イタリア・トスカーナの赤ワイン「ヴィーノ・ノビレ・ディ・モンテプルチアーノ(VINO NOBILE DI MONTEPULCIANO)2020」
(写真はこのあと、分厚い牛肉のサーロインステーキ)
ワイナリーのラ・ブラチェスカが位置するのはトスカーナの銘醸地モンテプルチアーノ。古代エトルリア、ローマ、そして中世ルネッサンス時代の面影を残す歴史あるところで、古くからワイン造りが盛んなエリアであり、この地域特有のブドウ品種プルニョーロ・ジェンティーレを主にメルロをブレンド。
果実味とタンニンのバランスがとれた1本。
ワインの友で観た映画。
民放のCSで放送していたイギリス映画「ベルファスト」。
2021年の作品。
原題「BELFAST」
製作・監督・脚本ケネス・ブラナー、出演ジュード・ヒル、カトリーナ・バルフ、ジェイミー・ドーナン、ジュディ・デンチ、キアラン・ハインズほか。
俳優・監督・舞台演出家として活躍するケネス・ブラナーが、出身地である北アイルランドのベルファストを舞台に、自身の子どものころの体験を投影して描いた自伝的作品。
タイタニック号の建造地としても知られる北アイルランドのベルファスト。そこで生まれ育った9歳の少年バディ(ジュード・ヒル)は、父親(カトリーナ・バルフ)、母親(カトリーナ・バルフ)、祖父(キアラン・ハインズ)や祖母(ジュディ・デンチ)、それに兄や友だちに囲まれ、映画や音楽を楽しみ、充実した毎日をすごしていた。笑顔と愛に包まれた日常はバディにとって完璧な世界だった。
しかし、1969年8月15日、プロテスタントの武装集団がカトリック住民への攻撃を始め、穏やかだったバディの世界は突如として悪夢へと変わってしまう。住民すべてが顔なじみで、ひとつの家族のようだったベルファストは、この日を境に分断され、暴力と隣り合わせの日々の中で、バディと家族たちも故郷を離れるか否かの決断を迫られる・・・。
本作の背景にあるのが北アイルランド問題だ。
アイルランドは長くイギリスの支配下にあったが、独立戦争の後に独立を果たし、第二次世界大戦の後の1949年にアイルランド共和国が成立してイギリス連邦からも離脱した。しかし、国民の7割近くがカトリック教徒であるのに対して、プロテスタント系住民が多く住み、カトリックが少数派だった北アイルランドについては、イギリスは分離・独立を認めないままだった。
このため北アイルランドで高まった独立運動は宗教対立となって暴力にまで発展し、1960年代になるとさらに深刻化。カトリック系住民の武装組織であるIRA(アイルランド共和国軍)によるテロと、それに対するプロテスタント側の報復が繰り返されるようになった(現在は融和が進んで和平が成立し一応の平穏が実現している)。
しかし、北アイルランド紛争のそもそもの発端は、1534年のイギリス国王ヘンリー8世の離婚問題だというのだから釈然としない。
もともとアイルランドはブリテン島のイギリス人とは異なるケルト人(ゲール人)の歴史と伝統がある国。イギリスもアイルランドもカトリックの国だった。ところが、宗教改革と称してローマ教皇と対立し、イギリスは1534年にイギリス国教会を設立してプロテスタントの国になったが、その理由は、妻と離婚したくてもカトリックではそれができないためプロテスタントに転じたというヘンリー8世の私的理由(子孫繁栄は王国の存亡に関わる重大問題だったかもしれないが)からだった。
つまり、イギリスの宗教改革は国王の自分勝手によるものであり、さらにイギリスは1801年に併合したアイルランドにもプロテスタントを強要し、とくに北アイルランドにはプロテスタントを続々と入植させて、両派が混在するようになってしまったのだ。
映画の話に戻れば、製作・監督・脚本のケネス・ブラナーはベルファスト出身で、親はプロテスタントの労働者。映画同様、9歳のときに家族とともにイングランドに移住していて、当時のベルファストの思い出を幼い目に焼きつけている。
