善福寺公園めぐり

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「ブレット・トレイン」&「ヘンリー五世」

最近、映画館で観た2本の映画(1本は演劇の舞台の映像だが)をご紹介。

 

まずは東武東上線東武練馬駅近くのイオンシネマ板橋で、ただいま劇場公開中の映画「ブレット・トレイン(弾丸列車)」。

2022年の作品。

監督デビッド・リーチ、出演ブラッド・ピットジョーイ・キングアーロン・テイラー=ジョンソン、ブライアン・タイリー・ヘンリー、真田広之サンドラ・ブロックほか。

 

伊坂幸太郎の小説「マリアビートル」をハリウッド映画化。

 

いつも事件に巻き込まれてしまう世界一運の悪い殺し屋レディバグ(ブラッド・ピット)。そんな彼に与えられた新たなミッションは、東京発の超高速列車「ゆかり」でブリーフケースを盗み、次の駅で降りるという簡単な仕事のはずだった。

盗みは成功したものの、身に覚えのない9人の殺し屋たちに列車内で次々と命を狙われ、降りるタイミングを完全に見失ってしまう。

列車はレディバグを乗せたまま、世界最大の犯罪組織のボス、ホワイト・デスが待ち受ける京都へ向かって加速していく・・・。

「ゆかり」とはふりかけのゆかりではなくて、「縁」とか「因縁」の意味らしくて、「殺し屋たちの因縁を運ぶ弾丸列車」というわけなのか。

ブラッド・ピット演じるコードネーム・レディバグとは「テントウムシ」の意味で、本来は「幸運を運んでくれる虫」の意味だが、映画では「不運を運ぶ男」となっていた。

原作は東京-盛岡間を走る東北新幹線車内が舞台だったが、本作がモデルとしたのは東京-京都の東海道新幹線。登場人物も、原作が全員日本人なのに対して、映画は2人をのぞいて全員アメリカ人、イギリス人、ロシア人、メキシコ人?などなどの外国人で国際色豊か。

 

殺し屋たちの関係が複雑すぎて、というより、あまりにも説明が不十分でよくわからないままで物語が展開し、あえてB級っぽくしたのか、笑いに加えてアクションばかりがド派手なノンストップアクション映画。そう割り切って観ていると、なかなか痛快でおもしろい。

 

当初は日本でのロケも計画されたらしいが、新型コロナによる渡航制限などの影響もあって日本国内でのロケは行われず、アメリカ国内で特設スタジオを組んで撮影が行われたという。

疾走する新幹線の車両はCGだろうし、車内の様子もすべてセット。それにしてもCGと実写を組み合わせた技術の高さはさすがのものがあり、臨場感満載の映画となった。

何でも、列車のセットの両脇には幅25mもの巨大LEDスクリーンが設置され、撮影中は車窓から見える風景がそこに映し出されたという。実際の東京-京都間で撮られた映像も使われたので、本物の列車に乗っている感覚が味わえて、役者たちの本気度も増したのではないか。

狭い車内での真田広之の剣裁きが実に見事。

たそがれ清兵衛」での屋内での戦いのシーンを思い出した(あのときは小太刀だったが)。

 

池袋駅近くのシネ・リーブル池袋シェイクスピア作「ヘンリー五世」。

イギリスの国立劇場ロイヤル・ナショナル・シアターで上演された舞台を映像化し、映画館のスクリーンで上映する「ナショナル・シアター・ライブ(NTLive)」の1作品。

 

かつて放蕩の限りを尽くして父ヘンリー四世を心配させたハル王子。父の死後、即位してヘンリー五世となった彼は、才知溢れる名君へと成長を遂げる。ヘンリー五世はフランス王位に対するイングランドの権利を主張するが、フランス側は親書で彼を侮辱。怒ったヘンリー五世はフランスへの進軍を開始する・・・。

 

今年2月から4月まで、ロンドンのドンマー・ウエアハウスで上演された舞台の映像化作品。依然コロナ禍にある中での上演で、ロンドン市民は外出の際はマスク不要となってるようだが、劇場内では観客はみんなマスクをつけていた。

ドンマー・ウエアハウスはかつて倉庫だったところで(それでウエアハウス)、1970 年代にロイヤル・シェークスピア・カンパニーに買収され、その後独立した劇場になったという。

真ん中に舞台があり、その三方を客席が囲っていて、席数250という小さな劇場だ。

演出のマックス・ウェブスターは「メアリー・ステュアート」「豊饒の海」など日本の舞台でも活躍中。

出演はキット・ハリントン(ヘンリー五世)ほか。

 

15世紀の物語が現代劇にアレンジされている。

ヘンリー五世は背広姿であらわれ、戦争となるとヘルメットに戦闘服、手にしているのはマシンガン。ヘンリー五世は白人だが、対するフランス王や王女キャサリンは黒人俳優が演じていた。

「ヘンリー五世」を現代劇として見ると、シェイクスピアが描く「王とはどうあるべきか」は現代社会におけるリーダー論に置き換えられるし、イングランドのフランス侵略への賛美より戦争が引き起こす愚かさが浮き彫りになっている感じがした。

小説と違いセリフ劇とは不思議なもので、同じ台本でも、演出の仕方、演じ方次第で観る側にいろんな解釈を可能にさせているようだ。