東京・六本木の俳優座劇場で劇団俳優座公演№358「慟哭のリア」を観る(6日)。
最近は観劇というと歌舞伎や文楽ばかりで新劇は久しく観ていないが、今年は新劇100年(新劇初の劇団・築地小劇場が誕生してから100年)の節目であり、これまで新劇を牽引してきた俳優座の誕生からも80年。その上、俳優座の自前の劇場である俳優座劇場が来年4月に閉館することになり、劇団主催の公演は今回が最後、なおかつ主役が岩崎加根子、というので出かけていく。
劇場内には創設者のひとり、千田是也の像があった。
現在の劇場は2代目らしいけど、昔の俳優座劇場は地下鉄・六本木駅からかなり歩いたところにあった記憶がある。地下鉄大江戸線が開通したおかげか、駅を出ると目の前に劇場があり、とても便利。それだけに閉館はもったいないとも思うが、老朽化が理由というのだから致し方がないだろう。
上演されたのは新作の「慟哭のリア」。
シェークスピアの「リア王」をベースに再構築した作品で、翻案、上演台本、演出は劇団座敷童子の東(ひがし)憲司。
主役であるところのリア王、本作では炭鉱の女主人を演ずるのが、現在の俳優座の代表で、今年92歳という岩崎加根子。これは観ないわけにいかない。
写真は、芝居が終わって、舞台監督が裏方の苦労話を話してくれたバックステージイベントのときの様子。
「明治末期の炭鉱を舞台に、日本の闇を炙り出す誰も見たことがない『リア王』」というのが本作の宣伝文句だが、もともとの作品は今から400年以上前につくられたシェークスピア四大悲劇の1つ。ブリテンの老王であるリア王と3人の娘の人間模様が描かれ、娘たちの裏切りなどで悲劇的結末を迎える。
本作は、このシェークスピア作品を換骨奪胎、大胆に改作して、ときは明治34年(1901年)、日清戦争から日露戦争へと至る富国強兵の時代の炭鉱町の物語。
九州・福岡の筑豊炭田にも、同年に官営の八幡製鉄が開業して石炭需要は一気に高まっていて、亡き夫の意志を引き継ぎ、一代で炭鉱を繁栄させたのが女主(おんなあるじ)の室重セイ(岩崎加根子)。セイは時代の先行きを見据え、3人の息子たち(斉藤淳、田中孝宗、野々山貴之)に財産を分配しようとするが、そこに現れたのが流れ者のナゾの男(渡辺聡)。その男の入れ知恵のおかげで、従順だった息子たちはそれぞれの夢と野望に目覚め、反旗を翻し始める・・・。
本作のテーマは2つあり、ひとつは炭鉱という労働者搾取の典型例を描くことであり、もうひとつは母の深い愛と家族の葛藤、そして絆を描き、その2つが重なり合って人間ドラマを醸し出していく。
当時の炭鉱の労働環境はかなりブラック、どころか労働者は奴隷並みの扱いを受けていたといわれる。
劇中でも「納屋頭」と称する人物が何人も登場するが、当時の筑豊の労使関係は「納屋制度」と呼ばれるものであり、労働者は炭鉱所有者に直接雇われるのではなく、下請けである納屋頭に雇われる形になっていた。住居はタコ部屋同様で、労働環境も劣悪。温度が40℃にもなる坑内で1日12時間も働かされた上に低賃金で、さらにはさまざまな名目でピンハネが行われていた。そればかりか、労働者たちは納屋頭と関係の深い売春宿や賭博を勧められ、借金は雪だるま式に増えていく仕組みになっていたという。事故でケガでもすれば、文字通りのポイ捨てだ。
しかし、芝居の後半の方では、過酷な扱いを受けて目が見えなくなったり、物乞いをするまでに落ちぶれた人たちが出てきて、彼らの怨念が爆発するシーンがあるが、もっと前半場面で“奴隷労働”の実態が描かれれば、より劇としての説得力は増しただろうと悔やまれる。
