イタリア・トスカーナの赤ワイン「アルパ・カベルネ・ソーヴィニヨン(ARPA CABERNET SAUVIGNON)2022」
(写真の料理はこのあと牛ステーキ)
ワイナリーはイタリアのファッションブランド「サルヴァトーレ・フェラガモ」がトスカーナで手がけるイル・ボッロ。
イル・ボッロ村はもともと旧王族の所有だったが、フェラガモ家が丸ごと買い取り、敷地内の家屋を修復し、中世の美しい景観に戻して高級リゾート地に変え、同時にワイナリーを併設。
「アルパ」とはイタリア語で楽器のハープの意味。
カベルネ・ソーヴィニヨン100%。グラスを傾けるとハープの優美な音色が?
ワインの友で観たのは、NHKBS4Kで放送していた日本映画「山椒大夫 4Kデジタル修復版」。
1954年の作品。
監督・溝口健二、脚本・八尋不二、依田義賢、撮影・宮川一夫、美術・伊藤熹朔、音楽・早坂文雄、出演・田中絹代、花柳喜章、香川京子、新藤英太郎、浪速千栄子、毛利菊江、三津田健、清水将夫、河野秋武、加藤雅彦(のちの津川雅彦)ほか。

ベネチア映画祭銀獅子賞(監督賞)を受賞、世界中の映画作家に影響を与えた溝口健二の代表作のひとつ。
平安時代の末、母(田中絹代)とともに旅をしていた幼い厨子王と安寿は、母子ともども人買いにだまされ、佐渡へ売られた母とは離ればなれになってしまう。
丹後の山椒大夫(新藤英太郎)の元で奴隷として働かされ、成長した厨子王(花柳喜章)と安寿(香川京子)。過酷な労働に苦しめられ、ついに逃げ出す決意をする・・・。
中世の芸能であった説経節の「五説経」と呼ばれた演目の1つ「さんせう太夫」を原話とした森鴎外の小説「山椒大夫」(1915年・大正4年)を映画化。
「雨月物語」(1953年)に続く監督・溝口、撮影・宮川のコンビにより、平安時代末期の母と子の物語を繊細で美しい光と影のモノクロ映像で描いた日本映画史に残る名作。
70年も前の作品だが、まったく古さを感じさせない。マーティン・スコセッシ監督が率いる劣化したフィルムを修復・保存する活動を行う非営利団体「フィルム・ファンデーション」などの支援のもと、4Kデジタル修復されたため、画像はくっきり、音声もはっきりして、最新作のような出来ばえだった。
山椒大夫の元から兄の厨子王を脱走させるため池に入水する安寿の後ろ姿、佐渡の浜辺での母と厨子王の再会シーンが悲しくも美しい。

本作で、監督がいいたかったことは映画の冒頭での、厨子王と安寿の父の言葉の中にある。
事の発端は、兄妹の父で陸奥国の高官だった平正氏の筑紫への左遷だった。
不作続きで農民が困窮しているにもかかわらず高い税を課せられているため、それに楯突き農民を守ろうとして左遷され、母と子は母の実家に一時帰る旅の途中、人買いにだまされて、悲劇の物語が始まる。
左遷により家族が別れ別れになると知って、叔父の平正末は「妻や子が可哀想だとは思わんのか」とたしなめる。「可哀想なのは百姓とて同じことでございます」と正氏が言い返すと、正末は「百姓どもとワシらが一緒になると思うのか」と怒って帰っていく。
しかし、正氏は幼い厨子王にこう諭すのだった。
「慈悲の心を失っては人ではないぞ。人は等しくこの世に生まれてきたものだ。幸せに隔てがあってよいはずはない」。
本作は森鴎外の「山椒大夫」が原作というが、鴎外の小説とはだいぶ中身が違っている。むしろ、鴎外にとっての原作である説経節の「さんせう太夫」のほうが映画に近いといっていいのではないか。
映画に登場する山椒大夫は右大臣の荘園を任されている「長者」であり、彼は各地から売られてきた奴(やっこ)と婢(はしため)を奴隷同然にこき使って財を成していた。
兄妹の父、平正氏がいった「人は等しくこの世に生まれてきたものだ。幸せに隔てがあってよいはずはない」という言葉とまるで逆のことをやっている拝金主義・差別主義者だったのだ。
