善福寺公園めぐり

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「神歌」に祝福され團十郎襲名特別公演

東京・東銀座の歌舞伎座で「十三代目市川團十郎白猿襲名披露記念・歌舞伎座特別公演」。

7日から始まる「市川海老蔵改め十三代目市川團十郎白猿襲名披露・十一月吉例顔見世大歌舞伎(八代目市川新之助初舞台)」に先立ち、31日と1日の2日間だけの特別公演。

團十郎の復活は、2013年2月に海老蔵の父である十二代目が亡くなって以来9年8カ月ぶり。当初、20年5月に襲名が予定されたがコロナ禍により延期されていた。

歌舞伎座の正面玄関上には、毎年、十一月吉例顔見世大歌舞伎のときに組まれる櫓があった。

特別公演ではまず、能楽師観世清和、観世三郎太らによる謡の「神歌(かみうた)」。

7日から始まる襲名披露興行の関係者らが舞台に並び、そろって手締めを行う「顔寄せ手打式」のあと、新團十郎の最初の舞台は歌舞伎十八番の「勧進帳」だった。

その出演陣が豪華。

武蔵坊弁慶市川團十郎白猿、富樫左衛門・片岡仁左衛門源義経坂東玉三郎

義経の四天王は亀井六郎中村鴈治郎片岡八郎中村芝翫駿河次郎片岡愛之助常陸海尊片岡市蔵。太刀持音若は菊之助の息子の尾上丑之助

 

今回の公演から、客席から舞台に屋号などのかけ声をかける「大向う」が再開。ただし許されるのは一般客ではなくて、劇場指定の関係者のみというが、「成田屋!」「松嶋屋!」のかけ声を聞くと、歌舞伎を観てる~!という気分になれる。役者も気分がいいだろう。


仁左衛門の息子の孝太郎が書いているブログによると、「勧進帳」は仁左衛門の最後の富樫ではないかという。

富樫上演者としては最高齢らしい。今年78歳。しかし、年齢を感じさせることはまるでなく、この2日間でも型を工夫し変更して挑戦する姿を見せていたという。

きのうでも弁慶の團十郎に向かってたたみかけるところなんか口跡もはっきりしてわかりやすいし、気迫がこもっていてグイグイと引き込まれる。

團十郎以上に拍手が多かったのは、團十郎を祝いたい気持ちはやまやまなれど、芸は芸、ということなのだろう。

玉三郎義経が絶品。

奥州へ落ちのびていく義経の悲しみが表現されていて、思わず目頭が熱くなる。

團十郎の弁慶の「飛び六方」は見どころ十分だった。

若いだけに力強いし、“にらみ”はお家芸だけに目力がすごく、迫力があった。

 

ところで今回、とても感銘を受けたのが観世流宗家の観世清和らによる「神歌」だった。

現在演じられる能楽の曲目(作品)は観世流ではおよそ210曲とされている。これらの曲に属さず、「能にして、能にあらず」といわれ、天下泰平・国土安穏・五穀豊穣を祈る神事と位置づけられているのが「翁」という作品で、この「翁」を謡で上演するのが「神歌」だ。

儀式的・祝儀的要素が色濃く、演者は“神の使い”と考えられ、上演の前の一定期間、精進潔斎をして舞台に臨むのだとか。

神聖な曲として、年始や慶事など特別なときに上演されるらしいが、歌舞伎は能や狂言を元にしているだけに、先輩からの歌舞伎界への、“門出”を祝う思いが込められているようだ。

冒頭からの謡の言葉が耳に残った。

「とうとうたらりたらりら、たらりあがりららりとう」とシテの翁が謡えば、地謡が「ちりやたらりたらりら、たらりあがりららりとう」と受ける。

ツレの千歳は「鳴るハ瀧乃水、鳴るハ瀧の水、日ハ照るとも」とあって、地謡は「絶えずとうたりありうとうとうとう」。

ハテ、「とうとうたらりたらりら」とはいったい何ぞや?

「鳴るハ瀧乃水」とあるから滝の流れ落ちる音だろうか。

「とうとうたらりたらりら」は何か?と昔から疑問に思われているらしくて、その意味するところについては諸説あり、ひとつの説として陀羅尼(だらに)歌ではないかというのがある。

陀羅尼とは、長文の梵語サンスクリット語)を原語のまま唱えるものもので、いわば呪文のようなもの。

以下は「『とうとうたらりたらりら』は陀羅尼歌か――〈翁〉冒頭句の起原をめぐって」と題する明治学院大学の池上康夫名誉教授の論文からの孫引きだが、この論文がなかなかおもしろい。

それによると、能楽研究者の能勢朝次は、興福寺維摩会や修正月会・修二月会などの法会のあとに、寺の芸能僧である呪師によって演じられる歌舞として伝わってきたのではないか、としているという。つまり、一種の仏教的な呪文が「とうとうたらりたらりら」だというわけだ。

一方、文部省唱歌「故郷」「朧月夜」の作詩でも知られる国文学者の高野辰之は、笛や篳篥(ひちりき)の音だとして、「とうとう」は笛の音、「たらりたらりら」は篳篥の音の訛りである、というようなことをいっている。江戸時代の儒学者荻生徂徠歴史学者の吉田東伍も同じような意見だったらしい。

また、日本人として初めてチベットへの入国を果たした僧の河口慧海は、チベットの陀羅尼歌が聖徳太子の時代に日本に伝えられた可能性があるとして、「とうとうたらりたらりら」のチベット語説を唱えている。

さらに、韓国の伝統的仮面劇の中には、白髪白髭の老主人公が登場するときに「テルテルテ、ティルティル、ティヨラ」と囃したてる擬音があるという。白髪白髭の老主人公というのは日本の能の翁に似ているし、擬音の内容も「とうとうたらり」と似ている。

また韓国の民謡には楽器の擬音を呪文のように唱える例が多く、悪魔払いや慶事のときにうたわれる巫歌の中には「タロンタルリ、テロンティルオリ、アウティルォンディルオルタロリ」など「とうとうたらり」と似たような音が出てくるものがあるという。

当の能の世阿弥はどう考えていたかというと、彼は猿楽の起源を釈迦が生きていたころのインドにもとめ、インドから中央アジアや中国を経て日本にまで伝来したと考えているというから、やはり「とうとうたらりたらりら」には、舞楽曲の笛や篳篥の音に似せつつも、インド起源の仏教の呪文的な意味が込められているのかもしれない。

もしも「とうとうたらりたらりら」が祈りの言葉であり、神の声とするなら、能や歌舞伎はもともと神事から始まっているだけに、新團十郎の門出にふさわしい曲といえるのではないだろうか。