6月1日から緊急事態宣言が延長され、一部自粛措置が緩和されて美術館がオープンしたので、その初日に東京・江東区にある東京都現代美術館に行く。
開かれていたのはオランダ出身のマーク・マンダースの個展「マーク・マンダース マーク・マンダースの不在」。
マンダースは18歳のころ、自伝を執筆しようとしたときに「建物としてのセルフ・ポートレイト」という構想に目覚め、以来今年53歳になる今日まで、これをテーマに一貫した制作を続けているという。
その構想とは、自身が架空の芸術家として名付けた「マーク・マンダース」という人物の自画像を「建物」の枠組みを用いて構築するというもので、その建物の部屋に置くための彫刻やオブジェを次々と生み出しインスタレーションとして展開していくという不思議な世界。
美術館外の入口にあった彼の作品。
「2つの動かない頭部」(2015‐16年)
以下は会場内の作品の中から。
「4つの黄色い縦のコンポジション」(2017‐19年)
「乾いた土の頭部」(2015‐16年)
「黄色い縦のコンポジション」(2019‐20年)
展覧会のタイトルにある「不在(Absence)」とは、時間が凍結したような感覚や静寂、すでに立ち去った人の痕跡、作家本人と架空の芸術家とのあいだで明滅する主体など、複数の意味を持っているという。
マンダースは「不在」と同様に「欠落」や「未完成」にも愛着を抱いていて、「それらは、次に何か起きる予感と静けさというものを感じられるから好きなんです」というようなことをインタビューで語っている。
特に印象に残ったのは「マインド・スタディ」という作品(2010‐11年)。
よく見るとテーブルには脚がなく、イスとテーブル、人物とがヒモで結び合って絶妙なバランスを保っている。張りつめた緊張感、それとともに、絶妙のバランスゆえか人物はなぜか落ち着いた感じに見える。
緊張感と安心感が同居していて、いろんな想像力をかき立てる作品。
マンダースはこの作品を「イスとテーブル、人物、わずか3つの単語からなる詩」と表現している。
続いて同時開催の「風間サチコ 下道基行」展。
中堅アーティストを対象に東京都などが始めた現代美術の賞「Tokyo Contemporary Art Award(TCAA)」の第1回受賞者による展覧会。
両方ともおもしろかったが、よくもあんなドデカイ作品を版画で描いたなと感心したのが風間サチコの作品。
中でも彼女の最大規模の作品というのが縦2・4メートル、横は6・4メートルもある「ディスリンピック2680」(2018年)。
まるで1枚の巨大版木を彫って、刷って、作品にしたように見えるが、もちろんそんなことはなく継ぎ接ぎしてるだろうが、1枚版画のようにすごい迫力で迫ってくる。
差別・選別の優生思想で統制された近未来の架空の都市ディスリンピアにおける架空のオリンピック開会式を描いたものという。
1940年、つまり皇紀2600年に制定された「国民優生法」、同じくその年に開催される予定だった幻の東京オリンピック。そしてその80年後に開催される2020年東京オリンピック。過去と未来の国家的イベントに思いを馳せながら、2600年と80年を足して2680年に、架空の都市・ディスリンピアで、近い未来に開催されるであろうオリンピック「ディスリンピック2680」の開幕式典。そこには、健康至上主義の祝祭と人類淘汰の地獄とが、皮肉とユーモアを交えて描かれている。
2つの展覧会をハシゴして疲れたので館内にあるレストランで昼食。
2人で行ったので料理をシェアして2つの味を楽しむ。
3つめの展覧会がコレクション展。「コレクションを巻き戻す」と題して、旧東京府美術館時代の1926年から始まる同館のコレクションの歴史を紐解いていく。
印象に残ったのは1995年の東京都現代美術館の開館時に収集した作品のいくつか。
蔡國強「Project for Extraterrestrials No.9―胎動Ⅱ」(1995年)
火薬を使ったドローイングの迫力。
エリック・フィッシェル「女の中で育ってⅠ」(1987年)
アンゼルム・キーファー「イカルス―辺境の砂」(1992年)
ジョージ・シーガル「音楽を聴く女Ⅰ」(1965年)
真っ白のベッドの上で真っ白の女性が眠るようにして音楽を聴いていて、実際に軽やかな音楽が流れている。
宮島達男の「それは変化し続ける それはあらゆるものと関係を結ぶ それは永遠に続く」(1998年)も永久保存版?で展示されていて、発光ダイオードが永遠の点滅を続けていた。
収蔵作品の詳細は以下で検索できます。