映画の終わりの方で、丹後の国守となった厨子王は「当国においては今後一切、人の売買を許さぬこと」「公の行事、荘園においては奴、婢の使用を禁ずること」という掟を出すが、山椒大夫はこれに従おうとせず、それどころか部下に命じて掟を記した高札を破壊して回る。
そこで厨子王は山椒大夫の屋敷に乗り込んでいく。山椒大夫を捕縛して、家財没収の上、当国よりの追放を命じ、奴隷の解放とともに復讐を果たすのだった。
この山椒大夫への対処の仕方が鴎外の小説ではまるで違っていて、実に甘っちょろい。
鴎外は山椒大夫の結末を「国守となった厨子王は丹後一国で人の売買を禁じた。そこで山椒大夫もことごとく奴婢を開放して、給料を支払うことにした。大夫が家では一時それを大きい損失のように思ったが、このときから農作も工匠(たくみ)の業(わざ)も前にも増して盛んになって、一族はいよいよ富み栄えた」としている。
メデタシメデタシとなっていて、山椒太夫に反省の色はまるでない。
原話である「さんせう太夫」は、山椒大夫の罪は重いと民衆からの報復を受け、その最期を陰惨に描いている。
捕らえた大夫を竹の鋸挽きの刑に処し、しかも鋸を挽くのは大夫の子どもたちであり、鋸を挽かせること106回目にして首が落ちたという。
原話とくらべれば映画の本作はまだ穏やかな終わり方かもしれないが、不平等や差別への批判は徹底している。
本作の脚本は八尋不二と依田義賢の共作になっているが、最初に八尋が脚本を書き、それを読んだ監督の溝口は、鴎外の原作に近い内容にすぎるというので、依田にバトンタッチ。
依田は、溝口から「奴隷史から研究願います。奴隷経済についても充分に研究して下さい」との注文を受け、荘園制度などにも目を向けた社会劇風にしようと脚本を書いたと述べている。
溝口が、過酷な時代をソフトに描いた鴎外の「山椒大夫」より、よりリアルに描いた「さんせう太夫」の再現をめざしたのは明らかだろう。
本作の映画化にあたっては、立命館大学や京都大学の教授をつとめた林屋辰三郎氏のアドバイスがかなりあったようだ。
林屋氏は中世の研究家で京都の歴史にも詳しく、著書の中で「『さんせう太夫』とは散所の長者、散所大夫ではなかったかと思う」と述べている。
散所とは、もともとは本所に対して本来ではない場所を「散所」といっていたようだが、中世後期になると荘園の一部や社寺の境内で年貢を免除されている地域をいっていて、散所を支配する宰領が散所大夫。散所には古代律令制の最下層にいた奴隷的存在である奴婢もいて卑賤視され、被差別部落の起源をなすものともいわれている。
奴婢の制度は延喜年間(901年~923年)に廃止されたというが私奴婢は残り、奴婢は主人の所有物とされ、奴婢の子どもも主人の所有物で、逃亡は禁じられ、売買や質入の対象となるなどひどい扱いを受けた。
「山椒大夫」の原話となった説経節自体、被差別部落と歴史的な関わりが深い。
もともと説経節は中世から近世にかけて、被差別部落の人々によって語り継がれ、広められた芸能なのだという。当然、その内容には差別や貧困といった社会的なテーマが反映されていただろう。
「山椒大夫」に登場する山椒大夫は、荘園領主に仕える形で特権的身分を保証され、被差別民である散所民をこき使って徹底的な搾取を行っていた。被差別民にとっては山椒大夫はにっくき敵にほかならない。「さんせう太夫」の物語は、単に引き裂かれた母と子が神仏によって救われる霊験譚でも、厨子王が国守になる出世譚でもなく、搾取され踏みつけられていた民衆による解放への夢を語る物語であり、復讐物語なのである。
だから映画の最後で、山椒大夫をとっちめた厨子王は、せっかく得た国守の身分を投げ捨てて母に会いに行く。
彼がめざしたのは出世ではなく「人は等しくこの世に生まれてきたものであり、幸せに隔てがあってはならない」という父の教えを実践することだった。その教えを守り通すため、彼は権力者の側から庶民の一人に戻って、晴れて母との再会を果たすのだった。