朝早く出発しようと前夜、7時55分発のバスを予約しようとしたら、何と満席だった。
やむなく次の11時10分発で15時すぎにラトビアの首都リガに到着するバスを予約。
出発まで時間ができたので、計画を変更してタルトゥ市内のまだ行ってないところを散策。
朝食つきのホテルなので食事はしっかり。
朝食後、ソ連時代の部品工場跡地をリノベしたアパラーディテハス、木造住宅街のカルロヴァを歩く。
途中にあった巨大壁画。
アパラーディテハスはカフェやレストラン、ブティックなどが集まるオシャレな空間。
壁画もいろいろ。
サイコー、サイコー、サイコー?
カルロヴァ地区は、19~20世紀に建てられた歴史的な木造家屋が並ぶ、素朴な雰囲気のエリア。
バスに揺られて一路ラトビアの首都リガへ。
宿は旧市街にあるKonventa setaというホテル。
中世の建物をリノベしてつくられたホテルみたいだった。
ラトビアは面積6・5㎢で日本のおよそ6分の1。人口188万人(IMF2023年)で、リガの人口は約60万人。エストニア同様、人口の3分の1が首都に集中している。
宗教はプロテスタント(ルター派)、カトリック、ロシア正教の純というが、それもそのはず、ラトビアはもともとドイツがつくった国なのだ。
13世紀の初めごろよりドイツ騎士団が進出してきてラトビアを占有。1282年にはリガはドイツが主導したハンザ同盟に加盟している。
その後はリトアニア・ポーランド領になったり、ポーランドがスウェーデンと戦争して負けてスウェーデン領になったり、ロシア領になったりして、1918年、ようやく独立を果たしている。
聖ペテロ教会。13世紀はじめに最初の教会が建てられ、18世紀にほぼ現在の姿に改修。
ブレーメンの音楽隊像。
リガの創設者がドイツのブレーメン出身というので姉妹都市となり、ブレーメンからリガに寄贈されたもの。
ブラックヘッドの会館。
1334年に建てられたこの会館は、裕福な商人たちが集い、会議や舞踏会の会場として利用されてきたのだとか。
第二次世界大戦で破壊された後、1999年、リガ建都800周年を記念して再建された。
本当はオペラを観たかったのだが、日程的にバレエとなった。
今まで海外の旅行先でのバレエ公演というとパリのオペラ座ガルニエ宮でマッツ・エック振付のバレエを観たことはあるが、どちらかというとコンテンポラリーバレエ。本格的なクラシックバレエは初体験だ。
パリのオペラ座はドレスコードがゆるやかだったが、今回はちょっと危険、というので背広上下に革靴で行って大正解。観客はみなさんきらびやかに着飾っていた。「白鳥の湖」というので子連れの観客も多かったが、子どもたちもちゃんとおめかししていた。
ラトビア国立歌劇場は1863年開館。豪華な内装で、座席数933と比較的こじんまりとしていて、前から7列目の席だったが舞台がよく見えた。
当日のパンフレットによると、振付はマリウス・プティパとレフ・イワノフとあった。
本作はチャイコフスキーが初めて発表したバレエ音楽で、初演は1877年。そのときはあまり評判がよくなかったが、チャイコフスキーの没後、振付の大幅な改訂を行ったのが「クラシック・バレエの父」とも称されるプティパとイワノフであり、1895に蘇演。そのときの振付が今も生きているというわけなのだ。
今までクラシックバレエをまともに観たことがなく、別に観たくもないと思っていたが、この日の公演を観てバレエが好きになってしまった。
バレエには、歌舞伎に似た身体表現の美しさがある。両者にはどこか共通するものがあるのでは、と思った。
終演後のカーテンコールで万雷の拍手。
オデットとオディールの2役を演じたジョランタ・ルベヤに魅了された。
にこやかに笑顔をふりまくジョランタ・ルベヤ。
彼女はラトビア生まれで、2009年からラトビア国立バレエ団に所属していてプリンシパル(バレエ団における最高位のダンサー)をつとめている。
指揮はファルハズ・シュターゼ。ラトビア音楽アカデミー出身でラトビア国立歌劇場生え抜きの指揮者のようだ。
第2幕の王宮の舞踏会の場での、スペイン、ナポリ、ロシア、マズルカ、チャルダッシュという民族舞踊の踊りが見事だった。
19時開演で終わったのが22時ごろ。
劇場から宿までは歩いて10分もかからず、ホテル向かいのベルギービールの店でイッパイ。Kasteelビールと魚介類のサラダ。
この店の接客のおねえさんがとてもフレンドリーで親切で、毎日でも通いたくなっちゃった。