善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

最近読んだ本

最近読んで、よかった本。

 

松井今朝子「愚者の階梯」(集英社

「壺中(こちゆう)の回廊」(2013年)、「芙蓉(ふよう)の干城(たて)」(18年)に続く歌舞伎ミステリーの第三弾。

 

舞台は昭和10年(1935年)。歌舞伎が盛んだった一方で、キネマ(映画)が上り調子となり、無声映画からトーキー(発声映画)の時代となって大河内伝次郎とか嵐寛寿郎らが銀幕の「スタア」と呼ばれるようになっていたころ。

実在の人物を想像しながら読んでいくとおもしろい。

「亀鶴興行」とは「松竹」に違いないし、師匠である女形の「女帝」に破門されて歌舞伎界から飛び出した人物といえば、五代目中村歌右衛門に破門され、仲間と前進座を創立した中村翫右衛門あたりがモデルになっているのかと思いながら読んでいく。

史実とフィクションが実に巧妙に混じり合っていて、昭和10年の3年前に建国された満州国の皇帝溥儀を迎えて「勧進帳」「紅葉狩」を上演するとあるが、史実でも、溥儀が歌舞伎座に来たときに「勧進帳」と「紅葉狩」が上演されたという。

勧進帳」に右翼がケチをつけるくだりは著者の創作らしいが、これもあながちウソとはいえず、このときではないが実際に歌舞伎座に「不敬」を理由にねじ込んだ人物がいたらしいし、戦時中「勧進帳」は改訂されていたことがあるという。

そこで著者は、やはりケチがついたのではと思って、東大寺再建の寄付を募る山伏一行と偽った弁慶が勧進帳を読みあげる場面で「(聖武天皇が)最愛の夫人に別れ追慕止み難く」とあるところを、光明皇后聖武天皇よりあとに亡くなっているのにすでに亡くなっているように書くのは不敬だといわせていて、何でもこじつけて難クセをつけるあたり、ありうる話だと思いながら読む。

 

昭和10年は、翌年に起こる二・二六事件の前夜でもあった。実際このころ、「不敬」ということが盛んにいわれ始め、軍国主義の道を突き進んでいく。

美濃部達吉東京帝国大学教授の天皇機関説が公然と排撃され、美濃部教授は不敬罪により取り調べを受け、天皇機関説が公式に排除され、学校で教えるのさえ禁止されたのもこの年だった。

「国家を一つの巨大な法人とすると、大日本帝国憲法はその最高意思決定機関を天皇としている」という天皇機関説は、当時の法曹界では常識だったという。

しかし、国民主権に反する旧憲法のその位置づけさえも否定し、天皇を超法規的な存在にして天皇は神なのだから神聖にして侵すべからず、文句をいわずに従えとする究極の右傾化の大波が一挙に日本全体を覆ってしまったのだ。

筆者は、この時代の動きがどこか現在の日本と二重写しになって見えると感じ、昭和10年を舞台にしたと語っている。

とくに本作で天皇機関説を取り上げようと思ったのは、「小説すばる」に連載を始める前、日本学術会議の会員の任命問題で、学術会議が推薦した候補を時の内閣が拒否するなんて、やってはいけないことなのではないかと思ったからだとインタビューで述べている。

作中での主人公の大学講師、桜木治郎の言葉も耳に残る。

「真っ当な知識人が影をひそめ、偏狭な日本バカが大きな顔をしだした」

しかし、その桜木も、「(美濃部博士と同じ目にあったら)自分にはとても耐えきれない」と弱音をはく自分にも失望している。

戦争をとめられなかった理由のひとつには、知識人の弱さもあるんじゃないか、ということも筆者は語っている。

本作は、歌舞伎界の光と影を追うとともに、戦争へと向かっていく「愚者の階梯(階段)」の物語だった。

 

 「エイドリアン・マッキンティ「レイン・ドッグズ」(武藤陽生・訳、ハヤカワミステリ文庫)

アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀ペイパーバック賞受賞作。

主人公は王立アルスター警察隊のショーン・ダフィ巡査部長でカソリック教徒のショーン・ダフィ。本作はダフィ・シリーズの5作目。

1987年の北アイルランドフィンランドの企業の一行が、携帯電話工場の候補地を探すためベルファストを訪問中、古城で女性ジャーナリストの転落死体が発見される。事件当時の現場は完全な密室状態であり、捜査は難航を極める。さらにダフィの元に警察高官が爆殺されたという連絡が入る。彼はIRAの手によって殺されたというのだが・・・。

 

小説に出てくる会話の中で、普通なら「ハイ」と答えるところを盛んに「アイ」と返事するので気になったが、アイルランドでは「Yes(イエス)」というところを「Aye(アイ)」といっているらしい。

もともとはスコットランドアイルランドなどの地域語で、16世紀後半~17世紀前半ごろになると普通の英語にも取り入れられるようになった。しかし、今では「アイ」が使われるのは議会と海軍ぐらいだという。

イギリスの議会では、法案の可決・否決を決める際、「Yes」「No」の代わりに「Aye」「No」を使うのが正式だそうだ。

海軍では「Aye Aye Sir」というときに使われる。

「Aye」1回ではなく2回繰り返すことで、「命令を理解し、実行します、上官どの!」となるらしい。

 

星野博美「世界は五反田から始まった」(ゲンロン)

筆者は東京・品川区の戸越銀座に生まれ育ったノンフィクション作家。

知らない人と会って故郷を聞かれたら「五反田」と答えるという。戸越銀座も五反田の“勢力圏”と考えればナルホドと思う。

その五反田に彼女の祖父が13歳でやってきたのが1916年。以来、100年以上にわたって、三代にわたり住んでいる。祖父から父、子と、三代の足跡をたどると「世界から五反田は始まった」といえるような日本の姿がきっと見えてくるに違いない・・・。

 

生前に祖父が書き残した手記や郷土史料を元に星野家の過去物語と町の変遷をたどっていく。町工場がひしめく街の様子、街を襲ったスペイン風邪関東大震災小林多喜二の足跡、日本で初めてできた無産階級のための託児所と診療所、軍国化、空襲、疎開、戦中戦後を生き抜いた庶民の知恵・・・。

読んでいくうち、ひょっとして世界は本当に五反田から始まったのかもしれない、と思えてくるから不思議。その伝でいけば、日本のどこに住んでいても、自分の住む土地のことを詳しく調べていけば「ここから世界は始まっている!」と自信を持っていえるようになるかもしれない。

 

著者は「転がる香港に苔は生えない」(2000年)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

末尾の「おわりに」のあとの「追記」に共感を覚える。

「(ロシアの軍事侵攻を受ける)ウクライナの人々の恐怖と憤怒は、かつて私たちの国がアジアの人々に強いたものだ。ロシアの人々が今、世界から向けられている視線が、かつては自分たちに向けられていたことを、私は忘れないでおきたい。

それが、心を痛めつつも、ある種の熱狂から距離を置く方法だと思っている」