善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

正倉院のろうけつ染め

火曜日は朝から暑い。ナント東京は午前0時07分、つまり真夜中の時点で28・5度。明け方になって少し下がってそれでも最低気温が27・3度(4時42分)。その後気温は上昇中。暑いはずだ。

8時ごろ、思い荷物(夏休みの宿題か)を抱えた小学生たちが登校していく。そうか、きょうは始業式か。以前は8月いっぱいまで夏休みを満喫できたが、今の小学生は忙しいのかな。

土曜日に「アフリカの染織」展(新宿の文化学園服飾博物館で開催中)のことを書いたが、同展で見たナイジェリアの「アディレ・エレコ」と呼ばれる糊防染の藍染布について少し調べたら、意外な発見があった。
「アディレ」というのは防染によって柄を描いた藍染布のことで、防染のやり方とか柄の描き方でいろんな種類があり、「アディレ•エレコ」とはキャッサバのでんぷんによる糊防染の藍染布をいうのだそうだ。キャッサバはイモの一種で、たしかナイジェリアでは主食である。

「アディレ・エレコ」には型染めとか手描きとかいくつかのやり方があるというが、日本にも糊防染の染め物があるな、とすぐ連想したのが型染めだった。沖縄の紅型も同じ型染めだが、ナイジェリアではキャッサバのでんぷんを糊にしているのに対して、日本ではもち米と糠を使っている。どちらも主食を使っているところが興味深い。

両者には共通点があるのかと日本の糊防染のルーツを調べたら、奈良・東大寺正倉院に行き当たった。
正倉院に収蔵されている宝物に「﨟纈屏風(ろうけちのびょうぶ)」というのがある。ヒツジやゾウ、オウムなどが描かれたものが何点かあり、明らかに西アジアあたりからシルクロードを伝わってきた文化の影響を受けている。
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(正倉院のHPより)

﨟纈(ろうけち)とは、今は「ろうけつ」ともいわれるが、「﨟」とは「蜜蝋(みつろう)」のことだ。「纈」は「しぼりぞめ」「あやぎぬ」と白川静の『字通』にある。
「蜜蝋」とはミツバチが腹部のあたりから分泌するワックス成分のことで、分泌されたばかりのものは薄い白色をしている。これを仲間のミツバチが口で受け止め、自分の口から出る唾液と練って巣の材料にする。六角形の巣房がこの蜜蝋によって作られる。

蜜蝋を熱で溶かし、生地につけて防染する技法が﨟纈。正倉院の﨟纈には型押し蝋防染が多く見られ、これが型染めの元祖といえるもの。
型版を作り、スタンプのように蝋を押す技法で、中には型押しと手描きによる蝋描きの技法を併用したものもあるという。
防染の材料として、でんぷんではなくミツバチのロウ成分、ビーワックスが使われていた。
でんぷんも蝋も、塗るときは溶かして使えて一度固まれば染料が染み込むのを防げるし、不要になれば水で洗ったり熱を加えたりして容易に溶けなくなる利点がある。

一説によれば、﨟纈の源流はインドとされ、中国では唐の時代に流行した染織技法という。ほかにも、ペルシャインドネシアが源流との説もあるらしい。
ところが日本では、平安時代ごろを境に蜜蝋を使った﨟纈は行われなくなり、大正時代に復活するまでは長い空白の時代をすごしたという。

なぜか。奈良時代のころ、蜜蝋は中国から輸入されていて、遣唐使が廃止されて蜜蝋が輸入されなったことをきっかけに、この技法は途絶えてしまったのだという。
つまり、現代のわれわれが「ろうけつ染め」と呼ぶ技法は、1000年の沈黙を破って復興された技法であり、1000年前は蜜蝋を使っていたが、今日のろうけつ染めは化学製品のロウを使っている(もちろん中にはホンモノの蜜蝋を使っている人もいるだろうが)。

しかし、日本にも在来種のニホンミツバチがいて、蜜蝋を採ろうと思えば採れたと思うが、それほどの量が得られなかったのだろうか?

正倉院に収蔵されている宝物には「臈蜜」というのもあって、「種々薬帳に見える薬物。トウヨウミツバチの巣である蝋を丸餅状に固めたもの。薬用としては軟膏の基剤など」と説明にある。
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たしかに、古来、丸薬を作るときにはハチミツが使われたが、この臈蜜は型染めの染織のときに必要だったのではないか。

ほかに、仏像(金銅仏=溶かした青銅を型に流し込んで作る鋳造像)を作るときも型をとる際に蜜蝋が使われていて、昔は蜜蝋はいろんな用途に使われていたようだ。