日曜日の夕方、東京・三軒茶屋の世田谷パブリックシアターへ。
今年1月の国立能楽堂での狂言の野村万作がとてもよかったので、世田谷パブリックシアターで開催の狂言劇場に万作が出演するというので出かけていく。
世田谷パブリックシアターでの狂言劇場は、同シアターで芸術監督をつとめる野村萬斎の企画で2004年にスタートしたシリーズで、今回はその9回目という。
萬斎ファンが多いのか1階席はほぼ埋まっていて、圧倒的に女性が多い。
ここで2つの狂言をみて不思議な体験をした。
プログラムは「武悪(ぶあく)」と「法螺侍」の2本立て。「武悪」は古典作品で出演は野村万作、石田幸雄、野村太一郎。「法螺侍」は新作(といっても何年も前の作品だろうが)で出演は野村萬斎、野村裕基、中村修一、高野和憲、内藤連、深田博治ほか。
まず「武悪」は、なかなかドラマチックでユーモアたっぷりの作品。おっとりした感じの武悪役の万作が絶妙で、おかしいところが何度もあって笑ってしまった。これぞ狂言の世界。
ところが、続く新作の「法螺侍」は、笑うべきところが随所にあって、というより観客を笑わせるためにつくられたといってもいい作品なのだが、少しもおかしくないのだ。
これはなぜだろう?
思うに、「武悪」は狂言の歴史とともに歩んできた作品であり、物語には時代背景もあり、見ていてごく自然に笑いがにじみ出てくるようなところがある。
古典作品の魅力がまさにそこにある。
ところが、ごく自然に笑える「武悪」をみたあとに「法螺侍」をみると、「さあ笑ってください」と押しつけがましくいってるように思えて、笑いが生まれてこないのだ。
「武悪」はこんな話だ。
武悪とは主に仕える人の名。このところの武悪は不奉公というので主人は太郎冠者に武悪を討ち取ってくるよう命ずる。武悪と太郎冠者は幼なじみでとても討ち取る気持ちにはなれないのだが、主人の命令とあってやむなく出かけていく太郎冠者。
正面からではやりにくいので、たばかって武悪を討とうとして、川魚を献上させることにして武悪が捕っているところを、うしろから斬り殺そうとする。びっくりした武悪、始めはたばかって殺されることに怒り心頭だが、やがて主の命ならと首を差し伸べる。しかし、太郎冠者は武悪を斬ることができず、泣きながら、斬ったことにするから見えぬ国へ行け、と逃がしてしまう。
館に帰った太郎冠者は、主人に討ち果たした伝えると大喜びで、東山へ遊山に行こうと太郎冠者を従えて出かけていく。
一方、武悪はというと、命が助かったのは清水寺の観世音のおかげ、見えぬ国に行ったら二度と参詣できないからと清水寺に向かうと、鳥辺野(とりべの)のあたりで両者は鉢合わせしてしまい、互いにびっくり。
太郎冠者のとっさの入れ知恵で武悪は幽霊になりすますと、主人は急に怖気づく。そこで武悪は、あの世であなたさまの父親に会い、息子から太刀や扇を受け取ってくるよう頼まれたといって、太刀などを取りあげる。さらに、あの世へ連れてくるようにと伝言されたといって、あわてふためく主人を追い立てて退場。
前半は家来を斬り殺させようという深刻な話。それが一転して後半は幽霊までが出る喜劇。
舞台背景もなかなか興味深い。
武悪と主人が鉢合わせする東山の鳥辺野は、平安京のころの三大葬送地の1つで(ほかに西の嵯峨野化野、北は蓮台野)、そのころ京都人は、エライ人は火葬にしたかもしれないが、庶民は人が亡くなると鳥辺野に野ざらしにしてあの世へ送った。そのまま朽ちるに任せる風葬が主で、飛んできた鳥がついばむので鳥葬とも呼ばれたらしい。鳥辺野という地名も風葬、鳥葬に由来があるかもしれない。
清水寺は、鳥辺野に野ざらしにされた人々を供養するために建てられたのが始まりとの説がある。また、「清水の舞台」といわれるほど本殿が高い所にあるのは、野ざらしの死体のにおいがあまりにも強烈だったため、においがとどかない高所につくられたともいわれているし、「清水の舞台」が突き出しているのは死体を投げ捨てるためだったという、何とも怖い説まであるらしい。
一方で東山あたりは物見遊山の景勝地であり、主人は浮かれた気分で東山に向かおうとしていて、武悪はしょんぼりと東山のふもとにある清水寺に向かおうとして、葬送の地である鳥辺野でバッタリ出くわし、幽霊話にまで発展していく。
そんな“事情”を知っている昔の人は、両者の対比がおもしろく、途中から立場が逆転する様(さま)をみて笑い転げたのかもしれない。
後半の「法螺侍」はシェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」が原作で、この作品や「ヘンリー四世」に登場する酒好きで女好きで太鼓腹の騎士、ファルスタッフをモデルにした作品。
作者は英文学者でシェークスピア研究の第一人者だった高橋康也。
途中、三味線の曲弾きならぬ、笛の“曲吹き”があり、これがすばらしく感動的。一噌(いっそう)幸弘という人の笛のようだが、あまりにもすばらしくて、歌舞伎や文楽だったら万雷の拍手がわき起こるところ。しかし狂言では途中の拍手は御法度なのか、みんな黙って聴いていた(狂言は新参者の当方、勝手に手をたたくわけにもいかず、何とも残念)。
帰って調べたら、一噌幸弘は安土桃山時代から続く能楽一噌流笛方で、初舞台は9歳のときというから、能楽の笛の申し子みたいなスゴイ人だった。
ちなみにフォルスタッフをモデルにした作品は文楽でもやっていて、題名は「不破留寿之太夫」。監修・作曲は鶴澤清治で、脚本は「法螺侍」の作者、高橋康也の娘さんの夫の河合祥一郎だった。