善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

正倉院展と杉本博司と文楽 その2

京・大阪・奈良の駆け足旅2日目。

大阪のホテルを8時半ごろ出て、今回の旅の主目的である奈良国立博物館で開催中の「正倉院展」へ。f:id:macchi105:20211107143317j:plain

今年の正倉院展は「前売日時指定券」が発売されていて、10時からの回を観るため早めに着いたので会場の周辺を散策。

ちょうど会場に行く途中にある興福寺の国宝・五重塔で、120年ぶりの大規模修理が近々あり、その前に初層内陣を特別公開しているというので参拝する。f:id:macchi105:20211107143442j:plain

初層内陣には薬師如来像、釈迦如来像、阿弥陀如来像、弥勒如来像とそれぞれの脇侍の仏像、合計12躯が安置されていて、五重塔を支える心柱を見ることもできた。

心柱は1本ものの木材で、これほど太く、しかもまっすぐの原木を探すのは大変だったろうが、この心柱1本で五重塔を支えているおかげで地震にも平気で、免震・耐震設計の教科書ともいわれている。

クレーンなんかない時代、40mもあるという太くて長い柱をどうやって立てたのか。そちらにも興味をそそられる。

 

正倉院展会場には10時少し前に着くが、すでに長い列。f:id:macchi105:20211107143518j:plain

正倉院の宝物を一般に公開する正倉院展(会期10月30日~11月15日まで)は今年で73回目。

8件の初出陳作品を含む55件の宝物が展示されている。

正倉院奈良時代に建立された東大寺の倉庫で、聖武天皇の遺愛の品々を中心とする約9000件の宝物を今に伝える。正倉院展はこれら正倉院宝物の中から毎年60件ほどを選び公開する展覧会。

今年も、楽器、調度品、染織品、仏具、文書・経巻など、正倉院宝物の全容をうかがえるような多彩なジャンルの品々が出陳され、宝物が織り成す豊かな世界を楽しむことができる。

 

以下、写真撮影禁止のため、気になったものの名前だけ。

螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんのげんかん)」は、聖武天皇が愛用したとされ、円い胴が特徴の4絃の楽器。背面にはヤコウガイやコハクなどを使って2羽のインコがあしらわれている。この当時、唐ではインコが人気だったそうだ。

 

「漆金薄絵盤(うるしきんぱくえのばん)」はハスの花をかたどった極彩色の文様の香炉台で、金箔をあしらった花弁に獅子やおしどりなどが描かれている。

 

今年は、聖武天皇の后・光明皇后が自ら筆をとって写した書「杜家立成(とかりっせい)」とともに筆・墨・硯(すずり)・紙といった奈良時代の文房具がまとまって出陳されたのも特徴。

「杜家立成」とは、ものの貸し借りやお見舞いなどの際の書簡に書く模範文例をまとめた中国の書物。光明皇后の直筆の文字は、おしとやかかと思ったらむしろ力強さを感じる筆致。よほど気の強い人だったのだろうか。

 

奈良時代は、写経が重要な国家事業だったようで、たくさんの人が写経のために駆り出されている。

古来、仏教経典を書写することは大きな功徳があるとされ、特に奈良時代には国家鎮護のため、造東大寺司(ぞうとうだいじし)と呼ばれる政府機関の下に写経所が設置され、書写の専門家である写経生を動員した大規模な写経事業が行われた。

その一人、高市老人という人が写経のときに使った絹の腕カバー「白絁腕貫(しろあしぎぬのうでぬき)」。袖口に擦り切れたような跡があり、実際に使われたことが分かる。

この人は写経所が稼働した約50年のうち30年ほど勤めた古株だという。

 

