善福寺公園めぐり

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特捜部Q─カルテ番号64

ユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q─カルテ番号64』(吉田薫訳・ハヤカワ・ポケットミステリ)

「特捜部Q」シリーズの4冊目。過去の未解決事件を専門に扱うデンマークコペンハーゲン警察の新部署、特捜部Qが今回挑むのは、80年代に起こったナイトクラブのマダムの失踪事件。
調べていくと、ほぼ同時に5人もの行方不明者が出ていることが判明。カール・マーク警部補は大事件の匂いを嗅ぎつけ捜査に着手。やがて、壮絶な過去を持つ老女と、新進政党の老党首が捜査線上に浮かび上がってくるが・・・・・・。

今回はとても重いテーマ。ほんの数10年前まで、デンマークでは法律に認められていた優生思想にもとづく人権侵害がまかり通っていた。優生思想とは、早い話が、人種とか、障害の有無などを基準にして人の優劣を定め、優秀と認めた者にのみ存在価値があるとする思想。そんな過去をただ史実として示すのではなく、現代にはびこる右翼思想や人種差別問題とも絡めているところが、この作者のエライところだ。

デンマークには1923年から1961年まで、法律または当時の倫理観に反したか、あるいは“軽度知的障害”の烙印を押されて行為能力の制限を宣告された女性を収容する施設があり、不妊手術の同意書にサインしなければ、その施設からは出られなかったという。
施設があったのは、スプロー島という、コペンハーゲンがあるシェラン島と隣のフュン島との間にある大ベルト海峡に浮かぶ小さな島。

そこはほんの50年ほど前までは、「ふしだらという理由だけで社会から排斥された女性たちが送られる“監獄”だった」(本書の訳者あとがきより)というから、まるで監獄島と呼ばれたアルカトラズみたいな話だ。

そこに閉じ込められた女性が復讐の鬼と化す物語。彼女が復讐の鬼と化したのは何10年も前の話だが、彼女を悲劇に追いやった悪徳医者は現代社会に生き延びていて、優生思想にもとづき、デンマークにとって有益とならない人間の排除をあからさまに打ち出す右翼政党を立ち上げて国政に打って出ようとしていた。

その政党で議論されているのは、犯罪者や、精神的理由あるいは知的障害があって子どもの世話ができない人々の強制断種、子だくさんの家庭から一連の補助金を取り上げることになる社会福祉費の削減、専門教育を受けていない外国人の移住禁止、などなど。
数10年前の優生思想は今も生きている、どころか、再び勢いを増していることを筆者は警告している。

そういえばと最近のニュースを思い出した。アメリカ連邦最高裁は最近、結婚は異性間に限定すると規定した連邦法「結婚防衛法」を違憲とする判決を行ったが、そのニュースの中で引き合いに出されたものに、連邦最高裁が46年前に言い渡した「ラビング事件」というのがあった。

7月1日付「朝日」外信面のコラム「特派員メモ」で、中井大助記者が次のように書いている。
「かつてアメリカの複数の州には、異人種間の結婚を禁じる法律があった。こうした法律をすべて「違憲」としたのが、この判決だ。人種の枠を超えて結婚したことでバージニア州法に違反したとして逮捕・起訴された夫婦の名字に由来する。
愛する人との結婚が犯罪になるなんて、今では想像もできない。私の日本人の父親と白人の母親が49年前に米国で結婚した当時も、州によっては認められなかったのだ」

異人種間の結婚を禁止するというのは、要するに「白人は優秀」との優生思想・人種差別主義の産物であり、だから白人より劣る黒人(だけでなく日本人などほかの人種も)との結婚は国の将来にとって害になるから認めないということなのだろう。
そんな法律が46年前まで生きていたというのだから、デンマークの女性収容所が50年前まで存在していたというのと大差ない。

では日本ではどうか。
日本もかつてアジアの国々を見下してきた歴史がある。今も中国のことを平気で「シナ」と呼ぶ政治家がいる。(この「シナ」という呼び方は、中国侵略を行っていた日本が中国に対する侮蔑語として使っていた歴史があり、中国国民はこの呼び方を拒否している)

日本ではもう長い間、ABOの血液型で性格を判断するのが人気だが、もともとはこれも優生思想から生まれたものだ。
アメリカの大先輩であるヨーロッパでは昔から白人優位の思想があったが、第一次大戦が集結したころから日本など黄色人種が台頭するようになって、それへの不安や恐怖から「やがて黄色人種が白色人種を凌駕するかもしれない」という「黄禍思想」が広がったという。
そこで学者たちが各国の血液型を調べたところ、ヨーロッパの人種にはA型が多く、中近東やアジア・アフリカに移るに連れてA型が少なくなり、B型が増えていくことがわかった。この結果から、A型=優秀、B型=劣等の図式が描かれるようになり、一安心したのだとか。
この研究をヨーロッパに留学した日本の学者が持ち帰ったのが血液型性格判断のルーツという。(日大・大村政男教授の研究より)

話は元に戻るが、今の日本の政治にも優生思想の気配はないか?

たとえば政府が提出した「生活保護法改正案」。
結局は廃案になったようだが、増え続ける保護費を抑制するのがねらいで、生活保護の申請を出しにくくしたり、病気になっても後発医薬品ジェネリック)の使用を促進するなどの内容を盛り込んでいる。
しかし、生活保護費が増えるのがなぜいけないのか?
それは国民生活が圧迫されて貧しい人が増えているからであり、そうした人たちに手を差しのべることがなぜいけないのか?

貧しい人が増えているなら生活保護費が増えるのも当たり前で、保護費抑制をねらうより、貧しい人が増えないような施策を講じることのほうが大事なのではないのか。
また、病気になってもジェネリックというのは、金持ちは最新医療、貧乏人は特許の切れた安い医薬品でいい、という差別医療につながる危険性をはらんではいないか?

気になるのは、このところ自民党はますます右翼政党化していて、その右傾化の中で生活保護法改正案のような貧しい人をさらに窮地に追いやろうとする法案が出てきていることだ。

『特捜部Q─カルテ番号64』で作者が危惧することは、日本も同じなのだろうか?