善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「かちこみ!」ほか

チリの赤ワイン「サンタ・ディグナ・メルロ グラン・レゼルヴァ(SANTA DIGNA MERLOT GRAN RESERVA)2020」

スペインのトーレスがヨーロッパの伝統と技術を用いてチリで手がけるワイン。

メルロ100%だが、南北に細長いチリ中央部のセントラル・ヴァレーの温暖な沿岸部から冷涼なアンデス山脈近くまでの、いくつかの異なる気候の畑で栽培されるメルロをブレンドしているのだとか。

 

ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していた香港映画「かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート」。

2006年公開の作品。

監督ウィルソン・イップ、出演ドニー・イェンニコラス・ツェーショーン・ユー、ドン・ジェほか。

 

香港で国民的人気を誇るコミック「龍虎門」を映画化したアクション・ムービー。

タイガー(ニコラス・ツェー)は、孤児たちが集まる道場「龍虎門(ドラゴン・タイガー・ゲート)」で育つ。ある日、食事中のレストランでアウトロー集団「江湖」の一味といざこざとなり、軽く蹴散らしてしまう。すると、一味の中から前髪を垂らした男が現れ、タイガーを圧倒。実はこの男は、生き別れたタイガーの兄ドラゴン(ドニー・イェン)だった。

幼少時に2人は離れ離れになり、一人きりになったドラゴンは「江湖」の首領マーに拾われ用心棒となっていた。武術を悪用する「江湖」のやり方と、マーへの恩義との間で葛藤しているドラゴンだったが、裏社会を支配する犯罪組織「羅刹門」を率いるシブミにマーが殺されてしまい、忠義を尽くそうとドラゴンはシブミへの復讐を誓う。

敵対していた2人の兄弟はやがて絆を取り戻し、2人の間にはヌンチャクの天才ターボ(ショーン・ユー)があらわれる。3人は巨大犯罪組織をやっつけるために壮絶な戦いに挑むのだった・・・。

 

ドニー・イェンのファンとしては見逃せない映画。

本作では、CGやワイヤーアクションがかなり取り入れられていて、あり得ないような超絶アクションに思わず「ウッソー」とのけ反ってしまったが、ドニー・イェンのカンフーはそれにうまくハマった感じで、高速で繰り出す必殺拳は見事で、そして美しかった。

「イップ・マン」シリーズなどでアクション・スターとして知られているドニー・イェンだが、実は彼はかなり遅咲き。下積みがかなり長かったみたいで、彼を一躍国際スターにした「イップ・マン」シリーズの第1作「イップ・マン 序章」の公開は2008年(日本では2011年)で、彼が45歳のとき。その2年前に公開されたのが本作だった。

もちろん、40をすぎているのにスピード感あふれるカンフーの技はさすがだが、それだけでなく、人間的に成長した上での技ゆえか、若さだけ、パワーだけで相手をやっつけるのではなく、スピードにプラスして円熟の味が出ていて、魅了される。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のBSで放送していたアメリカ映画「カンバセーション…盗聴…」。

1973年の作品。

監督フランシス・フォード・コッポラ、出演ジーン・ハックマンジョン・カザール、アレン・ガーフィールドフレデリック・フォレスト、ハリソン・フォードほか。

 

ゴッドファーザー」「地獄の黙示録」のフランシス・フォード・コッポラ監督による心理サスペンス映画。

通信傍受の権威ハリー・コール(ジーン・ハックマン)は、自らのプライバシーの保持に異常に気を使っているがため孤独な私生活を送っていて、彼とより親密になりたい恋人とも別れる羽目になるほどの人物。

ある日、大企業の取締役からの依頼を受けて、雑踏にまみれたユニオンスクエアで密会する若い男女2人の会話を盗聴するが、2人の会話の中に「自分たちを殺す気だ」という不可解な言葉を聞き取ったハリーは、独自に音声テープの解析を進める。

あのカップルは何者なのか、その言葉の真意は何なのか、テープを欲しがっているのは人物とは誰か? ハリーは盗聴の目的を探るべく何度も同じ会話を聞き直すうち・・・。

 

1974年のアカデミー賞では、作品賞にノミネートされた5作品のうち、74年製作の「ゴッドファーザーPARTⅡ」と前年につくられた本作の2作品がコッポラ監督によるものだった。結局、作品賞に選ばれたのは「ゴッドファーザーPARTⅡ」。

