善福寺公園めぐり

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きのうのワイン+映画「コリーナ、コリーナ」

アルゼンチンの赤ワイン「プリヴァーダ・マルベック(PRIVADA MALBEC)2020」

(写真はこのあと牛サーロインステーキ)

ワイナリーはボデガ・ノートンで、マルベック100%。

マルベックはフランス原産のブドウ品種だが、今や世界のマルベックの栽培面積の75%以上をアルゼンチンが占めているという。

アルゼンチンは日照量が豊富で降雨量が少なく乾燥した気候のためブドウの病害も少なく、さらにアンデス山脈の雪解け水を利用した灌漑システムによって良質なブドウを栽培できる利点があるのだとか。

マルベック産地として有名なのがアルゼンチン中央部のクージョ地方メンドーサ州。中でも標高の高いルハン・デ・クージョは理想的な土壌と気候に恵まれ、マルベックから高品質の赤ワインが生産されているといわれるが、ボデガ・ノートンはそのルハン・デ・クージョに広大な畑を所有し、ワインづくりを行っている。

マルベックは「黒ワイン」とも呼ばれるほど濃い色合いが特徴。ポリフェノールの含有率が高いためというが、何だか健康にもよさそう?

 

ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたアメリカ映画「コリーナコリーナ

1994年の作品。

製作・監督・脚本ジェシー・ネルソン、出演ウーピー・ゴールドバーグレイ・リオッタ、ティナ・マジョリーノ、ドン・アメチほか。

1959年のアメリカ。幼い少女モリー(ティナ・マジョリーノ)は母を亡くし、その死を受け入れることができずに心を閉ざし、口をきくこともできなくなっていた。CM作曲家の父親のマニー(レイ・リオッタ)は心配するが、仕事もあるのでベビーシッターもできる家政婦を雇う。しかし、何人もの候補の中から選んだ白人女性はまるでダメ。

そのうちにやってきた黒人のコリーナウーピー・ゴールドバーグ)は、料理も上手じゃなくてガサツな感じで、明らかに家政婦向きではないのだが、どういうわけかモリーは彼女になつくようになり、やがて心を開いて笑顔と言葉を取り戻す。

さらにはコリーナは音楽のセンスもあり、彼女に助けられてマニーの仕事もうまくいくようになる。モリーコリーナになつき、マニーもまたコリーナに惹かれるようになっていく・・・。

 

結局2人は結ばれてハッピーエンドとなるヒューマンタッチのラブストーリーなのだが、ノホホンと観ていたら、この映画、すごいテーマを突きつけていることに気がついた。

1つは、白人であるマニーと黒人のコリーナの異人種間の恋愛・結婚問題であり、もう1つはマニーは無神論者だったということで、この2つがリンクして描かれている。

 

この映画の製作・監督・脚本にあたったジェシー・ネルソンは舞台女優出身の人で、本作が監督としてのデビュー作らしいが、物語は彼女の自伝的色彩が強く、幼くして母親を亡くした彼女を優しい愛情で包んでくれた黒人女性の思い出が下地となっているという。

しかし、アメリカの人種差別、特に黒人差別の問題はいまだに「Black Lives Matter(黒人の命は大切だ)」運動が起きるぐらい深刻で根深い。白人と黒人の恋愛や結婚も比較的最近までタブーとされてきた。

現在のアメリカでは、白人と黒人の結婚はほぼ支持されていて、ギャラップが2021年に発表した調査結果では、異人種間結婚を認めると答えたアメリカ人の割合は94%にのぼっているという。しかし、ギャラップがこの調査を始めた1958年には、支持する人はわずか4%で、94%が不支持だった。

本作が描いているのはまさしくそんな時代の1959年のアメリカ。その当時のアメリカ人にとっては考えられないようなストーリーとなっている。

だが、監督のジェシー・ネルソンは、映画の中で人種差別による偏見を多少は描いているものの、サラリと織り交ぜる程度で、人種問題をことさら前面に押し出すようなことはしていない。むしろコメディタッチで人種差別を笑い飛ばしているような感じすらする。

 

そこでこの映画を観るにあたって大事になってくるのが、モリーの父親のマニーが無神論者だということだ。

彼は娘を宗教的な価値観に晒さないで育てようとしていて、キリスト教徒であるコリーナが「お母さんは天使が天国に連れていってくれたのよ」というと、「死んだお母さんは天国なんかにはいない」と娘に教える。

最後のほうで「ひょっとしたらお母さんは空から見てるかもしれないな」みたいなセリフもあるが、結局、無神論者であるのは変わらなかった。

アメリカでは国民の多くがキリスト教徒といわれるが、最近はかなり変わってきているようだ。アメリカ人の宗教観に関する調査によると、2011年には75%のアメリカ人がキリスト教信者であると認識していたが、2021年には63%に減少し、10年間で12%の減少となったという。
また、どの宗教にも属さない人や無神論者、宗教に特に関心がないと回答した人は10年前には約18%だったが、2021年には29%に増えていた。

組織的な宗教に関心を持たないアメリカ人の割合も上昇していて、ギャラップが2021年に行った世論調査によれば、教会やシナゴーグ、モスクのメンバーであるアメリカの成人の割合は47%にとどまり、初めて50%を割り込んだという。

それでも映画で描かれた1959年のころは圧倒的にキリスト教の信者が多く、無神論者はかなりの少数派だっただろう。

 

宗教の歴史を振り返ると、そこには異教徒を迫害したりして、人が人を差別することを是認してきた歴史がある。

また、宗教は時の権力と結びついて民衆を抑えつけ、現実の不幸から目をそらす役割を果たしてきたことも事実だ。

アメリカの黒人差別の代表例がかつて存在していた奴隷制度だが、黒人奴隷を正当化したのは聖書の教えだったともいわれている。旧約聖書には「ノアの箱舟」の物語があり、そこに書かれた記述から「黒人を奴隷にすることを神は許している」と解釈したという。

2019年に、ミシシッピ州の結婚式場のオーナーが黒人男性と白人女性の結婚式を拒否する出来事があったが、拒否した理由は「同性婚や異人種間の結婚はキリスト教の信仰に反する」というものだった。

本作で無神論者の父親は、黒人に対して何の偏見も持っていない。コリーナが黒人だからとか、異人種がどうしたこうしたと思い悩むこともなく、ごく普通にコリーナと付き合い、惹かれるようになっていく。

人はみな、もともと平等で、誰もが同じ価値を持っていると思うからこそ、彼女のよさを知り、ごく自然な成り行きで彼女との愛にまで発展していったのではないだろうか。

本作で、黒人差別の問題をなかったことにするのでなく、あえてサラリと取り上げている意義がここにある。