス」など、進歩的な内容をもったものだった。

民政局のラウエル中佐が翌46年1月1日に提出した覚書には、この草案を高く評価する内容が列挙されており、その後完成したGHQ案には、そこで評価された項目の大部分が取り入れられたという。

この「憲法研究会案」の源泉といえるものがあった。それは明治のはじめに起こった自由民権運動である。
鈴木安蔵は、自由民権運動や、その思想的リーダーである植木枝盛憲法草案(「東洋大国国憲按」)について研究し、自分たちの草案の参考にしたといっている。

自由民権運動とは、薩長中心の藩閥政治に対して、憲法の制定、議会の開設、地租の軽減、言論や集会の自由などの要求を掲げて起こった運動。植木枝盛憲法草案は、フランス人権宣言やアメリカ独立宣言などに示された憲法思想の影響を受けていて、「日本の人民は法律上に於て平等となす」と明記し、死刑廃止陪審裁判を受ける権利などもうたっている。
つまり、鈴木安蔵を通じて自由民権運動の思想が受け継がれたのが日本国憲法であった。そしてその底流にはフランス人権宣言やアメリカ独立宣言がある。
また、マッカーサーの頭の中にも、アメリカ独立宣言とアメリカ合衆国憲法があったに違いない。

つまり、独立と自由、民主主義を求める西欧の新しい流れをも包み込んで生み出されたのが日本国憲法であり、世界史的にみても意義の大きな憲法といえるのではないか。

本書では、憲法9条改正による徴兵制への道についても述べる。
「現行9条の制約の下で自衛隊の活動が制限されていたためにこれまで自衛隊員の犠牲も殺戮もなかったのであり、今後は、集団的自衛権行使のための戦争に国防軍が頻繁に関わるようになれば、国防軍人の犠牲者が増え、それに伴い志願者が減少し、やがては強制徴集制すなわち徴兵制も視野に入ってくると容易に予想できる」

このところ強まる集団的自衛権行使容認、そして9条改正の動きに、空恐ろしさを覚える。