善福寺公園めぐり

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十二月大歌舞伎 新版 伊達の十役

歌舞伎座「十二月大歌舞伎」第1部「新版 伊達の十役(しんぱん だてのじゅうやく)」を観劇。

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仁左衛門菊五郎と並んで歌舞伎界で一番に贔屓にしていた吉右衛門の突然の訃報を聞いたばかり。

今年1月の歌舞伎座の正月公演で「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助役で観たのが最後だった。

77歳。長生きも芸である、ともいえる歌舞伎役者としては早すぎる死だった。

亡くなったのは11月28日。その日は孫の丑之助(菊之助の息子で将来が嘱望されている)の8歳の誕生日だったという。

 

気を取り直して舞台を観る。

「伊達の十役」は通称で、正しくは「慙紅葉汗顔見勢(はじもみじあせのかおみせ)」。

「恥も外聞もなく、真っ赤になって汗をかいた顔を見せる」という意味らしいが、文化12(1815)年、七代目團十郎初演で、鶴屋南北の作。

伊達騒動を扱った歌舞伎狂言はいくつもあるものの、一番の人気狂言となったのが安永6(1777)年、大坂で初演された「伽羅先代萩」。そのパロディーとしてつくられたのが本作で、一人で十役の早替わりを演じて喝采を受けるところが“ミソ”というのでこんな題になったのだろう。

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久しく上演が絶えていたのを昭和54(1979)年に三代目市川猿之助(現・市川猿翁)が復活狂言として上演した。しかし、台本は残ってなくて、復活上演にあたってはさまざまな文献をもとに猿之助がかなり“創作”しているところがあるだろうから、南北物というより猿之助物といえるかもしれない。

それなら「伊達の十役」の題がふさわしく、その題のとおり、一人の俳優(猿之助)が、見た目はもちろん性格も性別もまるで違う10の役を次から次へと替わりながら演じるところが一番の見どころ。

 

猿之助が演じたのは、乳母政岡、松ヶ枝節之助、仁木弾正、絹川与右衛門、足利頼兼、三浦屋女房、土手の道哲、高尾太夫の霊、腰元累、細川勝元の十役。

序幕では「伽羅先代萩」で有名な「奥殿」「床下」の場をドラマチックな展開で見せ、大詰は「間書東路不器用(ちょっとがきあずまのふつつか)」と題して、猿之助の早替わりで登場人物が次々と入れ替わる舞踊劇。

最後のほうでは、傘とゴザとですれ違っただけでもう早替わりしてたという、目にもとまらぬ速さで、「どうなってるの?」と目がテンになった。

 

まさしく、猿之助劇場といえるような舞台だった。