歌舞伎座「十二月大歌舞伎」の第3部を観る。
第1部で歌舞伎役者とバーチャル・シンガーの初音ミクが共演する超歌舞伎「今昔饗宴千本桜(はなくらべせんぼんざくら)」が話題だが、やはり今月の見どころは「天守物語(てんしゅものがたり)」の夜の舞台。
歌舞伎座に吹く新しい風?
「天守物語」に先立って、まずは舞踊劇「猩々(しょうじょう)」。
中国の伝説をもとにして能になり、さらに舞踊化された作品だ。
中国・揚子江のほとりで、2人の猩々(松緑、勘九郎)が酒売り(種之助)に勧められるまま大好きな酒を飲み、愛嬌たっぷりに、ときに格調高く舞い踊る。
播磨国姫路にある白鷺城の天守閣は、人間たちが近づくことのない美しい異界の者たちが暮らす別世界。天守の主である富姫(七之助)のもとに、彼女を姉と慕う亀姫(玉三郎)が訪れ、富姫は土産として城主の播磨守愛玩の白鷹を播磨守から奪って亀姫に与える。
その夜、白鷹を探しにやって来たのは播磨守に仕える姫川図書之助(虎之介)。美しい異形の世界の住人とこの世の人間とが出会い、その行方は・・・。
美しく気高き天守夫人・富姫と、涼やかな若侍・図書之助とが出会い、怪異と幻想の中で2人の魂は互いに惹かれ合っていく。泉鏡花ならではの幻想的で詩情豊かな世界。
以前、玉三郎が富姫を、海老蔵(今の團十郎)が図書之助を演じた舞台をテレビ放送で観て、ぜひとも舞台を観たいと思っていたが、ようやく実現した。
泉鏡花44歳のときの、円熟期に書かれた作品。彼は「婦系図」「高野聖」「外科室」などの小説で有名だが、「夜叉ケ池」など戯曲もいくつか書いていて、本作もその1つ。
「この戯曲を上演してくれるなら謝礼はいらない。こっちでお土産を贈る」と発言するほど上演を熱望したが、生前には上演が叶わず、埋もれた作品だった。
1917年(大正6年)の発表から実に34年をへて、1951年(昭和26年)10月、新橋演舞場で新派によって初演された。富姫は花柳章太郎、亀姫には水谷八重子、図書之助は伊志井寛という配役だったが、演出したのは俳優座の創設者の一人で新劇の千田是也だった。
千田はかねてから「天守物語」の上演を希望していて、ぜひ演出したいと語っていた。その希望が実っての上演であり、歴史に埋もれたままの「天守物語」を世に出したのは千田のおかげといえるかもしれない。
ちなみに初演のときは舞踏の振付に伊藤道郎、舞台装置に伊藤熹朔と、千田是也(本名・伊藤圀夫)を始め伊藤三兄弟のコンビとなり、しかも新劇界のリーダー的存在である千田と新派の役者との組み合わせというので当時かなり話題となったという。
千田是也といえばドイツの劇作家で演出家のベルトルト・ブレヒトの作品を翻訳紹介し上演も積極的に行ったことでも知られる。ブレヒトは、それまでドラマといえば劇中の人物に感情移入させてその人物に成りきること、とされていたのを、そうした従来のやり方を否定して、あえて出来事を客観的・批判的に観ることを観客にうながす「叙事的演劇」を提唱した人。見慣れたものに対して、それに安易に「同化」するのではなく、奇異の念を抱かせる「異化」の効果を生み出すための独自の演劇理論を打ち立て、演劇の世界に大きな影響を与えた。
そんなブレヒト劇に傾倒したのが千田是也であり、その彼が泉鏡花の「天守物語」の初演を希望したということは、ブレヒトと泉鏡花との間に共通するものを感じたゆえではないだろうか。
「天守物語」が歌舞伎で上演されたのは、新派の初演から4年後の1955年2月の歌舞伎座。6代目中村歌右衛門が若いころに行っていた自主公演「莟会」の第2回公演で、富姫に歌右衛門、図書之助に守田勘弥(14代目)、亀姫に中村扇雀(2代目、のちの坂田藤十郎)。