ボストン・テラン「ひとり旅立つ少年よ」(田口俊樹訳、文春文庫)を読む。
今のところ今年読んだ中で一番感動した小説。
12歳の少年チャーリーの旅の物語だ。
主人公はシャルルマーニュ・エゼキエル・グリフィン。通称チャーリー・グリフィン。
ちなみにシャルルマーニュは西ヨーロッパ帝国崩壊後のヨーロッパ西部を統一し、ローマ皇帝として君臨したフランク王国のカール大帝の仏語名。カールもシャルルも英語ではチャールズ(チャーリー)となる。
時は1850年代、日本でいったらペリーが浦賀にやってきたころのニューヨーク・ブルックリン。詐欺師である父は奴隷解放運動のための資金と偽って教会から大金をせしめる。ところが、そのカネをねらう2人組の男に父は殺され、チャーリーは大金をミズーリにある奴隷解放組織のもとに届けようと決意。着ている服に札束を小分けにして縫いつけ、ひとり旅に出る。
旅路の先々で出会うのは、詩人ホイットマン、子どもを亡くした優しい夫人、ナゾの葬儀屋、破天荒な奴隷解放運動家たち。
奴隷商人に囚われて競売にかけられても、命の危険にさらされる困難に遭遇しても、少年は持ち前の機転と知恵で切り抜けていくが・・・。
途中、ブルックリンから乗ったフェリーの上で出会ったホイットマンは、本から破り取った詩の一篇を少年に渡す。
それはホイットマンの詩集「草の葉」に収録された「There Was a Child Went Forth」という詩だった。
小説ではその詩の中の次の箇所が引用されている。
少年の両親。少年の父親になった男と、少年を子宮に宿して産んだ女。
彼らは彼らを超えるものを少年に与えた。
そのあとも毎日のように与え続け──やがてふたりは少年の一部となった。
あらためてホイットマンの「There Was a Child Went Forth」の日本語訳を読むと、ふらりと毎日出歩く少年、それはたぶんホイットマン自身だろうが、出歩くたびに触れる自然や見聞きしたものがすべて彼の一部になっていく様子が描かれていて、この小説の重要なモチーフになっているのがよくわかる。
小説の原題である「A CHILD WENT FORTH)」というタイトル自体がホイットマンの詩とダブっている。
とにかく最後の数ページは、読んでいて涙があふれて仕方がなかった。
著者のボストン・テランは、サウスブロンクスのイタリア系一家に生まれ育ち、1999年に「神は銃弾」でデビュー。同作でイギリス推理作家協会新人賞を受賞し、日本でも「このミステリーがすごい!」で1位になった。 ホストン・テランはペンネームで、本名・年齢は非公表という。