善福寺公園めぐり

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放浪の画家ピロスマニ

神保町の岩波ホールで『放浪の画家ピロスマニ』を観る。
ジョージアグルジア)が生んだ孤高の画家ニコ・ピロスマニの半生を描いた映画。
監督ギオルギ・シェンゲラヤ。
観客はチラホラ程度だったが、団塊の世代らしい人たちとともに若い人も多かった。
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今年7月にコーカサスを旅したとき、ジョージアの首都トビリシにあるナショナルギャラリーでピロスマニの絵を初めて見た。ピロスマニの名を知ったのもそのときが初めてだったが、たちまちとりこになった。
素朴で心優しい絵。人は風土とともに生きていることを教えてくれる絵。暗い色調の絵なのに、なぜか明るい。
あの絵を見るためだけにでももう一度トビリシに行きたい、そう思わせるほどの感動を今も抱いている。
ギャラリーの売店で買った『女優マルガリータ』の複製は、思い出のよすがとしてわが家の居間に飾られている。

ピロスマニを主人公にした映画『放浪の画家ピロスマニ』は1969年に作られた。今から46年前のことだ。
日本では1978年に岩波ホールで上映されたが、そんな映画があったとも知らず、見ることはなかった。
今回の上映は37年ぶりという。

まるで絵画のような映画だった。
寡黙でナイーブな内面をピロスマニを演じた役者が見事に表現していた。
これまでピロスマニは、極貧の中、階段の下の納戸のような狭く暗い部屋で亡くなった、と思っていたが、映画では違っていた。
復活祭の日、馬車に乗った男がピロスマニの部屋を訪ねると、ピロスマニは床に倒れている。
「何をしている?」と聞く男にピロスマニは答える。「死ぬところだ」
「何をいうか、きょうは復活祭だぞ」男はそういってピロスマニを抱き抱え、馬車に乗せてどこかへ向かうところで映画は終わる。

ピロスマニが向かう先はどこだろう、と思わせるラストシーンに、「ピロスマニはきっと、絵の中で生きつづけるのだな」と思った。