善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

アルファベット・ハウス

この1週間ほどで2冊のミステリーを読む。
1冊はユッシ・エーズラ・オールスンの『アルファベット・ハウス』(鈴木恵訳、ハヤカワ・ポケットミステリーのちょうど1900冊目)、もう1冊はピエール・ルメートル『悲しみのイレーヌ』(橘明美訳、文春文庫)。日本で翻訳が出たのは今年だが、いずれもデビュー作という。
『アルファベット・ハウス』は1997年、『悲しみのイレーヌ』は2006年の発表。

『悲しみのイレーヌ』は小説づくりの技巧は見事で、一気に読ませるが、何かが足りない。胸にストンと落ちるものがない。やはり小説はただおもしろいだけではダメで、余韻がほしい。
その点、考えさせられたのは『アルファベット・ハウス』だった。
著者は『特捜部Q』シリーズのデンマークの作家。

物語は第2次世界大戦中の1944年に始まる。
英国軍パイロットのブライアンとジェイムズはドイツ上空で撃墜された。かろうじて脱出し傷病を負った親衛隊(SS)将校になりすますが、搬送先は精神病患者に人体実験を施す通称「アルファベット・ハウス」だった。そこに軍の財宝を着服した悪徳将校4人組が紛れ込み、虐待が横行する。終戦の直前、ブライアンはジェイムズを残して命がけの脱走に成功する。残されたジェイムズは──。
それから30年近くがたって、ミュンヘン・オリンピックに沸くドイツを舞台に、物語の第2幕を迎える。

筆者は「著者あとがき」で「これは戦争小説ではない。人間関係の亀裂についての物語である」といっている。たしかに読んでいくと物語は中盤からガラリと様相を変え、友情と、友を残して自分だけ助かったことへの罪の意識と、そこからの救いの物語にはなっていくが、やはり本書は戦争小説だと思った。

戦争だからこそつくられる「狂気」があるのではないかと思った。