アルゼンチンの赤ワイン「アルトゥーラ・ピノ・ノワール(ALTURA PINOT NOIR)2023」
メインの料理はピノ・ノワールにもぴったりのハンバーグとエリンギ、シソ。
ワイナリーはアルゼンチンのアンデス山脈のふもと、「太陽とワインの州」といわれるメンドーサ地区でワインづくりを行っているボデガ・ノートン。
標高の高い場所に位置する畑で仕立てるシリーズの1本で、ピノ・ノワールの繊細なタンニンによるエレガントな味わい。
ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していたアメリカ映画「ラウンド・ミッドナイト」。
1986年の作品。
原題「ROUND MIDNIGHT」
監督ベルトラン・タヴェルニエ、出演デクスター・ゴードン、フランソワ・クリューゼ、ガブリエル・アケルほか。
1950年代末のパリを舞台に、伝説のジャズ・ミュージシャンと彼の音楽を愛するフランス人との熱い友情を描いた実話を元にした人間ドラマ。
パリ、1959年。アメリカの黒人テナー・サックス奏者デイル・ターナー(デクスター・ゴードン)がパリの名門クラブ「ブルーノート」に出演するためやって来た。盛りをすぎたとはいえ、長年サックスの巨人として君臨してきたデイルの来仏は、パリのジャズ・ファンの心をときめかした。
その音を、クラブの外で雨にうたれながらじっと聴いている若い男がいた。貧しいグラフィック・デザイナーのフランシス・ボリエ(フランンワ・クリューゼ)で、彼はアパートで待っていた9歳の娘ベランジェール(ガブリエル・アケル)に「神のように素晴らしかった!」とその感激を語って聞かせる。フランシスは妻と別れ、男手ひとつで娘を育てていたのだ。
やがてデイルとフランシスは偶然の出会いから意気投合。ベランジェールもデイルに好感を持つ。デイルは酒とドラッグに溺れる男だったが、フランシスとベランジェールに支えられて、言葉を超えた深い絆で結ばれていく・・・。
本作のモデルとなったのは、モダンジャズ界の孤高の天才といわれたジャズ・ピアニストのバド・パウエル。
映画ではピアニストではなくサックス奏者を主人公にしていて、ニューヨークからやってきた初老のサックス奏者デイル・ターナーを、俳優ではなく本物のジャズ・ミュージシャン、モダン・ジャズを代表するテナー・サックス奏者のデクスター・ゴードンが演じている。
それだけに演奏シーンはすばらしいし、彼のどこか厭世的でしわがれた声が、名手といわれながら酒とドラッグで身を持ち崩していくジャズマンの雰囲気を醸し出していた。
史実では、1924年にハーレムの音楽一家に生まれたバド・パウエルは、十代のころからミュージシャンとして活躍し、とてつもなく有望な若手ピアニストだというので注目されていたようだ。しかし、彼は20歳ぐらいからひどい頭痛に悩まされ、神経を衰弱させ、ドラッグやアルコールへの依存を深めるようになっていて、その原因のひとつは、黒人への偏見に満ちた警官からひどい暴行を受け、頭を激しく殴られたことで、それによる健康上の問題は彼を生涯にわたって苦しめることになったといわれる。
健康状態が改善した1959年から64年までパリで暮らす。パリ滞在中、結核と診断され入院生活を送るが、そこから出られたのは親切なフランス人ファンのおかげで、そのファンは自宅にパウエルを引き取り、面倒をみた。このときのエピソードが本作につながっている。
5年間のパリ暮らしのあとニューヨークに戻ると、ジャズクラブに出演したりしたが、数回のライヴを行っただけで公の場から姿を消してしまう。すでに彼の体はボロボロであり、1966年の夏に死去。死因は、結核、栄養失調、アルコール依存症だったという。
彼はビバップスタイルの第一人者といわれ、「ピアノのチャーリー・パーカー」とも呼ばれていた。
先日、ワインの友で、ビバップを創生したプレーヤーの一人でサックス奏者のチャーリー・パーカーを主人公にした映画「バード」を観たばかり。そういえば「バード」でも、チャーリー・パーカーがフランスに渡り、パリで熱狂的な支持を得るシーンがあったが、アメリカのジャズメンたちはよほどパリが好きなのか、それともパリッ子のほうジャズの大ファンなのか。
実はフランスとジャズは歴史的に見ると縁が深いらしい。
ジャズの発祥地はアメリカ・ルイジアナ州のニューオリンズで、アフリカから連れてこられた黒人たちによる労働歌であるブルースがその原型といわれている。独特の悲哀を込めたその旋律は「ブルーノート」と呼ばれるが、「ブルース」も「ブルーノート」も、「哀しみ」「憂うつ」を色にたとえた「ブルー」からこう呼ばれるようになったという。
ニューオリンズを含むルイジアナの一帯はかつてフランスの植民地だった。
フランス領ルイジアナが成立したのが1682年のこと。その後一時スペイン領となるが、ふたたびナポレオン時代にフランス領となり、1803年になってアメリカに買収された。
ニューオリンズという呼び名は、植民のパトロンでもあったオルレアン公の名をとってフランス語で「ヌーベル・オルレアン(Nouvelle Orléans)」と命名されたのに由来する。ルイジアナという地名も、ときの国王ルイ14世にちなんだものだ。
アメリカの奴隷制度は16世紀のころから始まっているといわれる。アフリカからの奴隷貿易を独占していたのははじめはポルトガルやスペインだったが、オランダ、イギリスなどとともにフランスも参入し、仏領だったルイジアナなどの農園に奴隷が送り込まれていた。過酷な労働の日々の中で、労働者たちが歌う歌がやがてジャズへと発展していくのだが、そこにはフランスの文化も多少は寄与していて、フランス人はどこか親近感を覚えるのかもしれない。
そういえばフランス人がこよなく愛するシャンソンも、労働者や下層階級の人々が日常の生活や愛をうたう庶民の歌であり、旋律も歌の内容もブルースに近い感じで、ジャズと共通するところがあるような気がする。
第二次世界大戦後、アメリカのジャズメンが積極的にフランスに渡って演奏活動を行うのは、人種差別の問題も関係しているかもしれない。
かつて奴隷貿易で金儲けしていたフランスだったが、「自由・平等・友愛」を掲げたフランス革命後の1794年、国民議会で「すべての植民地における黒人奴隷制の廃止」を宣言する。この宣言は、イギリスやスペイン、ポルトガル、オランダなど黒人奴隷制の植民地を持っていたほかのヨーロッパ諸国や、独立後も黒人奴隷制を維持し続けていたアメリカなどに先駆けたもので、フランス革命が成し遂げたもののひとつとされる(ただし、その後もナポレオンが復活したりしたので最終的に廃止されたのは1848年になってから)。
第二次大戦下、フランスを占領したナチスドイツがジャズを下品な音楽として禁じたときも、レジスタンスの若者たちの間でひそかに流行したのはジャズだったともいわれる。
戦後、アメリカにおける黒人差別は、なくなるどころかますます苛烈になっていった。自由・平等の精神にもとづき、黒人を差別せず、表現者として対等に付き合うフランスに、ジャズメンたちが憧れたのは当然のことだったのではないだろうか。
タイトルの「ラウンド・ミッドナイト」は、ジャズ・ピアニストとして名高いセロニアス・モンク作曲の「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」にバーニー・ハニゲンが歌詞をつけたジャズのスタンダード曲のこと。モンクはたびたびフランスをはじめヨーロッパに渡って演奏活動を行っていて、「パリが誰よりもよく似合うジャズマン」と評する人もいる。