善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「モ’・ベター・ブルース」「パリの調香師」

イタリア・プーリアの赤ワイン「ネプリカ・プリミティーヴォ(NEPRICA PRIMITIVO)2022」

600年以上の歴史を持つというイタリアの老舗ワイナリー・アンティノリが、イタリア南部のアドリア海に面したプーリア州で手がけるワイン。

プーリア州の代表的なブドウ品種プリミティーヴォ100%。

ほどよい渋みと酸味によるバランスのとれた味わい。

 

ワインの友で観たのは、民放のBSで放送していたアメリカ映画「モ’・ベター・ブルース」。

1990年の作品。

原題「MO' BETTER BLUES」

監督・脚本スパイク・リー、出演:デンゼル・ワシントンスパイク・リーウェズリー・スナイプス、ジョイ・リー、シンダ・ウィリアムズほか。、

ブリーク・ギリアム(デンゼル・ワシントン)は人気上昇中のジャズ・トランペッター。幼いころから教育熱心な母親にトランペットを与えられ、辛い練習の末にプロのトランペッターに成長していた。

しかし、彼は才能には恵まれているが、音楽に熱中しすぎる余り、いつも自己中心的な考え方しかできず、二股をかけた恋人やバンドの仲間たちを惑わせていた。

そんな彼であっても、バンドのマネージャーで幼馴染のジャイアント(スパイク・リー)とは切っても切れない縁を感じていて、ある日、ギャンブルで借金をつくったジャイアントが闇組織の男に暴行されるのを救おうとして、トランぺッターの命ともいえる唇に致命的な怪我を負ってしまう。

音楽の道を絶たれたブリークは失意の日々を過ごすが・・・。

 

登場人物はほとんど黒人で、監督も黒人のアイデンティティを問い続けているスパイク・リーの作品であり、トランペッターとしての道を断たれたことにより、自己を見つめ直して“至上の愛”を見つけ出す物語。

主人公のデンゼル・ワシントンが見事なトランペットの演奏を披露している。もちろん音は本物のトランペッターが吹いてる音だろうが、少なくとも指の動きは遜色なく、思わず見入ってしまう。彼は半年間、トランペットの特訓を受けたという。

 

タイトルの「モ’・ベター・ブルース」とはどんな意味か?

監督・脚本・出演のスパイク・リーはジャズ・サクソフォーン奏者のジョン・コルトレーン(1967年40歳で没)が好きで、彼の「至上の愛」という作品からヒントを得て、ラブストーリーとジャズを組み合わせた映画をつくろうと考えたという。

タイトルも「至上の愛」としたかったが、未亡人の許可が得られず「モ’・ベター・ブルース」となったという。

 

「モ’・ベター(mo'better)」の「mo'」は「more」の短縮形だから、われわれ日本人は「モアベター(more better)」、つまり「よりよい」という意味かなと思ってしまうが、実は「モアベター」は和製英語なのだとか。

昔、“小森のおばちゃま”で人気だった映画評論家の小森和子さんが、テレビの映画放送かなんかのときに番組の終わりで「来週はモアベターよ」といっていて、それで日本人は「モアベター」を覚えてしまった。

しかし、「モ’・ベター・ブルース」の「モ’・ベター」はスパイク・リーの友人の口癖の言葉だそうで、いやらしいことを意味するものらしい。

とすると一種のスラングで、遊び心でつけたタイトルだろうか。あまり意味を深く考えないことにしよう。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のCSで放送していたフランス映画「パリの調香師 しあわせの香りを探して」。

2019年の作品。

原題「LES PARFUMS」

監督 グレゴリー・マーニュ、出演 エマニュエル・ドゥボス、グレゴリー・モンテル、セルジ・ロペスほか。

 

舞台は花の都パリ。世界中のトップメゾンの香水を手がけてきた天才調香師アンヌ(エマニュエル・ドゥボス)。しかし4年前、仕事へのプレッシャーと忙しさから嗅覚障害になり、地位も名声も失ってしまう。

嗅覚が戻った現在は、なじみのエージェントから紹介される地味な仕事だけを引き受け、パリの高級アパルトマンでひっそりと暮らしていた。そんな彼女に運転手として雇われたのは、離婚して娘の親権を奪われそうな上に仕事も失いかけていたギヨーム(グレゴリー・モンテル)。

彼はわがままなアンヌに振り回されながらも正面から向き合い、彼女の心を少しずつ開いていく。ギヨームと一緒に仕事をこなすうちに、新しい香水を作りたいと再起への思いを強くするアンヌだったが・・・。

 

ディオールの撮影協力とエルメスの専属調香師の監修で実現した映画という。

フランスでは、調香師のことを尊敬の念をこめて「鼻」を意味する「ネ(nez)」と呼ぶんだそうで、一流の鼻を持っている人、ということらしい。

「パリといえば香水」といわれるほどの香水文化が根づいているのがパリだが、なぜそう呼ばれるようになったかというと、パリの街の不衛生が原因との説もあるらしい。

今ではオシャレな街のイメージがあるパリ。しかし、19世紀まではものすごく不潔な街だったという。

14歳の時にフランス皇太子ルイ(後のルイ16世)と結婚し、故郷のオーストリアからフランスのベルサイユ宮殿に移ったマリーアントワネットがパリにやってきたころ、上水道はまるで不備で(パリに下水道網が張りめぐらされるようになったのは19世紀になってから)、トイレもなく、道路や広場は糞便で汚れ放題だったという。

貴婦人たちのスカートは、どこでも用を足せるように裾が広がった形になっていて、ハイヒールも、汚物のぬかるみでドレスの裾を汚さないために考案されたものだとか。ホントかしら?

また、2階や3階の窓からしびん(寝室用便器)の中身が道路に捨てられるので、その汚物をよけるためにマントも必要になった。このため紳士は、頭上から降る危険から淑女を守るため女性が真ん中を歩くようにエスコートする習慣ができた、という信じられない話まである。

この時代、ベルサイユ宮殿には王さまはじめ約4000人が住んでいたと推定されているが、腰かけ式便器は274個しかなく、このため、豪華絢爛な舞踏会のときは携帯用便器(おまる)が必須となり、便器にたまった汚物は召使いたちが庭に捨てていたという。

その上、当時は服もあまり洗濯しなかったし、お風呂に入る習慣もなかったといわれる。国王ですら、一生に3回しか入浴しなかったという記録があるほどだとか。

その理由はひとつは宗教上の問題で、当時のキリスト教の教えでは、いかなる肉欲も厳禁であるという理由で、肉体をさらす入浴は罪深い行為とされ、公衆浴場、自家風呂は消え失せた。風呂に入ると梅毒などの病気にかかりやすくなるとの迷信まであったといわれる。

そんなわけで、不衛生による体臭をごまかすため、金持ちたちは香水を大量にふりかけていて、香水の発達にはこんな事情があったのだとか。

 

いまでもパリのホテルでは(パリだけでなくヨーロッパの多くの国でそうだが)、バスタブなしでシャワーだけというところも少なくない。

ただしそれは、日本のような高温多湿の国では風呂は欠かせないが、ヨーロッパはサラリと乾燥した気候なので風呂に入らなくてもすごせるということもあるだろうから、決して不衛生というわけではない。念のため。