主役で登場している少年はまさしくブラナー自身であり、彼が体験した激動の時代のベルファストの様子や、大人たちに翻弄されながらも成長していく姿が、当時の雰囲気を出すためかモノクロの映像でつづられている。
ちなみに、主人公のバディを演じたジュード・ヒルはじめ、父親役・母親役・祖父役・祖母役みんなアイルランドや北アイルランド出身かアイルランドにルーツを持つ役者たちで固められていて、監督のふるさとへの強い思い入れがうかがえる。
ケネス・ブラナーの少年のころの思い出が次々に映し出される。
ジョン・ウェインとジェームズ・スチュアート出演の「リバティバランスを射った男」、ゲイリー・クーパー、グレイス・ケリー出演の「真昼の決闘」、そのほか「七人の愚連隊」「恐竜100万年」「チキ・チキ・バン・バン」など、本編はモノクロだが、映し出される昔の映画だけはカラー(ただし「真昼の決闘」はモノクロ映画だけにそのまま)。
クリスマスにもらうプレゼントの中にはサンダーバード1号のおもちゃがあったり、ミニカーはアストン・マーチンDB5。映画007シリーズでジェームズ・ボンドが乗るボンドカーとして知られ、ちょうど60年代は007シリーズが人気だった。
観ていてこっちも昔を懐かしむ。
ブラナーはもともと舞台俳優であり、シェイクスピア作品に数多く出演して“シェイクスピア俳優”としても有名。その影響によるものか、映画の中で随所に語られるセリフがシェイクスピアばりにウイット富んでいて、秀逸だった。
本作はアカデミー賞で作品賞、監督賞ほか計7部門にノミネートされたが、受賞したのは脚本賞。そのことからも、脚本がよくできていたのがわかる。
とくに洒落たセリフを連発するのが主人公の少年バディの祖父。
バディは学校の同じクラスに思いを寄せる女の子がいて、テストの成績がいいとその子の隣に並べるかもしれない。計算問題でいい点をとろうと勉強中のバディに祖父は言う。
祖父「忍耐だよ、計算も色恋も」
バディ「(計算問題の答えを示して)これ27で合ってる?」
祖父「近いぞ。わざと数を読みづらくして書くんだよ。すると先生もよき解釈をして、『この7は1かしら?』って思うかもしれない。2や6もそうだ。選択を増やせば勝率も上がる」
バディ「それってズルじゃないの?」
祖父「スプレッド・ベッティングだよ」
バディ「でも、答えはひとつでしょ?」
祖父「答えがひとつなら、紛争も起きんよ」
編み物途中の祖母と祖父の会話。
祖母「(カトリックとプロテスタントの紛争に嫌気が差して移住する人たちを見ながら)みんな故郷を捨てている」
祖父「時代の流れだよ。“長すぎる我慢は心を石に変える”」
祖母「そうなの?」
祖父「人が何かを学ぶには、胸の高まりが必要だ」
祖母「まあ、哲学者ね。あなたはいつ胸が高なった?」
祖父「茶色いストッキングのお前を見たときだ」
祖母「(笑いながら)いやだわ」
祖母「よく覚えてるさ」
祖母「タバコを浸した水で足を茶色く染めて、ストッキングの“縫い目”を鉛筆で書いたの。あなた、私の足を触って“あれ?”って顔を」
祖父「おかげでメロメロさ。白髪頭はときめきと無縁といわれるけど」
祖母「今もときめく?」
祖父「お前を見るたびにな」
祖母「相変わらずばかね」
現実生活でもこんな会話を楽しみたい。
ついでにその前に観た映画。
民放のCSで放送していたイギリス映画「ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ」。
2021年の作品。
原題「THE ELECTRICAL LIFE OF LOUIS WAIN」
監督・脚本ウィル・シャープ、出演ベネディクト・カンバーバッチ、クレア・フォイ、アンドレア・ライズボロー、オリヴィア・コールマン(ナレーション)ほか。
猫をモチーフにした作品で人気を集めたイギリスの画家ルイス・ウェインの生涯を描いた伝記映画。
