善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「野いちご」「風が踊る」

チリの赤ワイン「モンテス・アルファ・マルベック(MONTES ALPHA MALBEC)2021」

チリの銘醸地セントラル・ヴァレー、さらにはラベル・ヴァレー、コルチャグア・ヴァレーでワインづくりをしているモンテスの赤ワイン。

マルベックとカベルネ・ソーヴィニヨンブレンド

ボルドーを彷彿とさせるシルキーなタンニンとエレガントな味わい。

 

ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していたスウェーデン映画「野いちご」。

1957年の作品。

原題「SMULTRONSTÄLLET」

監督・脚本イングマール・ベルイマン、出演ヴィクトル・シェストレム、イングリッド・チューリン、グンナール・ビョルンストランド、ビビ・アンデショーンほか。

人生の終わりが近づいている老人が、夢と現実、過去と現在を行き来しながら人生の孤独を綴るロードムービー。2013年にデジタルリマスター版でリバイバル公開され、2018年の「ベルイマン生誕100年映画祭」でもリバイバル上映された。

 

78歳の医師イーサク・ボルイ(ヴィクトル・シェストレム)は、妻を亡くし、子どもは独立して、今は家政婦と2人きりの日々を送っている。長年の功績を認められ、明日ルンド大学で名誉博士号を受けることになっていた。その夜イーサクは、人影のない街で、針のない時計の下、目の前で止まった霊柩車の棺に彼そっくりの老人がいて、中に引きずり込まれそうになる夢を見る。

翌朝、飛行機でルンドに行く計画を取りやめ、車で向かうことにするが、そこへ息子の妻、マリアン(イングリッド・チューリン)がやってきて、2人で車の旅に出る。

途中、イーサクは青年時代に夏をすごした邸宅に立ち寄る。古い家のそばに広がる野いちごの茂みに腰を下ろして感慨に耽るうち、過去の記憶が鮮明によみがえってきて、そこでも彼は夢を見る。

野いちごを摘む可憐な乙女があらわれるが、イーサクの婚約者だった。彼女は真面目なイーサクより奔放な彼の弟に惹かれ、彼の元を去って行く。

その後もイーサクは車の旅を続け、若い男女や、険悪な仲の夫婦と出会ったりしながら、若き日のさまざまな心の痛みを想い出していくうち、名声とは裏腹に愛に飢えた孤独な人生が走馬灯のように甦ってくるのだった・・・。

 

車での旅といっても、ストックホルムから500㎞ぐらい離れたルンドまでの、車で行けば今だったら5、6時間、当時なら10時間ぐらいの旅。つまりたった1日の物語なのだが、青年のころから老いたい今の自分に至るまでの人生の記憶が次から次へとよみがえってくる。そして彼は、人生において冷淡で自己中心的、無慈悲に生きたことにより、「孤独」という罰を告げられたのだった。

やがて自覚した「老い」とともに、彼は「孤独」を当然の報いと受け止めようとする。そこに至ってようやく、イーサクは悪夢から解き放たれる。

 

原題の「SMULTRONSTÄLLET」とは、スウェーデン語で「野いちごのある場所」を意味する。しかし、スウェーデン人にとってそれは特別な意味を持っていて、「誰も知られたくない、一人になって静けさの中で幸せを感じられる、ちょっと秘密の場所」という慣用句としても使われているという。

そんなことをいっても日本人にはわからないだろうからと、邦題は単に「野いちご」となって、子どもが主人公のファンタジーみたいなタイトルとなった。

イーサクにとって、そこは自分の人生を追憶する秘密の場所であり、旅の途中で見たさまざまな夢も、まさしく「SMULTRONSTÄLLET」であったのだろう。その追憶の果てに彼はようやく、そろそろ人生の終わりを迎えてもいいのかな、と思ったのではないだろうか。

 

監督のベルイマンは、人間の内面を鋭く描く作風で知られ、「野いちご」のほか「不良少女モニカ」「第七の封印」「処女の泉」「秋のソナタ」などの作品がある。

本作のとき39歳。一方、主人公のイーサクを演じたヴィクトル・シェストレムは、劇中人物と同じ78歳。

シェストレムは俳優として出発したが、やがて映画監督、脚本家として草創期のスウェーデン映画界やハリウッドでも活躍するようになり、「スウェーデン映画の父」と呼ばれた人。1937年に発表した作品以降は監督業を引退していて、まだ駆け出しだったベルイマンにアドバイスするなど後進の指導にあたったりしていた。そんなシェストレムに、ベルイマンはイーサクを演じるにはこの人しかいない、と思ったのか、役者としての白羽の矢を立てた。

