善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「ルディ 涙のウイニング・ラン」

チリの赤ワイン「モンテス・アルファ・カベルネ・ソーヴィニヨン(MONTES ALPHA CABERNET SAUVIGNON)2022」

ワイナリーは「チリ発、チリ人だけのチリワインカンパニー」として1988年に創業したモンテス。現在、わが家にはモンテスの赤ワインが数本あり、本日のメイン料理は牛焼肉というのでカベルネ・ソーヴィニヨンをチョイス。

よく肉料理と相性がいいのは赤ワインで、脂身の多い牛肉料理には濃厚で渋みがしっかりとしたカベルネ・ソーヴィニヨンがいいとわれるが、赤ワインの渋みはブドウの皮や種に含まれるタンニンに由来し、タンニンが多く抽出されやすいのがカベルネ・ソーヴィニヨンなんだそうだ。

なるほど、飲むほどに肉料理がおいしくなり、また食べるほどに酒もうまさを増し、これぞマリアージュ(フランス語で「結婚」を意味する)の妙?

 

ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していたアメリカ映画「ルディ 涙のウイニング・ラン」。

1993年の作品。

現代「RUDY」

監督デイヴィッド・アンスポー、出演ショーン・アスティンジョン・ファヴロー、チャールズ・S・ダットン、ネッド・ビーティ、ロバート・プロスキーほか。

数々の困難を乗り越えた努力の末に、名門大学のフットボール(アメフト)選手となって試合に出場する夢をつかんだ実在の人物、ルディ・ルティガーを主人公にした青春スポーツドラマ。

 

イリノイ州の田舎町に住む高校生ルディ(ショーン・アスティン)。彼の夢は、フットボールの名門ノートルダム大学のチームの一員となってプレーすることだった。だが、身長160㎝で体重55㎏と体が小さく、勉強の成績も不振、家庭も裕福でないルディにとって、それは実現できそうもない遠い夢だった。

やがて高校を卒業した彼は、父や兄が働く製鉄所に就職する。だが、夢を諦めきれない彼は学費を貯め、直訴したノートルダム大学の神父の温情で同大学に付属するカレッジに入れてもらい、努力の末にぎりぎりでノートルダム大学への転入を果たす。

フットボール部のトライアウトを受けて、猛烈なガッツが買われなんとか合格するものの、常に優勝を狙うチームにあって、小柄でなおかつ運動神経の鈍いルディに出番はなかった・・・。

 

主人公のルディを演じる役者、どこかで見たことあるなーと思ったら、のちに「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ(2001~03年)に従者サム役で出演していたショーン・アスティンだった(ちなみに母親は「奇跡の人」のパティ・デューク)。

ロード・オブ・ザ・リング」でも本作同様に小柄で誠実な役どころだったが(ホビット族というのが背丈の低い種族という設定ではあった)、実際の彼の身長は5フィート7インチ(1・70m)でトム・クルーズと同じ。それでも、「小柄」のイメージが彼にはある。

たしかに、映画の中でチームのメンバーと並んで立ったりすると、その小ささが際立つ。2022年のNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)のデータでは、リーグ全体の平均身長は188㎝(平均体重は110㎏)というから、なるほどと思う。

ちなみに同年のデータでNFL選手の出身大学を見ると、ノートルダム出身者は全選手中9%で全米の大学6位タイとなっている。

近年はタイトルから遠ざかっているようだが、11度のナショナル・タイトル(全米優勝)、7人のハイズマン賞受賞者(全米最優秀選手)の獲得数はともに全米一で、人気度では全米随一なんだとか。

そんな名門チームに入部できて、しかも試合の出場選手に名を連ねて、実際にフィールドに出てプレーするというのだから、それは大変な名誉に違いない。

映画では、彼は4年生になって、大学生活最後の試合に初めてベンチ入りメンバーに選ばれる。

スタジアムは超満員(何しろノートルダム大学には大学の構内に8万人収容の自前のフットボールスタジアムがあり、全国ネットのテレビ局と独自に中継契約を結んでいて試合は全米にナマ放送される)。ノートルダムの勝利が確実な状況となって出番のなかった4年生が次々とフィールドに送り込まれるが、それでもヘッドコーチからはルディに声がかからない。

残り時間が1分を切り、定石ではオフェンスチームが時間稼ぎのプレーをして試合を終わらせるのだが、それではディフェンスの選手であるルディの出番はない。ルディが4年間、諦めることなく努力し続けてきたことを知っているチームメイトたちは、何としても彼を試合に出させたいと、セオリーもコーチの指示も無視してノートルダムの攻撃をすぐに終わらせてディフェンスチームの出番をつくる。

わずかな時間を残して相手チームに攻撃権が移り、ルディは晴れてディフェンスチームの一員としてフィールド出場を果たし、公式戦の試合記録にその名を残す。そればかりではない。試合終了間際、ルディはディフェンス選手の最高の手柄とされる相手QBを潰す「QBサック」を決め、チームはそのまま勝利。

大歓声の中、仲間たちに担ぎ上げられたルディは、涙のウィニング・ランをするのだった。

彼の涙は、どんな困難に直面しても諦めないことの大切さを教えてくれる。

 

映画を見ていておや?と思ったことがあった。それはノートルダム大学のフットボールチームのニックネームで、「ファイティング・アイリッシュ」、つまり「戦うアイルランド人」となっていた。しかも、このニックネームはアメフト部だけでなく、同大学の運動会全体に使われるニックネームなんだそうだ。

もともとノートルダムというフランス語由来の大学名にもあるとおりフランスの修道会が設立したカトリックの大学。それなのになぜ「アイリッシュ」なのか?

いくつか説があり、ひとつは、今から100年前のこと、大学の運動会にノートルダムの特徴をあらわすような愛称をつけようということになって、小さな大学なのに不屈の精神の選手が集まっていることを、ヨーロッパの果ての小さな島国なのに、忍耐強く、しかもカトリックの伝統のあるアイルランドになぞらえて命名したとの説があるそうだ。

また、南北戦争のとき、大学の学長をつとめたフランス人神父がアイルランド出身者で構成される部隊の従軍聖職者となり、その勇敢さをほめたたえて命名したとの説もある。

イギリスの植民地だったアイルランドが独立したのも、今から100年ぐらい前のこと。アイルランドの独立を、やはりイギリスから独立したアメリカの人々は祝福したに違いない。

アイルランドで「ジャガイモ飢饉」と呼ばれる大飢饉(1845~1849年)が起こって、貧しい農民たちは新天地を求めてアメリカに移住していった。カトリックの移民たちは、主に北東部の都市で労働者として糊口をしのぐような生活を強いられながらも耐えてがんばった。肉体を酷使する職業にも積極的に就き、今も警察官や消防士などに従事するアイルランドアメリカ人は多い。

プロテスタントが多数を占めるアメリカでは、かつては「カトリックは大統領になれない」といわれたものだったが、その不文律を初めて破って大統領になったのがアイルランドにルーツを持つカトリック教徒のジョン・F・ケネディだった。現在のバイデン大統領もアイルランド系のカトリックだ。

ノートルダム大学の運動会がアイルランドのスピリッツに共感したとしても、何の不思議はない。

そして、同大学のマスコットも、アイルランドの伝承に登場する妖精レプラコーン(「ファイティング・アイリッシュ」なのでファイティング・ポーズ)。

 

映画を見ると、いろんな疑問がわいてきて、それを調べる楽しみも付録でついてくる。