チリの赤ワイン「モンテス・リミテッド・セレクション・カベルネ・カルメネール(MONTES LIMITED SELECTION CABERNET CARMENERE)2022」
1988年設立のチリのワイナリー、モンテスが最も得意とするカベルネ・ソーヴィニヨンと、チリを代表する品種カルメネールをブレンド。
カルメネールはもともとフランス・ボルドー地方原産の赤ワイン品種だが、現在ではボルドーで原木が全滅してしまったため、カルメネールの純粋種としてはチリ産のみで、チリは世界最大のカルメネール栽培地域となっている。
また、カルメネールは完熟するのに豊富な日照量を必要とするため、年間300日が晴天に恵まれる気候の安定したチリは、栽培に最適の土地でもあるという。
優しい口当たりで飲みやすいワイン。
ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していたイギリス映画「ブラス!」。
1996年の作品。
原題「BRASSED OFF」
監督・脚本マーク・ハーマン、出演ピート・ポスルスウェイト、タラ・フィッツジェラルド、ユアン・マクレガー、スティーブン・トンプキンソン、ジム・カーターほか。
炭鉱閉鎖の危機に揺れるイギリス北部の小さな町を舞台に、労働者たちによるブラスバンド「グライムソープ・コリアリー・バンド」の実話をもとに映画化。
1992年、イギリス・ヨークシャーの炭鉱町グリムリー。炭鉱労働者で編成された伝統あるブラスバンド、グリムリー・コリアリー・バンドは、ロンドンにあるロイヤル・アルバート・ホールでの全英ブラスバンド選手権で優勝することを目指し、指揮者のダニー(ピート・ポスルスウェイト)のもと練習に励んでいた。
しかし、イギリスではこのころ、サッチャー政権による炭鉱閉鎖の嵐が吹きまくり、彼らの職場である炭鉱も閉鎖が確実となっていてメンバーは練習に身が入らないでいた。
そこに、かつての仲間の孫娘、グロリア(タラ・フィッツジェラルド)が故郷に戻ってきた。彼女はフリューゲル・ホーンをうまく吹きこなせることから、急きょ、男性オンリーだったバンドのメンバーに仲間入り。バンドには、子どものころに恋仲だったアンディ(ユアン・マクレガー)もいて、俄然、みんなはやる気が出る。だが、グロリアは実は、経営者側が閉鎖するかどうかを判断するリサーチのために送り込んできた調査員だった。
バンドは、全英選手権の準決勝に勝ち決勝進出を決めるが、大喜びで会場から町に戻ると、炭鉱の閉鎖が本決まりとなったとの知らせが届いていた。メンバーたちは失業することになり、指揮者のダニーも粉塵にまみれた炭鉱での過酷な作業のため肺の病で倒れてしまう。
決勝戦に出場するには3000ポンドが必要だが、そんな金もない。メンバーたちはロイヤル・アルバート・ホールでの演奏を諦めかけるが、そこにやってきたのがグロリア。
彼女は、閉鎖するかどうかについてのリサーチのためにやってきたけれど、閉鎖はすでに2年も前に決まっていたと知って、労働者をだます悪辣なやり方に憤った彼女は会社を辞め、退職金の3000ポンドをポンとバンドに寄付したのだった・・・。
かつてイギリス経済を牽引したのは、エネルギーの元となる石炭を掘り出す炭鉱だった。
しかし、エネルギー政策が石炭から石油にシフトチェンジする中、登場したのが保守党のサッチャー政権だった。
彼女は、イギリスの経済停滞は戦後の労働党政権による国有化や福祉政策による財政難や生産性の低下のせいだと主張し、新自由主義のもと、民営化や社会福祉切り捨ての緊縮財政を押し進めた。
民営化で一番のターゲットになったのが炭鉱だった。
