善福寺公園めぐり

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圧倒的な自然と命の描写 ザリガニが鳴くところ

ディーリア・オーエンズ「ザリガニの鳴くところ」(訳・友廣純、早川書房)を読む。

 

作者はジョージア州出身の動物学者、小説家。ジョージア大学で動物学の学士号を、カリフォルニア大学ディヴィス校で動物行動学の博士号を取得し、動物にまつわるノンフィクションを何冊も出しているが、69歳で執筆した本作が初めての小説。2018年にアメリカで出版され、昨年アメリカでいちばん売れた本になったという。

 

本作はミステリーであるとともに、差別や環境問題を扱う社会派作品でもあり、一人の少女の成長を描く成長物語でもあり、純な愛を描く青春物語でもあるが、訳者があとがきでいってるように「それほど奥行きのある作品」ということだといえよう。

自然と、そこに生きる無数の命、そして人間──その描写が圧倒的にすばらしい。

 

物語は、ノースカロライナ州の湿地で村の青年チェイスの死体が発見されたところから始まる。

人々は真っ先に、「湿地の少女」と呼ばれている“貧乏白人”のカイアを疑う。

6歳のときから、たったひとりで生き延びてきたカイア。果たして犯人は彼女なのか?

殺人事件の顛末と少女の成長が絡み合う長篇小説だ。

 

本書を読んでいて痛烈に感じたのは、崇高な理性でも、善でも、悪でもない、命の拍動であり、野生の本能だった。

 

本書の題名である「ザリガニの鳴くところ」とはどういう意味か?

それを示唆する下りがある。

カイアは6歳のときに母に“捨てられ”た。

彼女の母親は酒乱の夫の暴力に耐えられず、家を出て行ってしまったのだが、成長したのちカイアは次のような意味のことを語っている。

 

母さんが出て行ったのは許せるわ。

メスのキツネは飢えたり過度のストレスがかかったりすると、子どもを捨てることがあるって。

子どもたちは死んでも、メスギツネは生き延びられる。そうすれば、状況が改善したときにまた子どもを産んで育てられる。

自然界では──ザリガニが鳴くような奥地では、そういう無慈悲に思える行動のおかげで、実際、母親から生まれる子どもの総数は増える。

そしてその結果、緊急時には子どもを捨てるという遺伝子が次の世代にも引き継がれる。そのまた次の世代にもね。

人間にも同じことがいえるわ。

その本能はいまだに私たちの遺伝子に組み込まれていて、はるかむかし、生き残るために必要だった行動をいまでもとれるのよ。

 

ほかにも本書には、野生の動物たちの描写がいくつも登場している。

 

傷を負った仲間に一斉に襲いかかり、殺そうとする七面鳥の群れ。傷を負った仲間が生きていれば天敵であるワシを引き寄せてしまう。そうなればついでにほかの鳥も襲われてしまうから、自分たちを守るために仲間を殺してしまうのだ。

 

メスのホタルがお尻を光らせるのはつがいになれる状態だとオスに信号を送るためだという。あるとき、お尻を光らせてオスを呼び寄せ、交尾を終えたメスのホタルが、別の信号を送って違う種のオスを引き寄せていた。すると別の種のオスが喜んで飛んできたが、メスはそのオスのホタルを捕まえてムシャムシャと食べてしまった。

メスは偽りの愛のメッセージを送ってオスを呼び寄せていたのだ。

 

ウシガエルの小型のオスは、魅力的な美声で交尾相手を呼んでいるアルファオスの近くに身を潜める。複数のメスが集まってきて、その中の1匹とアルファオスが交尾しているすきに、その小型のオスはほかのメスに飛びついてまんまと交尾をすませてしまう。こんな詐欺師のようなオスは“ちゃっかり野郎”と呼ばれる。

 

同じようなことを人間もしている。

結局、人間だって、男と女である以前に、オスとメスなのではないか。