善福寺公園めぐり

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国立能楽堂 狂言の会

東京・千駄ケ谷国立能楽堂国立能楽堂開場40周年記念の狂言の会(9月22日)。

前々から山本東次郎を観たくて機会を待っていたが、ようやく実現。一番前の席のかぶりつきで堪能できた。

演目は、大蔵流「末広かり(すえひろがり)」、和泉流「鬮罪人(くじざいにん)」、大蔵流「獅子婿(ししむこ)」。

山本東次郎が出演したのは最後の「獅子婿」で、山本東次郎家のみに伝わる「秘曲」とされている。

山本東次郎は今年86歳。その声は意外と若々しくて凛としていて、どっしりとしてるように見える体に似合わず身のこなしの軽やかなこと。きのう観てますますファンになった。

 

まずは大蔵流「末広かり」。「かり」の字に濁りはないが、声に出すときは「すえひろがり」と読む。出演はシテ(果報者)善竹十郎、アド(太郎冠者)善竹大二郎、アド(すっぱ)善竹忠重ほか。

ある果報者(金持ち)が、親族一同を集めた宴会を催し、その席で長老に対し末広がり、つまり扇を贈ろうと思いつく。家来の太郎冠者を呼びつけ、「都へ行って、良質な地紙で骨に磨きがかかり、すっきりとした戯れ絵(ざれえ)が描かれている末広がりを買い求めよ」と命じる。

太郎冠者は都へ行くが、末広がりとは何かを知らず、どこで売ってるかも聞かなかったことに気づいて困った挙げ句、物売りを真似て「末広がりを買おう」と呼び歩く。

そこにあらわれたのが都のすっぱ(詐欺師)。言葉巧みに「これが末広がりだ」と古傘を売りつけようとする。「紙と骨はよいが、絵がないではないか」という太郎冠者に対し、「絵ではない、柄(え)のことだ」といいくるめるので、太郎冠者は喜んで大金を支払い、傘を買う。するとすっぱは帰ろうとする太郎冠者を呼び止め、「もし主の機嫌が悪いときはこれを謡うとよい」と囃し物を教える。

太郎冠者が得意げに帰ってくると、主人は持ち帰った古傘を見て大激怒。末広がりとは扇のことと知って太郎冠者は自分が騙されたことに気づく。あきれた主人は太郎冠者を追い出してしまう。がっかりした太郎冠者、すっぱに教わった「主の機嫌が直る囃子物」を舞い謡う。

「傘をさすなる春日山、これも神の誓いとて、人が傘を差すなら、われも傘を差そうよ。げにもさあり、やようがりもさうよの・・・」

太郎冠者の滑稽な舞にいつしか主人の機嫌も直り、太郎冠者と一緒になってにぎやかに舞を舞う。

 

奈良の春日山は「御笠山」とも呼ばれ、ふもとにあるのが春日大明神(春日大社)。扇と傘は「神の誓い」つまり「紙の違い」であり、「傘を差すなる春日山」とあるように「春日」は「貸す」の掛詞ともなっていて、春日大明神が日差しや雨を避けるために傘を貸しましょう、人々を守ってあげましょう、という意味が込められているといわれる。

ということでこの狂言は「末広がり」というめでたい曲名ともに、祝言の代表曲とされている。

 

言葉遊びがとても愉快な狂言。この狂言がつくられたのは室町時代末から近世のはじめのころといわれる。ということは400年も前につくられたということになるが、現代人が観ても大いに笑い転げるような楽しい作品だ。

 

続く狂言は、和泉流「鬮罪人(くじざいにん)」。

シテ(太郎冠者)三宅近成、アド(主人)三宅右矩、立衆(客)三宅右近ほか。

 

今年の祇園会(ぎおんえ)が近づき、町内の当番の主人が山車(だし)の上の出し物をどうしたらいいか相談するため町内の人たちを集めることになるが、使用人である太郎冠者には「お前は口が達者でいらぬ口を叩くことが多いから、きょうはでしゃばってはならぬぞ」と釘を刺しておく。

町内の人たちとの相談が始まり、主人が「新田四郎がイノシシに乗ったところはどうか」というと、みなは賛同するが、太郎冠者は「かっこがよくない」などと口をはさむ。客の一人が「相撲をとるのはどうじゃ」というと、再び太郎冠者が「山の上で相撲なんて聞いたことがない」と口をはさむ。「コイの滝登りはどうじゃ」というと、これにも「めずらしくない」と口をはさむ。

「それほどいうなら何か考えがあるのか」と太郎冠者に尋ねると、「山を2つつくって地獄に見立て、鬼が罪人を打ち据えるのはどうか」と提案するとみなが賛同し、それに決まる。

主人はしぶしぶ同意して、クジで配役を決めることになり、「わしは笛だ」「太鼓だ」と次々に決まっていく。残るクジは鬼と罪人となり、主人は罪人を引き当て、鬼は太郎冠者。

稽古が始まると、太郎冠者は罪人役の主人を打ち据える。主人は怒るがみなはなだめる。本番に備えて衣裳を着ての稽古では、太郎冠者はまた強く打って、ついには主人を突き飛ばしてしまう。いよいよ怒った主人が太郎冠者を追いかけて一同退場。

 

いつもは主人にこき使われている太郎冠者が、「いかに罪人急げとこそ」と主人を責めるところが見せ場だが、「鬮罪人」という題名が気になった。

「くじ」という字には「籤」と「鬮」があり、ふつうよく使われるのは「籤」のほうだ。

白川静の「字通」によると「籤」はもともと「神意を問うおみくじの類」のことで、「竹を細く鋭く裂いたもの」の意もあるが、これらが元となって「ためす」「うらなう」「おみくじ」となった。

一方、「鬮」はもともと「格闘して取ること」の意味であり、のちに「くじ」の意に用いられるようになったという。

本曲でも、くじびきは運任せではなくたたかいであり、「争って取る」というので「籤罪人」ではなく「鬮罪人」という題になったのかもしれない。

 

長くなっちゃったので山本東次郎出演の「獅子婿」については明日に続く。