出色だったのは、もちろんのこと、主人公を演じた岩崎加根子の演技。
この人、ホントに92歳なの?実はもっと10歳も20歳も若いのでは?と思えるほどのしっかりした足どり、力強いセリフ、そして悲しくつぶやくセリフ。
何より日本語がはっきり聞けて、さすが大女優の貫祿。
芝居で一番大事なのは何かと問われたら、「役者のしゃべる日本語がはっきり聞こえること」と常日ごろ思っているだけに、うれしくなってしまった。
きのうの舞台では、特に若い役者で、ただ怒鳴ってるだけで何をいってるのかわからないセリフも多々あって、とても聞きづらく、残念に思った。
役者の演技でうまかったのはほかに、盲目老人を演じた2人の女優さん。当日配られた配役表に片山万由美と阿部百合子とあるので調べたら、片山さんは1967年入団、阿部さんは1957年入団の大ベテラン。うまいはずだ、役者はやっぱり経験なんだな、と思った。
経験というならやっぱり岩崎加根子。
何しろこの人は15歳のときから俳優座にいるから、芸歴は俳優座の歴史に重なる。
彼女は大田区久が原にあった立華女学園という学校に通っていて、今でいう中学3年生のとき、この学校は戦後の六三三制の新制度導入にあたって中学までしかないので、同学園の卒業証明書があれば高校に入学できるということだったが、高校へは行かず、演劇をめざした。
なぜ演劇をめざしたかというと、中学で演劇を教えられたらおもしろくて、演劇部に入っていて、指導してくれた人から「俳優座を受けませんか?」と誘われたからという。
このとき彼女は15歳。しかし、当時、俳優座にはまだ養成所ができておらず、かわりにアカデミーみたいなものがあって研究生候補として入った。1949年に養成所設立と同時に第一期生となり、1952年の卒業と同時に劇団俳優座に入団。
初舞台は、養成所ができる前の49年2月、田中千禾夫の「おふくろ」で、峰子という女学生の役を演じた。毎日ホールの創作研究会の一作品として上演されたものだった。
このとき彼女は17歳ぐらい。それから75年がたっている。
映画好きの当欄の筆者としては、岩崎加根子で思い出すのは山田洋次監督、渥美清主演の「男はつらいよ・寅次郎相合い傘」(1975年、シリーズ第15作)に出演したときの彼女。
船越英二演じる、自由を求めて通勤途中に蒸発した重役サラリーマン・兵藤が、北海道で寅さん(渥美清)、リリー(浅丘ルリ子)と親しくなって三人旅を続けるうち、どうしても逢いたい人がいる、生涯で一番愛した人かもしれない、というので小樽に立ち寄る。
30年前の初恋の人であり、今は未亡人で中学生の子どもを育てている女性・信子(岩崎加根子)だった。30年前に別れて以来、一度も再会したことはないが、今も忘れられずにいて、彼女は小樽で喫茶店をやっているというので訪ねるが、兵藤は頼んだコーヒーを飲むこともなく、話もしないまま、すぐに店を出る。
カバンを忘れたので取りに戻ろうとすると、店から信子が出てきて、彼の名前を呼ぶ。
彼女は「店でゆっくり話しませんか」と誘うが、兵藤は彼女を一目見たので安心したのか、それともこれ以上ここにいたらふたたび彼女を好きになってしまう、それではいけないと悟ったのか、「列車の時間があるので」とウソをついて去っていく。
彼を見送る岩崎加根子のアップが映し出される。
それは、彼女も30年前の彼のことを覚えていて、今も彼を愛していて、でももはややり直すことはできないと知っている彼女の、切なくてやるせない、とてもひとことではいいあらわせない、複雑な表情だった。
「男はつらいよ」シリーズは全作品を観ているが、彼女のアップは忘れられないシーンのひとつだ。