善福寺公園めぐり

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国立能楽堂 狂言の会 つづき

国立能楽堂開場40周年記念の狂言の会のつづき。

最後は大蔵流「獅子聟(ししむこ)」。

シテ(舅)山本東次郎、アド(婿)山本凛太郎、アド(太郎冠者)若松隆、アド(又六)山本則秀ほか。

 

結婚後初めて聟が妻の実家へ挨拶にくる「聟入」の日。舅は、きょうは最上吉日で聟殿がやって来るというので太郎冠者に掃除をいいつける。

やがて、聟は召使の又六に酒肴を持たせて舅の家を訪れ、祝儀の盃ごとのあと、舅は聟にこの土地の習わしであるというので獅子舞を所望する。

舅が又六の尋ねに応じて、その勇気を試し悪魔を払うという獅子舞の由来を語るうち、聟の扮する獅子が現れ、めでたく舞いが始まると、舅もそのおもしろさに引かれ、婿とともに舞い納める。

 

山本東次郎家のみに伝わる「秘曲」とされている。

かつて山本東次郎が語ったところによると、曽祖父である初世山本東次郎が元津藩主だった藤堂家から一代限りという約束で藤堂家の秘曲「獅子聟」を伝授されたのが明治17年1884年)のこと。

以来、上演することなく稽古だけは代々伝えられてきたが、山本東次郎が昭和47年(1972年)に四世を襲名するにあたって、ぜひとも「獅子聟」を復曲したいと切望し、藤堂家当主を訪ね上演の許しを得て、この曲を復曲して四世を襲名したとの逸話が残る。

 

狂言方が舞う勇壮な獅子舞が見どころ。

能にも「石橋(しゃっきょう)」や「望月」のように獅子舞があるが、能では獅子が象徴的に描かれているのに対して、狂言では獅子という霊獣の本質を描こうと、よりリアルでダイナミックな動きが特徴という。

若獅子が自慢げにたてがみを振り立てる「たてがみ巻き上げ」、親獅子が子の増長を戒め、谷に蹴落とす「谷落とし」、必至に這い上がってくる「谷上がり」、登り切って汚れた髪を清流で洗う「髪洗」など、それぞれ動きの型がある。

親獅子が子獅子を谷底へ落とすのは子の勇気を試すためだが、かなりアクロバティックな動きが必要とされている。

「獅子聟」という題名の通り、舅が聟に試練を与え、聟の勇気と技量を試し、本物の親子になっていくところを表現するのがこの曲の眼目といえるだろう。

 

婿は赤獅子、舅は白獅子となって舞うが、能の「石橋」の紅白の獅子に似ている。紅白の頭に扇と覆面という獅子の扮装は、能の「望月」の中で舞われる獅子舞と似た扮装となっている。

狂言の獅子は能の獅子を模したものといわれるから、「石橋」や「望月」を参考に、狂言の趣を加えて独特な動きになっているようだった。

この「獅子聟」がいつ、つくられたかはわからないが、「石橋」については、はっきりしたことは不明なものの世阿弥あるいは観世元雅の作ではないかといわれている。

2人が活躍したのは室町時代のころだから今から600年近くも昔のことだ。

 

獅子舞の獅子とはライオンのこと。しかし、日本にライオンはいない。それなのになぜ獅子舞かというと、中国にルーツがあると考える人が多いようだが、獅子舞のルーツは中国ではない。中国よりもっと先の、インドであり、チベットである。

紀元前3世紀のころ、インドを統一したアショカ王が仏教を広めるためにつくった石柱がある。

(写真は石柱のレプリカ)

それには王の権威の象徴として獅子が彫られている。獅子とは、インドに生息するインドライオンが元になっている伝説上の生きものであり、霊獣として崇められていたのだ。

インド最北のラダックという標高3000mを超える地域は今もチベット仏教が盛んだが、ここにかつて存在していたラダック王国の守護神はスノーライオンだった。

能の「石橋」でも狂言の「獅子婿」でも、「獅子は文殊菩薩の使い」とのセリフがある。

 

もともと獅子舞は仮面劇にその源を発する。

仮面劇といえば能だが、能のルーツもインドにある。

世阿弥は「風姿花伝」の中でこう述べている。「申楽(能の元の形)はインドに始まり西域・中国を経て日本に伝来した」

申楽の元と考えられる伎楽も仮面劇であり、天平勝宝4年(752年)、奈良時代東大寺大仏開眼供養で上演されるなどして、正倉院にはそのとき使用された伎楽面も残っているが、その起源はインドやチベットとされ、そこから中国、さらには朝鮮半島百済を経由して日本に伝わったという。

天平勝宝4年の大仏開眼供養のとき、インド、チベットの影響を受けた仮面劇の1つとして舞われたのが獅子舞であり、今日の獅子舞の原型といえるものだ。

さらに獅子舞は庶民の芸能として広まっていって、1200年ほど前の平安初期に存在したさまざまな「楽(がく)」を描いたとされる「信西古楽図(しんぜいこがくず)」には、獅子舞の様子がリアルに描かれている。

つまり、獅子舞とは本来、仏教の教えを世に広める儀式の1つだった。それがのちの世になって新年の祝いなんかでも舞われるようになったが、宗教性の本質は変わっていない。

歌や踊りというのはもともと神との交流や鎮魂のためだったのだから、舅と婿が舞う獅子舞を見ていて、厳粛な気持ちになっていくのはそのせいなのかもしれない。

 

午後5時半開演で終わったのが8時すぎ。

帰りはJR荻窪駅南口近くの居酒屋「おざ」で軽くイッパイ。

サッポロ赤星ビールのあとは日本酒で、秋田の「花邑 純米吟醸・雄町」と長野の「大信州 特別純米・辛口」。

料理は、お通しに始まって、刺し身盛り合わせ、その他いろいろ。

ゴキゲンで帰宅。