東京・六本木のサントリーホールでピアニスト・阪田知樹のオール・リストピアノ協奏曲演奏会「リスト~ピアノ協奏曲の夕べ」を聴く(1月23日)。

指揮・角田鋼亮、管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団。
曲目は4曲すべてリスト作曲。
「ピアノ協奏曲第2番」(イ長調 S. 125/R. 456)
「死の舞踏(「怒りの日」によるピアノと管弦楽のためのパラフレーズ)」(S. 126/R. 457)
「ピアノ協奏曲第1番」( 変ホ長調 S. 124/R. 455)
「ハンガリー幻想曲」(S. 123/R. 458)
アンコール曲は、ラフマニノフ(阪田知樹編曲)「ここは素晴らしい処」(Op.21-7)、ガーシュウィン「魅惑のリズム」。

阪田知樹は今年32歳になる俊英ピアニスト。22歳のときの2016年にフランツ・リスト国際ピアノコンクール優勝後、その圧倒的なテクニックと豊かな表現力で世界から注目されている。
彼の演奏を最初に聴いたのは、2021年10月、やはりサントリーホールで開かれたピアノリサイタルで、デビュー10年目に開く初のリサイタルというので聴きにいった。
今回も、彼が好きなリストの曲ばかり4曲を弾くというので期待していく。
座った席がステージ裏の2階席で、ちょうどピアノを弾く手の動きがはっきりと見える位置。おかげで彼の超絶技巧を心ゆくまで堪能することができた。
フランツ・リスト(1811~1886年)はハンガリー出身のピアニストであり作曲家。1810年生まれのショパンやシューマンより1歳年下で、同時代に活躍した人だ。超絶技巧の持ち主で、どんな曲でも初見で弾きこなしたといわれ、「ピアノの魔術師」と呼ばれた。
きのう聴いたのは、リストが遺したピアノと管弦楽のための作品。
阪田が「ワーグナーやリシャルト・シュトラウスの歌劇を思わせる曲で、リストの音楽の真骨頂」と語るのが「ピアノ協奏曲第2番」。
全体は単一楽章で書かれていて、リストはかつてこの曲を「交響的協奏曲」と名づけ、ピアノと管弦楽が一体となった交響詩としての位置づけをしたといわれる。
聴いていると、今までにない不思議な感覚にとらわれる感じがして、詩的よりむしろ絵画的な雰囲気の作品だった。
2曲目の「死の舞踏」は「『怒りの日』によるピアノと管弦楽のためのパラフレーズ」の副題がつくが、「怒りの日」とはキリスト教における最後の審判の日のこと。原曲は「グレゴリオ聖歌」の「怒りの日」で、これをピアノと管弦楽のためにパラフレーズしたもの、ということだろう。
パラフレーズとはある表現をほかの語句に置き換えること、音楽においてはある楽曲をほかの楽器のために変形・編曲することであり、ここではピアノと管弦楽に置き換えたことを意味する。
チェロの重厚な響きと見事に溶け合っていた。
休憩を挟んだ3曲目の「ピアノ協奏曲第1番」はリストの代表曲のひとつ。
この曲も「第2番」と同様、全曲(全4楽章)を通じて連続して演奏される。
協奏曲としては珍しくトライアングルが用いられている。これを聴いた当時の音楽評論家から「トライアングル協奏曲」と揶揄されたそうだが、その突出した響きは心地よく耳に残るものだった。
そういえばベートーヴェンも「第九」の第四楽章でトライアングルを登場させていて、それまでの交響曲の常識を打ち破ろうとする試みだったそうだが、リストもまた新しい音楽への挑戦を意識したのかもしれない。
音楽会の締めくくりは「ハンガリー幻想曲」。
正式名は「ハンガリー民謡旋律にもとづく幻想曲」(独:Fantasie über ungarische Volksmelodien)となっていて、当日会場で配られたパンフレットによれば、「タイトルに「ハンガリー民謡」とあるにもかかわらず、実際にはハンガリー固有の民謡ではなく、「ロマ」(いわゆるジプシー)」の「ヴェルブンコシュ」というスタイルの音楽である。・・・(彼は)ロマ音楽をハンガリーの民謡だと勘違いした」と書かれてあった。
が、この記述は明らかに間違いであろう。たしかにロマの音楽は「ハンガリー固有」のものではない。しかし、ロマの音楽がハンガリーの風土に根づいてハンガリーの民謡になっていったのは事実だ。
今年6月、ハンガリーを旅して、ハンガリーの音楽を聴いたり踊りを見たりした。
ハンガリーの伝統音楽に「チャルダッシュ」というのがあるが、これはロマの踊りが元になっているといわれる。
ロマのふるさとは北インドのラジャスタン地方で、そこで踊られる色彩豊かな民族舞踊は、力強いステップと、クルクル回る旋回が特徴となっている。ロマは移動する民族であり、約1000年以上前にラジャスタンの地を離れ、放浪生活に入っていたと考えられていて、各地を放浪してやがてハンガリーに至った。
そしてハンガリーの地でそこの音楽と習合し、ヴェルブンコシュという宴会音楽ととなり、それがさらにチャルダッシュへと発展していった。
そもそも「固有の」とは何だろう。
どの国の音楽も文化も、その国の固有のままで発展したものなどない。
日本の文化はお隣の中国や朝鮮からの影響を多分に受けているし、日本語で使われる文字は中国からきた外来語だった。シルクロードを通じて、遠く西アジアやヨーロッパからやってきたものもあるだろう。
長い間歌い継がれている北海道の「江差追分」はモンゴルにルーツがあり、ひょっとしたらハンガリーの民謡とも共通する祖先を持っているかもしれない、ともいわれている。
ハンガリー人だって、その地域の「固有」の民族ではなく、その昔、東方からやってきたアジア系の騎馬民族マジャール人(パンフレットにはハンガリー人はフン族とあったがこれも誤り)が先祖といわれている。
アンコール曲の「ここは素晴らしい処」は、ラフマニノフ作曲の歌曲を阪田自身が編曲したもの。
彼は6歳のころから作曲を学び、10代半ばで編曲を手がけはじめている。これまでにフォーレ、ラフマニノフなどの歌曲を中心にピアノ独奏用にアレンジしており、リサイタルでも演奏してきた。
「ここは素晴らしい処」の編曲にあたっては、原曲のピアノ伴奏と歌の旋律を踏まえつつ、きらびやかなアレンジを書き加えたのだとか。
それにしても阪田知樹ファンの熱狂的なこと。演奏が終わるとあちこちから「ボラボー」の声が飛んできて、随所でスタンディングオベーション。カリスマ的人気のバイオリニスト・石田泰尚にも負けていない感じ。
リストもピアニスト時代はアイドル的な人気があり、コンサートでは女性ファンの失神が続出したとの逸話が残っているらしいが、そういえば阪田の風貌も、髪の毛を伸ばしてリストに似てきたような・・・。