まだ駆け出しのハリソン・フォードが盗聴の依頼主の秘書役で出演している。この映画のとき32歳。「スター・ウォーズ」のハン・ソロ役で一躍大スターとなるのは4年後のことだ。

 

民放のBSで放送していた韓国映画「BE WITH YOU いま、会いにゆきます」。

2018年の作品。

監督イ・ジャンフン、出演ソ・ジソブソン・イェジン、キム・ジファン、コ・チャンソクほか。

 

日本で竹内結子中村獅童の主演で映画化された市川拓司の小説「いま、会いにゆきます」を韓国で再映画化。

 

夫のウジン(ソ・ジソブ)に「雨の季節になったら戻ってくる」という約束を残してこの世を去った妻のスア(ソン・イェジン)。それから1年後の梅雨が始まったある日、ウジンの前にこの世を去る前と変わらない姿でスアが現れる。

ところが、彼女は記憶を失っており、ウジンが誰なのかさえ覚えていない。それでもウジンは、スアがそばにいることに幸せを感じ、2人は再び恋に落ちる。しかし、梅雨が終わると、運命の時間がやってくる・・・。

 

梅雨は日本だけでなく韓国にもあるそうで、だいたい日本と同じころ。それゆえに映画化も可能になった。

梅雨のことを韓国語では「チャンマチョル(Chan ma choru)」と発音し、これは「雨期」を意味する「rainy season」をいうのではなく、日本と同じ「梅雨」の意味という。

もともと「梅雨」という言葉は日本の専売特許ではなく、ルーツは中国にあって、中国の長江流域で「梅の実が熟す頃に降る雨」を梅雨と呼んでいたという説や、「カビが生えやすい時期の雨」という意味の「黴雨(ばいう)」が転じて「梅雨」となったとの説があるそうだ。

したがって「梅雨」という言葉は中国から朝鮮半島や日本に伝播してきたもので、ひょっとして朝鮮半島経由で日本に伝わったのかもしれない。

では、いつごろから日本で「梅雨」という言葉が使われるようになったのか?

日本国語大辞典」を引くと、次の記述がある。

 

本朝文粋(1060頃)九・鴻臚館餞北客帰郷詩序〈紀在昌〉「于時桂月漸傾、梅雨斜落」

 

「本朝文粋」とは、平安時代の詩文のすぐれたものを選んで、後世の作文の手本にしようと編まれたもの。

紀在昌は文章博士などをへて天暦4年(950)冷泉天皇の侍読(天皇に仕えて学問を教授する学者)をつとめた人物。

平安京には鴻臚館という外国からの使節を迎賓する施設があり(ほかに福岡・筑紫や大阪・難波にもあった)、平安京の鴻臚館はおもに渤海使を迎賓していたという。

この時代、正式に交流があったのは渤海国で、国の使いとして何年かおきに渤海使がやってきていた。

「鴻臚館餞北客帰郷詩序」というのは、来日していた北客、つまり勃海使の帰国を餞別するため鴻臚館で催された宴で詠まれた詩への序文といった意味か。

渤海と日本では話す言葉は通じなくても、漢文は互いに通じ合っただろう。今は世界の共通語は英語だが、そのころの共通語は中国語であり漢字だった。

事実、渤海使は初期のころは派遣されてきたのは全員武官だったが、 やがて漢詩文に長じた文人が選ばれて来日するようになっていたという。

しかし、渤海国は926年に滅亡。当然ながら渤海使がやってくることはなくなった。紀在昌は延長6年(928)ごろに文章得業生になり、その後、文章博士などをへて天暦4年(950)冷泉天皇の侍読になっているから、彼が活躍するのは渤海国の滅亡ののちだ。

滅亡直前の最後の渤海使の宴で詠まれた詩に序を書いた可能性もあるかもしれないが、あとになって詩文を「本朝文粋」に載せるというので序を書いたのではないだろうか。

いずれにしろ、その中で彼は「于時桂月漸傾、梅雨斜落」と書いている。

意味は、折しも月は次第に傾き、梅雨の雨が降ってきた、ということか。

ということは、すでにこのころから夏を前にした雨期を「梅雨」と呼んでいたのではないだろうか。

また、朝鮮半島は大陸と地続きだから、多少は乾燥していて日本みたいに梅雨時のジメジメ・ムシムシはないかと思ったらそんなことはなく、日本と同じように1年間を通して気温の変化が大きく、降水量も多い温暖湿潤気候に属しているので、梅雨のころは日本も韓国も同じように蒸し暑い日々を送ることになるのだろう。