善福寺公園めぐり

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「記紀を信用しない」母の憤り 青山文平「父がしたこと」

青山文平「父がしたこと」(角川書店)を読む。

2023年12月に刊行された長編の時代小説。

江戸時代末期の天保年間。ある藩の目付をつとめる永井重彰(年はまだ20歳をすぎたばかり)は、藩主の身辺を取り仕切る小納戸頭取である父の元重から、藩主が長年患っている病について聞かされる。藩主は長年、痔瘻を患っていて、これ以上の苦痛は耐えられないというので全身麻酔下での手術を受けることになったというのだ。

日本の医術はかつては漢方一本槍だったが、蘭学が入ってきて漢方と蘭方を自在に使い分ける“漢蘭折衷”の医師も台頭するようになっていて、執刀するのは、世界で初めて全身麻酔下での乳がん手術を成功させた華岡清州の流れを汲む華岡流外科の医師で、向坂清庵という在野の名医だった。

実は重彰は1年前、生まれたわが子が肛門のない鎖肛という先天性の病気だったため、向坂に手術を依頼し、見事成功して命を救ってもらった恩があった。

それだけに重彰は向坂の手術には絶大な信頼を持っているが、何しろ藩主の手術だけに、万が一でも全身麻酔下での手術に失敗したりしたら大変なことになる。そこで、元重と重彰は執刀する医師の名前を伏せ、手術を秘密裡に行う計画を立てるが・・・。

 

読んでいて、江戸時代の医療の歴史がよくわかる医療時代小説。

文中に出てくる「鎖肛」というのは、生まれたとき肛門がうまくつくられなかった病気で、新生児の消化管の先天異常の中で最も多い病気といわれる。原因不明で、遺伝性もないが、出生1万人に対して2~2・5人ぐらいでみられるという。

手術で治すことが可能で、もともと「鎖肛」という病名をつけたのは華岡清州であり、彼は乳がんのみでなく、鎖肛を始め鎖陰、尿道結石、脱疽、痔漏、兎唇などの手術をしたことでも知られているそうだ。

むろん本書の作者は高潔な武士の姿を書くことで知られる人だけに、そうした江戸時代の医療にふれながらも、藩主に仕える武家社会における武士とその妻、子、孫、家族をめぐる苦悩と決断、家族愛の行方を描いている。

 

本書では、女性もまた高潔で、凛とした生き方をしている。

読んでいてへー、そうなのか、と思ったのは、その当時は自分たちが拠って立つ徳川将軍や藩主に対しては全身全霊で忠誠を誓っていただろうが、天皇に対してはそれほど敬い、崇める気持ちを持っていなかったのか、「古事記日本書紀は信用していない」と登場人物に語らせているところだ。

古事記日本書紀奈良時代の同じころにつくられた歴史書で、2つ合わせて「記紀」とも呼ばれるが、いずれも天皇の支配を正当化するために書かれたもの。それを「信用していない」と一蹴しているのは、重彰の母、つまり元重の妻である登志(とし)だ。

なぜ「信用していない」かというと、鎖肛という先天性の病気で生まれた子どもの母親、つまりは重彰の妻・佐江が、「鎖肛の子を産んだのは自分の責め」と思っていることに対し、彼女をかばってこう述べるのだ。

「常と異なる子が生まれたら、それは女親のせい、というのは、記紀以来のこの国の悪しき習いですからね」

彼女がやり玉にあげるのは、古事記日本書紀に登場する「水蛭子(ヒルコ)神話」。

本書によれば、記紀には、女神(めのかみ)のイザナミ男神(をのかみ)のイザナギの間に水蛭のようにぐにゃぐにゃで手足も萎えた子が生まれたことが国産(くにう)みの段に記されている。

生まれた子は神の子として認められず、葦(あし)の舟に乗せられて海に打ち捨てられる。

その水蛭子ができた理由として、婚姻の儀式で「天の御柱」を巡るとき、イザナミが陰である左ではなく、陽である右から回ってしまったことと、イザナギよりも先に喜びの声をあげたことが、天津神(あまつかみ)から語られる。

つまり、原因をつくったのは、すべて女神のイザナミが陰である女の分を忘れたから、ということになる。日本書紀ではすぐに流さず、3年は様子を見たことになっているが、海へ流したことに変わりはない。以来、ヒルコは広く、常ならぬ子を表す言葉となってきた。

そこで、憤懣やり方ない母の登志はいうのだ。

「昔話ならいざしらず、この天保に至っても、いまだにヒルコ神話そのままの中身の教科本が出ています。ヒルコのような者が生まれたのは女のせいで、世の中の役にたたぬ者は流されても仕方がないというわけです。わたくしはその一点だけで、記紀を信用しておりません。生きる力が弱い子を、海に流す神がどこに居りますか」

何と胸のすく母の言葉だろうか。

母の登志は本書で「この天保に至っても」と嘆いているが、「不良な子孫」が生まれないように不妊手術や人工妊娠中絶を強制したりする優生保護法は、平成の時代まで存在していた。

そして、この法律の前身である「国民優性法」が成立したのは、記紀の思想が脈々と流れていた戦前の天皇制の時代である1940年だった。

この法律はどんな意味を持つか。障害を持つ子が生まれるのは不幸なことなのだから、そんな可能性のある者の生殖機能は奪ってもいい、と国が表明したということであり、人々の間にも、「産んでもいい子」と「産んではいけない子」を差別・選別する考え方を定着させたのだった。

この法律の根拠となっているのは「秀でた者の遺伝子を保護し、劣る者のそれを排除する」という優生思想。それはまさしくホロコースト(大量虐殺)につながる思想ではないか、と思うのだが。