善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

「聖なる犯罪者」の澄んだ瞳

ポーランド・フランス合作の「聖なる犯罪者」を観るため新宿武蔵野館へ。

 

コロナ感染が拡大する中、「不要不急の外出」の自粛がいわれる。「不要不急の外出」って定義がはっきりしないが、少なくとも映画を観にいくのは「不要不急」ではない。

芸術・文化は人が生きていく上に必要な「栄養」のひとつであり、万全の感染予防を施しながら「栄誉」摂取のために出かけていく。

 

なかなかよくできた映画だった。

唐突に終わるラストシーンは、映画が終わったあと、なぜ? どうして? 彼(主人公のダニエル)はこれからどう生きていくの? と見る者を自問自答させる。

 

2019年製作。ポーランド・フランス合作映画。 原題「Boze Cialo」

直訳すれば「神の体」、日本語では「聖体」と訳されるという。

 

監督ヤン・コマサ、出演バルトシュ・ビィエレニア、エリーザ・リチェムブル、アレクサンドラ・コニェチュナ、トマシュ・ジィェンテクほか。

 

ポーランドを舞台にした、実話を元にした映画だという。

少年院に服役中のダニエルは、前科者は聖職に就けないと知りながらも神父になることを夢見ていた。しかし、出所したあとの就職先として決まっていたのは製材所だった。バスに乗って製材所のある町に向かい、一歩、仕事場に足を踏み入れようとしたとき、彼は回れ右をして周辺をさまよう。

やがて視線の先に村の教会の塔が目に入り、いつしかそこに足が向いていく。

神父の家を訪ねると、その神父はアルコール依存症で、ダニエルは若い神父と間違われた上、病気の治療を受けないといけないので数日間でいいから代わりをやってくれないかと頼まれる。

 

本当はやりたかった神父の仕事。彼はつい引き受けてしまう。

彼は少年院で熱心にミサに参加していたから多少の知識はある。信者たちからの告解の際も、相手からよく見えないのを幸いにスマホの問答集を片手に、子育てに悩む母親にアドバイスしたりする。ミサのときの説教も今までとは違った新鮮な話に、最初は戸惑っていた村人たちも信頼を寄せていく。

 

しかし、村には数年前に起こった悲惨な事故の記憶が鮮明に残っていた。6人の若者が乗った車と同じ村の男性が乗った車が衝突して全員が死んでしまったのだ。男性は飲酒運転だったから加害者だと村の人々は信じていて、死んだ男性が許せず、その家族にも冷たくあたり、男性の葬儀も埋葬も行われないままとなっていた。

ダニエルは村人たちの心の傷を癒やそうとする。なぜなら、彼自身、加害者となって少年院に入れられた過去があるからだ。

 

ダニエルは20歳の若者だ。腕っぷしもなかなかで、彼にはケンカの果てに相手を死なせてしまった過去がある。少年院を出たあとも、クスリで快楽を求める志向は変わっていない。行きずりの女性と平気でセックスしたりする。その意味で“今どきの若者”といえようか。ところが、彼が司祭服を着ると、彼は“今どきの若者”ではなくなる。神聖な聖職者となるのだ。

ポーランドでは今も、あるいはヨーロッパ全体がそうなのかもしれないが、特に田舎などに行くとなおさら、キリスト教の聖職者は尊敬の対象であるに違いない(日本の僧侶も同じだろうが)。司祭服を着た彼に村の人々は信頼を寄せ、彼もまた、これ幸いと悪事に走るのではなく、誠実にその期待に応えていく。

人はもともと善でも悪でもない。真っ白な状態から善にも悪にも染まっていく。他人から善の目で見られ、信頼を寄せられたとき、人は善人になっていくのではないか。

 

ダニエル役のバルトシュ・ビィエレニアが好演。28歳の若手俳優らしいが、外見は、すぐにキレやすくアブない感じの風貌をしているが、クローズアップで彼の顔が映されると、その瞳は実にやさしく、澄みきっていた。