1980年代当時、イギリスの炭鉱は国営だったが、サッチャーは民営化とともに大規模な閉鎖を打ち出す。1984年、その年じゅうに174坑あった炭鉱のうち採算のとれない20坑を閉鎖し、約2万人の首を切る合理化計画が明らかとなり、これが発端となって、反発した労働組合よる大規模ストライキへと発展していった。
結局、ストライキは労働者側の敗北に終わり、以後、サッチャー政権による民営化と弱者切り捨ての政策は加速度を増していく。その後の10年で、イギリスの炭鉱の90%が閉鎖されたといわれる。
石炭産業が衰退していくのは、時の流れとしてやむを得ないところもあるだろう。しかし問題なのは、そこに従事している労働者のことを何も考えずに、彼らを路頭に迷わせることだ。
サッチャーの有名な発言に「社会なんてものは存在しない(There's no such thing as society)」という言葉がある。
「あるのは個々の男たちと女たち、家族である」と続く言葉で、徹底した自己責任を強調し、企業に対する規制はとっぱらって市場原理の競争にまかせ、国や自治体が貧しい人々を守る福祉政策なんか必要ない、自分の身は自分で守れ、とする「新自由主義」の考えがそこにある。
するとどうなるかといえば、それまで弱者を支え続けてきた福祉制度を切り捨てて、「自由」という名のもとでの競争は格差をますます広げることになり、社会やコミュニティによる助け合いの精神は否定され、自己中心的な生き方が当たり前のようになってしまう。
映画の中でも、サッチャーを批判するセリフがあった。
バンドのメンバーの一人が、壁にかかったキリストの像を見上げ、黙して何も語らないキリストを指さしていう。
「彼は何をした? ジョン・レノンを殺した。炭鉱で働いている若者3人も。次は俺のおやじか? 残酷なマーガレット・サッチャーは生かして! ひどいじゃないか」
本作の公開は1996年だが、サッチャーは1990年まで首相の座にあり、1992年にはサー(女男爵)の称号を賜り貴族院議員になっている。そんなエライ人に対して、映画とはいえよくもこんなセリフをいえたものだと思うが、イギリス人の批判精神のたくましさといおうか、それを受け入れるおおらかさといおうか。
つい最近(8月30日)のニュースによれば、先の総選挙で保守党に代わって首相の座についた労働党のスターマー首相は、首相官邸の目立つところに飾られていた故サッチャー元首相の肖像画を撤去して、官邸の別の場所に移したという。肖像画とはいえ、上からサッチャーに見下されると落ち着かない気持ちになるというのがその理由のようだが、さもありなんとも思う。
映画のラストでは全英選手権での優勝が描かれるが、授賞式でのリーダーのダニーのスピーチが心に残る。
「この10年間、政府は産業を破壊してきた。我々の産業を。さらには我々の共同体、家庭生活を。発展の名を借りたまやかしのために。2週間前、このメンバーの炭鉱も閉鎖されました。またも大勢が職を失った上に、大会に勝つ意欲、闘う意志までも失いました。しかし、生きる意志さえ失ったら、悲惨です。
人はアシカやイルカのためには立ち上がる。でも、ブラスのメンバーたちはごく普通の正直で立派な人間です。その全員が希望を失っているのです。彼らはすばらしい演奏をします。でも、何の意味が?」
「威風堂々」のブラスの演奏が流れる中、自分たちの町へと帰るメンバーたちの姿にダブって、「1984年以来、英国で閉鎖された炭鉱は140。25万人近くが失業した」との字幕スーパーが映し出される。
本作では、ブラスの演奏で「ダニー・ボーイ」「ウィリアムテル序曲」「威風堂々」などなど名曲の数々が演奏されるが、どれもがすばらしい。
それもそのはず、演奏しているのは実在するブラスバンド「グライムソープ・コリアリー・バンド」であり、映画の演奏場面でも、メインのキャストと一緒にメンバーたちが出演しているという。
