善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

コーカサス3国旅行記⑭

コーカサス3カ国の旅9日目の18日(土)はいよいよコーカサスにサヨナラする日。
予定ではトビリシの市内観光のあと空港に向かうが、ナショナルギャラリーでぜひとも見たい絵があったので、メンバーとはいったん別れ、空港で合流することにした。

朝食のデザート。スイカを毎日食べたが、ここのが一番おいしかった。
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ホテルの部屋から見たトビリシの街。
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まずはみなさんと一緒にトビリシ市内を流れるムトゥクワリ川近くの丘の上に建つメテヒ教会へ。
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丘の上の立地から、シルクロードを往還するキャラバン(隊商)が、安全を求めて逃げ込む要塞の役目も果たしていたとか。
1235年のモンゴルの侵略で破壊され、1289年に再建。しかし、その後も破壊と再建を繰り返した。
帝政ロシア時代には監獄としても利用され、トビリシで活動中だったゴーリキーもここに幽閉されたことがあるという。
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ここにも十字架と日輪のマーク。
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渦巻き模様は明らかに太陽をかたどっている。キリスト教以前の太陽信仰が今も生きている証拠だ。
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不思議なチョウを発見。キアゲハみたいだが、ちょっと違う気もする。
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その後、みなさんと別れて旧市街を散歩。
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途中、タクシーをつかまえてナショナルギャラリーに行くつもりだったが、歩いているうちにいつの間にか近くまで来てしまっていた。トビリシは狭い!(だから歩きやすい)

お目当てのナショナルギャラリーに到着。大通りに面した正面玄関。入口の天井はイスラムの影響を受けた蜂の巣状の「ムカルナス」を思わせる。
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実際の入口は裏側から。
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ジョージアの画家、ニコ・ピロスマニ(1862-1918)の作品がここに所蔵されている。主な3つの部屋のうち、2つの部屋にピロスマニの絵が飾られている。合計29点。
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ピロスマニは今でこそ国民的画家といわれているが、生きていたころはまるで評価されず、極貧のうちにこの世を去ったという。まるで映画『モンパルナスの灯』に出てくるモジリアニみたいな人だ。

彼はジョージア東部、ブドウ産地として知られるカヘチ地方の貧しい農家に生まれた。
幼いころ、両親が相次いで亡くなり、独学で絵を習得する。さらにその後、頼りにしていた姉も亡くなって、天涯孤独となる。
20歳をすぎてシベリア鉄道で働いたり自分の店を持ったりもしたが、体が弱い上に人づきあいも苦手で、うまくいかなかったという。
その後は一夜の宿、1杯のワインと引き換えに店の看板や壁に飾る絵を描くその日暮らしの生活を続ける。
あるとき、ピロスマニの絵を見た画家がモスクワの中央画壇に彼を推薦。しかし、画壇は彼の絵を「幼稚」「稚拙」などとして評価せず、失意のままジョージアに戻る。それ以降、彼は絵を描く意欲を失い、数年後、建物の階段下の小さな自室で衰弱死しているのを発見される。56年の生涯といわれる。
生前、彼の才能は認められることなく、孤独と流浪の生涯だったという。

ピロスマニの絵とはどんな絵か?
(この項続く)