1881年のイギリス。上流階級に生まれたルイス(ベネディクト・カンバーバッチ)は早くに父を亡くし、一家を支えるためイラストレーターとして働くようになる。
やがて妹の家庭教師で10歳以上年上のエミリー(クレア・フォイ)と恋に落ちた彼は、周囲から身分違いと猛反対されながらも彼女と結婚。しかしエミリーは末期がんを宣告されてしまう。
そんな中、ルイスは庭に迷い込んできた子猫にピーターと名づけ、エミリーのために子猫の絵を描き始めるが、彼女は3年足らずで亡くなってしまう。喪失感を埋めるため次々と猫の絵を描くルイスだった・・・。
ルイス・ウェイン(1860年~1939年)は実在の人物で、擬人化された猫を新聞や雑誌で描き続けた。ちょうど夏目漱石がロンドンに留学していた1900年から1902年にかけては人気絶頂で、漱石の小説「吾輩は猫である」にも影響を与えたのではないかといわれるほど。
SF小説家のH・G・ウェルズはルイスについて「彼は自身の猫をつくりあげた。猫のスタイル、社会、世界そのものを創造した。ルイス・ウェインが描く猫とは違うイギリスの猫は、自らを恥じてしかるべきである」と記している。
さらにウェルズは「彼は明らかに猫の社会的地位を上げ、世界をよりよいものにした」とまで述べている。
たしかに、犬がペットとして愛されていた時代、イギリスでは猫はむしろ不吉の象徴として白い目で見られいて、せいぜい猫の利用価値はネズミ退治用ぐらいでしかなかった。それが、ルイス・ウェインの描く絵によって猫がかわいいものとして人々に愛されるように変わっていったといわれるほどだ。
猫を不吉ととらえるのはイギリスだけではなくヨーロッパ中が同様で、その理由は、ヨーロッパに吹き荒れた「魔女狩り」にあるといわれる。魔女に疑われたのは女性だけではなく、男性も迫害の対象となったし、悪魔のシンボルとされた猫もたくさん弾圧された。とくに黒猫は、闇の色に似た黒い色をしているというのでとばっちりを受けた。
そんな悪いイメージを一掃させたのがルイスが描いた猫の絵であり、その原動力となったのが亡くなってしまった妻への愛だった。
もうひとつ、ルイスを語るうえで忘れてはいけないのが「電気」だ。
実は、本作の邦題は「ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ」となっていて、いかにも“愛の物語”となっているが、原題はまるで違っていて、「THE ELECTRICAL LIFE OF LOUIS WAIN」、つまり「ルイス・ウェインの電気的な生活」となっている。
彼は晩年には統合失調症を患うようになり、作品にもその影響があらわれるようになるが、「電気」に強い関心を持っていた。自分を発明家だと思っていた節があり、特許を取ろうと自己流の実験を繰り返したりもしていた。
この当時、電気というテクノロジーはまだ比較的新しいものだったから、人々の理解を超えたところがあったに違いない。ルイスはそこに不思議な魅力を感じたのかもしれなくて、電気にはよい電気と悪い電気が存在していて、それが世界の働きを理解するカギなんだ、みたいなことをいっている。
なぜ彼がそう思うようになったかというと、彼は自分のメンタルヘルスに苦しみ、「自分の見える世界、経験している世界はどうしてこうも多様なんだ」「すごく美しいときもあれば冷酷なときもある」と思い悩み、現実とファンタジーの見分けがつかなくなるようなこともあり、そこで無想したのが「電気」だったのではないか。
彼にとって「電気」とは「愛」に通じるものであり、自分の中に満ちあふれる電気の力こそが愛を成就させると思ったのかもしれない。
監督のウィル・シャープは俳優としても活躍している日系イギリス人。
1986年にイギリス人の父と日本人の母のもとで生まれ、8歳まで日本で育つ。ケンブリッジ大学を卒業後、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに参加。その後、映画にも進出するようになったという。