同バンドは、1992年10月13日、彼らが働くグライムソープ炭鉱の閉鎖が決まると、その逆境の中、4日後の10月17日、ロイヤル・アルバート・ホールでの全英ブラスバンド選手権に出場して鬼気迫る演奏を披露。100点満点中99点をマークし優勝した。
原題の「BRASSED OFF」はイギリス英語で「怒っている」「うんざり」という意味だそうだが、語源はブラスバンドの「BRASS」からきているのか、なかなか味のあるタイトル。
また、バンドのリーダーであり指揮者が病に倒れ、病院に担ぎ込まれ命の危機に陥ったとき、窓の外でメンバーたちが演奏したのは「ダニー・ボーイ」。リーダーの名もダニーで、ピッタリの曲だった。
ついでにその前に観た映画。
民放のBSで放送していた日本映画「拝啓総理大臣様」。
1964年の作品。
監督・脚本・音楽:野村芳太郎、出演:渥美清、長門裕之、横山道代、宮城まり子、壺井文子、加藤嘉、原知佐子、山本圭、三津田健ほか。
野村芳太郎監督・渥美清主演の「拝啓」シリーズ第3弾。浅草芸人出身の渥美が関西芸人役に挑む異色のコメディ。
角丸(渥美清)は人がよすぎて要領が悪く売れない漫才師。そんな角丸のかつての相方であるムーラン(長門裕之)は、今は東京に出て妻のルージュ(横山道代)と組んだ漫才で人気を博し、角丸とは対照的に売れっ子タレント。
そんな中、師匠の死に一念発起した角丸は上京してムーランと再会。また一緒に漫才をやろうと持ちかけるが、ムーランは妻に浮気の現場を押さえられてそれどころではない。
角丸は、上京の途中で知り合った父親が黒人のハーフの娘、アヤ子(壺井文子)と組んでどさ回りの一座に加わり、ふたたび漫才を始めるが・・・。
「拝啓天皇陛下様」「続 拝啓天皇陛下様」のヒットに気をよくして3匹目のドジョウをねらってつくった作品。
差別用語満載で、今ならとてもじゃないが映画になんかできないなーと思いつつ観る。
もともと東京・下町で活躍した浅草芸人出身の渥美が、関西弁丸出しの関西芸人をやるというので興味深く観たが、さすがに芸はうまいが、関西弁はやはりサマになってない。途中から浅草芸人の地が出ちゃったりするが、それでないと渥美の芸も生きてこないから、致し方ない。
これに対して、相方の長門裕之は京都の生まれで、大学を中退するまでは京都に住んでいたのだから、関西弁はお手のもの。その落差がやっぱり気になったが、映画での2人の漫才のシーンは、むしろその落差が面白かった気もする。
本作を観ていて注目したのが、父親が黒人のハーフの少女を演じた壺井文子という人だ。
同じ日本人なのに父親が黒人というだけで差別を受けながらもけなげに生きていく少女を演じていて、1959年公開の「キクとイサム」(今井正監督、水木洋子脚本、北林谷栄主演)を意識した描かれ方をしていたが、出演は本作だけのようで、その後の消息も不明だ。
「キクとイサム」は、日本女性とアメリカの黒人兵士との間に生まれた姉弟が祖母に育てられ差別と闘いながらたくましく生きていく物語。出演した姉弟のおねえさん役をした高橋ミエ子さんは、当時東京・荒川の小学校6年生で、何人かの候補の中から選ばれて今井監督のもと俳優としての訓練を受けて撮影に臨み、作品は毎日映画コンクールで日本映画大賞を受賞するなど数々の賞に輝き、彼女と弟役の2人は毎日映画コンクール演技特別賞を受賞。その後、彼女は歌手として活躍したそうだが、壺井文子の場合はどうだったのだろうか?
映画の始めのころはとにかく演技がヘタで学芸会なみ。たぶん映画初出演のド素人なのだろうからしょうがない。ところが、だんだん芝居がうまくなっていく。最後の方のヘルスセンターでの渥美との漫才なんか実に見事で、大笑いした。
1本の映画の中で役者が成長していくところを初めて見た気がした。