本作の公開後、シェストレムは健康を悪化させて1960年1月、80歳で死去。本作が遺作となった。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のCSで観た台湾映画「風が踊る」。

1981年の作品。

原題「風兒踢踏踩」(英語タイトル「CHEERFUL WIND」)

監督・脚本ホウ・シャオシェン、出演フォン・フェイフェイ、ケニー・ビー、アンソニー・チェン、アンソニー・チェンほか。

80年代初頭の台湾を舞台に、女性カメラマンと事故で視力を失った青年の心温まる恋を描いた青春ラブストーリー。

2021年、特集上映「台湾巨匠傑作選2021 侯孝賢ホウ・シャオシェン)監督デビュー40周年記念<ホウ・シャオシェン大特集>」にて、デジタルリマスター版で公開。

 

台北でCF(コマーシャル・フィルム)のカメラマンをしているシンホエ(フォン・フェイフェイ)は、ロケのため訪れた台湾の離島・澎湖島で、白杖をついて歩くチンタイ(ケニー・ビー)と知り合う。彼は医師資格を持つ研修医だったが、交通事故により失明。それにもかかわらず前向きで素朴な感じのチンタイに、シンホエは強く惹かれるようになる。

しかし、彼女にはすでにCFプロデューサーの恋人ローザイ(アンソニー・チェン)がいた。彼は香港に住んでおり、彼女は彼を頼って香港に渡り、新たに仕事を始めようとしてるところだった。

台北に戻ったシンホエは、ある日、街でばったりチンタイと再会する。彼は角膜移植手術のため台北に来ていたのだ。再び親しくなっていくふたり。チンタイは、彼女に「結婚してほしい」といい、彼女も曖昧ながら承諾の返事をする。

やがてチンタイの手術は成功し、視力を取り戻すと、香港に行く前に小学校教師である弟の代理を務めるため故郷へ帰っていたシンホエの元を訪れる。ふたりの男性の間で揺れるシンホエは・・・。

 

1980年に監督デビューして以来、80年代の台湾映画界の新潮流である台湾ニューシネマを担った一人であるホウ・シャオシェン監督の監督第2作。

ときどき挟まる音楽がマカロニウエスタンふうで、歌謡曲っぽい歌も流れ、さわやかな青春歌謡映画のようで楽しく観たが、本作が1981年の映画と知って、製作された当時の時代背景に注目した。

中国大陸での国共内戦の情勢が、蒋介石総統の中華民国政府と中国国民党にとって不利になった1948年、蒋介石は全土に戒厳令を発布。しかし、国民党政権はますます追い詰められて、ついには台湾のみを実効支配するまでとなり、戒厳令も台湾のみでしか有効ではなくなる。

それでも戒厳令は1987年に解除されるまで38年間続いたが、その間に、蒋介石が亡くなって長男の蒋経国が跡を継ぎ、台湾での民主化運動は高まりをみせ、大陸側も「一国二制度」を提唱して平和的な統一をめざすようになる中で、徐々に状況が変化していったころにつくられたのが本作だった。

当然、社会も変わり始めていて、女性は男性に従うばかりだった伝統的な家父長的家族観に縛られず、自由な恋愛や新しい家族のあり方を模索する動きが活発になっていて、本作のヒロインであるシンホエも、古い価値観との間で揺れ動きながらも自立していく女性として描かれている。

ラストのシーンが秀逸。

彼女は、意中の人を今までの恋人ではなくチンタイに決めるが、それでも彼女は今までの恋人とともに旅に出る。なぜなら彼女は、いくら愛しているからといって男のために自分の将来をあきらめたくはないからだ。旅に出て新しい体験をいろいろして、それからチンタイと暮らすようになっても決して遅くはない。そんな彼女の気持ちをチンタイも理解し、喜んで送り出すのだった。

 

映画の中で、シンホエが代用教員となった小学校の授業で、子どもたちが歌を歌うシーンがあり、何とそれは日本の卒業式の定番曲「仰げば尊し」だった。

台湾は、清から割譲された1895年から第二次世界大戦で日本が降伏した1945年まで日本の統治下にあった。「仰げば尊し」は台湾の学校でも歌うように指導されたが、戦後になっても台湾の言葉で歌詞がつけられ、今でも学校の卒業式で歌われているという。

だが、本作の監督は台湾ニューシネマの旗手だけあって、子どもたちにただそのままでは歌わせていない。

替え歌にして歌わせていて、歌詞は「木々は青々と茂り、グアバレンブーもパイナップルもスイカもなった」などとなっていて、ほかにも豚足、香腸(台湾ふう腸詰)といった食べ物も出てきて、その大いなる諧謔心にうれしくなり、楽しく聞く「仰げば尊し」となった。