善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

ライラックとシュルレアリスム展

日曜日の善福寺公園は曇り。風強し。

上池のジャングルジムがあるあたりに見慣れぬ花を発見。
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帰って調べたら、何とライラックだった。
モクセイ科ハシドイ属の落葉樹。北海道あたりで咲く花として知られ、ライラックが咲くころになると寒さが戻る日を「リラ冷え」といったりすると聞いたが、東京の、善福寺公園でも咲いているとは。

もともとヨーロッパ東部の山野に自生していて、日本へは明治23年に米国人の女性宣教師サラ・クララ・スミスさんという人が生まれ故郷のアメリカから持ち込んだ1本がはじめなんだとか。

日本では園芸品種としても人気で、イボタノキに接ぎ木して育てるのが一般的で、善福寺公園ライラックも同様のようだ。聞くところによると下池にもライラックが植えられているという。探してみたが見つからなかった。

きのうは散歩のついでに六本木の国立新美術館まで足をのばす。
シュルレアリスム展」がそろそろ終わりというので見に行く(震災の影響で休んだりしたので5月15日まで延長)。そういえば最近、なぜか美術展通いが続いている。いい映画がないからか。

シュルレアリスム」と聞いて、はじめちょっぴり躊躇もしたが、今回のは比較的わかりやすい作品が多かったこともあり、堪能できた。
印象に残ったのはアンドレ・マッソンの作品(数が多かったということもあるが)。
面白かったのは「甘美な死骸」というテーマの作品で、何人かで1つの作品をつくる遊びという。たとえば4人の画家が描いた作品は、紙を折り畳んでほかの人が何を描いたかわからないようにして次々と描いていく。描き終わったら紙を広げて1つの作品になるという趣向。

シュルレアリスム」とは、日本語では「超現実主義」とか訳されるが、手法の1つに「自動記述」というのがある。
きれいに描こうとか、上手に描こうとか思わず、ただ描いていく。すると途中で何を描いているのかわからなくなってしまう。それこそが「意識と無意識のはざま」であり、シュルレアリストが求める境地なのだとか。
人間の無意識の世界の探求、日常的な現実を超えた新しい美と真実の発見。彼らが求めたのは「変革」である。そして、それは1人の個人が自分の世界に没入するのではなく、ムーブメント(運動)だった。
現代人がムーブメントなんて忘れてしまった今、会場の入口に飾られていたムーブメントの担い手たちの集合写真がうらやましく見えた。

いや、でも、私だって、とてもとてもシュルレアリスムの連中とは比べものにはならないが、地域の仲間とミニFM放送をやっている(「ラジオぱちぱち」と申します。HPもあります)。これだって、ささやかながらも立派なムーブメントではないか。あの写真を見て一瞬、そこに並んでいる人たちと、一緒にやっている仲間たちの姿がダブって見えた。

翌日つまりきょう、善福寺公園の下池で開かれている桃井第4小学校の子どもたちの作品展「トロールの森・春」を見ていたら、どれもシュルレアリスムに見えてきたのはなぜだろう。
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