アメリカ映画「ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング」をTOHOシネマズ新宿のIMAXレーザーで観る。
2025年の作品。
原題「MISSION: IMPOSSIBLE/THE FINAL RECKONING」
監督・脚本・製作クリストファー・マッカリー、脚本エリック・ジェンドレセン、製作トム・クルーズ、音楽ローン・バルフ、撮影フレーザー・タガート、出演トム・クルーズ、ヴィング・レイムス、サイモン・ペッグ、ヘイリー・アトウェル、ポム・クレメンティエフ、イーサイ・モラレス、ウィリアム・ダンローほか。
1996年に始まったイーサン役のトム・クルーズ主演「ミッション:インポッシブル」シリーズの第8作であり、集大成となる作品。当初は前作の「ミッション:インポッシブル/デッドレコニングPART ONE」が前編で、後編の「PART TWO」として公開される予定だったが、最終的に現タイトルに変更された。
AIプログラム「エンティティ(entity)」は、デジタル化されたすべてものにアクセスしてハッキングし、意のままにしてしまうデジタルパラサイトであり、人類絶滅と世界征服を企む悪意に満ちた最強の人工知能。
日本語字幕では「それ」と訳されるエンティティは、すべての核保有国の核兵器システムを乗っ取ろうとしてくる。それを阻止してエンティティをやっつけるためには、エンティティを殺すウイルスである「毒薬」の製造と、エンティティのソースコードが書かれているディスク「ポドコヴァ」が必要であり、「ポドコヴァ」と「毒薬」を合体させることでエンティティを葬り去ることができる。
「毒薬」はイーサンの仲間のルーサーが死を賭して完成させたが、「ポドコヴァ」は深海に沈むロシアの原子力潜水艦セヴァストポリの中にあるためそこから回収しないといけない。
何とかセヴァストポリから「ポドコヴァ」を回収したイーサンだったが、「毒薬」は、かつてはエンティティの指示で動いていたが今は自分が世界を征服しようと暗躍するナゾの男、ガブリエルが持っている。イーサンは彼を追い、ついには大空に向かっていく・・・。
上映時間169分、3時間近い作品だが、まるで長さを感じずに一気に観る。
はっきりいって物語の展開はややこしてく、ホントかしら?と首をひねるところも多い。
たとえば、イーサンは北極海で沈没し大陸棚にとどまっているロシアの原潜にたどり着き、中から「ポドコヴァ」を回収するのだが、脱出しようとしたとき原潜は滑り落ちて深海の奥深くまで落下していきそうになる。間一髪で逃れたイーサンは着ている潜水服を脱ぎ捨てて裸になり、酸素ボンベも捨てて浮上していくが、そんなところで裸になれば体は数秒ともたないし、急浮上により深刻な潜水病になるはずだが、何とか生き延び、たちまち元気百倍アンパンマン!といった感じになる。
だが、そんな非現実的なところなどまるで気にならず、映画の世界に引き込まれる。
なぜか?本作は映画の原点であるところの血湧き肉踊る活動大写真、活劇のおもしろさが満載だからだ。
活劇とは、音声のないサイレント(無声)映画作品のうち、身体表現、つまりアクションの要素の強いものをいう。というより、サイレント映画はそもそも動きでしか観客に思いを伝えられないのだから、サイレント映画すなわち活劇といっていいかもしれない。
本作での活劇シーンは海中と空中とで繰り広げられる。しかも、ここではセリフは一切なし。まさしくサイレント活劇の世界なのだ。
まず海中での活劇。沈没したロシアの原潜の中に入り込んだイーサンはエンティティをやっつけるためのディスクをゲットする。
この海中の潜水艦のシーンを撮影するため、製作チームは深さ約10m、直径約33m、容量900万ℓという巨大な水槽を用意し、その中に潜水艦のセットを設置。そこにトム・クルーズが入って、セットを回転させながら、潜水艦と格闘する彼の姿を撮影したという。
もうひとつの活劇が複葉機に乗っての空中シーン。
公開された予告編のメイキング映像には「8000フィート(約2400m)、風速140マイル(約225km/h)、CGなし」と題されていて、トム・クルーズが1930年式ボーイング・ステアマンの翼にしがみつく姿が映し出されている。「3、2、1、ゴー」の号令ととともに翼にぶつかりしがみつき、飛行機が曲芸飛行をする中、クルーズは重力と強風にほっぺたをブルブル震わせながら、翼を必死につかんでいる。
さすがに腰部分には命綱が1本ついていて、映画では命綱は消去されるのだろうが、そんな細い命綱1本で大丈夫なのか?と心配したくなっちゃうほど。
予告編では「身体的な苦痛は想像を絶する。トム本人が翼にしがみついている。視界は風で歪み、ほとんど呼吸もできない」とナレーションが流れるが、実際、クルーズはこのシーンの撮影で「何度か気絶した」と振り返っているとか。
水中、空中の想像を絶するような活劇シーンを観ていて、思い出したのが、かつてのサイレント映画のスター、バスター・キートンだった。
トム・クルーズとバスター・キートンについてはすでに2年前の2023年8月6日付の本ブログで「100年前のトム・クルーズ」と題して、少しだけ紹介しているが、本作を観てますます両者の関係の強さ・深さを感じた。
バスター・キートンは1895年生まれで1966年没。チャプリンやロイドとならんで「世界の三大喜劇王」と呼ばれた。
「偉大なる無表情」といわれ、表情を一切崩さずに行う体を張ったアクションとギャグが最大の特徴。命懸けのアクションが真骨頂で、「キートンの大列車追跡」(1926年)では疾走する蒸気機関車から落ちそうになったり、走る機関車の先頭に座って線路に落ちた材木に材木をぶつけてどかしたりして、危険すぎるほどのアクションを平気でこなしている。
当然CGなんかない時代だから、生身の人間の体を張った演技が凄まじい。
1925年の「キートンのセブン・チャンス」も同じで、ボートから川に飛び込んだり、クレーンのフックに吊り下げられて振り回されたり、断崖絶壁から飛び下りたりしている。最後は坂の上からゴロゴロ転がってくる大岩を含めて何100個もの石に追われながら、全力疾走で逃げていく。
彼は両親が舞台芸人だったので3、4歳のころから家族と一緒に舞台に立っていて、父親が彼を観客席に放り投げる荒っぽい芸もあったため、児童虐待の疑いで取り調べを受けたこともあったほど。階段から落ちたときも平気な様子だったので「バスター(頑丈な男の子、大した奴)」の芸名がついたのだとか。
彼の類まれなる身体能力は、天分もあるだろうが子どものころからの苦労により培われたものに違いない。
トム・クルーズも映画の中で全力疾走をよくやっているが、彼はキートンの全力疾走に感服していて、キートンに負けじと走っているに違いない。
なお、本作では大統領が黒人の女性、空母ジョージ・H・W・ブッシュの艦長も女性で、多様性の映画であることも好ましい。