正倉院古文書と呼ばれるものも何点か紹介されていて、そのうち「続修正倉院古文書第四十九巻」は、写経所やそこで働く人などに宛てた「種々の連絡文書」を集めたもの。

中には「腹痛のため欠勤します。いつ治るか分からないので治ったらすぐ出勤します」という欠勤届もあった。

また、「続々修正倉院古文書」という写経の筆に関する古文書もあった。写経所で経文の筆写を担当する写経生は、一定量の筆写をすると消耗した筆を新しいのと交換することになっていて、それまで筆写した教典名と紙の枚数を申告するのだが、これだけの枚数をやりましたから筆を換えてくださいとしたためた申告書があった。筆は貴重品だったのだろう。簡単には交換してくれなかったみたいだ。

 

752年の東大寺大仏の開眼(かいげん)法要で東大寺に献納された品々もまとまって出陳されている。

はるか西方の地でつくられたとされるガラス製の高坏「白瑠璃高坏(はくるりのたかつき)」は、高度な技術水準を示すガラス器の優品として注目されているそうだ。

開眼法要で演じられた楽舞の装束も出陳され、法要の場の華やかな情景が浮かんでくる。

このうち、大仏開眼会で呉楽(伎楽)の伴奏者(笛吹)が着用した靴下「笛吹襪(ふえふきのしとうず)」の模造品が元の靴下と一緒に公開されていた。

模造品といえど見た目そっくりで、製法も同じにつくったようだ。再現するために最も適した絹を使おうと、在来種の蚕「小石丸の繭」からとった絹糸を用いてつくったという。

 

見るものすべて珍品ばかり。しかもどれも、これが1000年以上前のものなのかと思うほど美しいし、保存技術のすばらしさゆえか、まるで古さを感じない。しかも、文書の内容はけっこう生々しい。

宝物に次々と見入っていくと、自分があの時代に生きているような気分がしてきて、古代にロマンを感じるとはこのことをいうのだろうか。

 

今回初出陳となるのが「茶地花樹鳳凰文﨟纈絁(ちゃじかじゅほうおうもんろうけちのあしぎぬ)」。縦31㎝、横42㎝の絹織物の断片で、赤みを帯びた茶色地に花樹と鳳凰の文様が染め抜かれている。江戸時代、屏風に仕立てられた際に裁断され、元の形状はわかっていない。

これまで、この宝物には溶かした蠟(ろう)を布に塗って染料をはじき、文様を染め抜く「臈纈(ろうけち)」の技法が使われていたとされ、名前も「﨟纈絁」となっているが、実は違う技法が用いられたらしいことが最新の研究でわかったという。

奈良時代の主な染織技法としては臈纈のほかに夾纈(板締め染め)、纐纈(絞り染め)があるが、そのいずれもと異なる技法であり、第4の技法が用いられたのではないかといわれる。

それならどんな染色技法なのかというと、それはわかっていない。ただ、共通する技法と考えられるものは、中国・新疆ウイグル自治区のトゥルファンにあるアスターナ古墳群出土の唐代の染織品に見られ、ここではアルカリ剤を使った印花法(アルカリ剤印花法)により染色が行われていたという。

とすると、トゥルファンでつくられたものが日本に渡ってきたのか、あるいはそこの技術が伝播してきたのだろうか?

 

そもそも﨟纈の源流はインドとされ、中国では唐の時代に流行した染織技法といわれる。大陸の影響を受けて日本に伝わったが、染めるときに染料をはじく蠟として使われたのはミツバチがつくり出す蜜蝋(働きバチの分泌物で巣をつくるときに用いる)だった。日本にもニホンミツバチがいて蜜蝋をつくるが、野生のミツバチがつくるだけで産業としては発達していなくて、奈良時代の日本ではもっぱら中国から輸入したものを使っていた。

こうして蜜蝋の使用は平安時代ごろまでは行われていたものの、遣唐使が廃止されて蜜蝋が輸入されなくなったことをきっかけに、蜜蝋を使った技法は途絶えてしまったという。

原材料が枯渇すれば代替品とか替わりの技法を編み出すことが求められ、トゥルファンで編み出されたのが「アルカリ剤印花法」なのだろうか?

歴史上の遺物を見ていると、いろんな仮説というか想像がふくらむから楽しい。

 

結局、一回りするだけで2時間半ぐらいかかったが、満足度が高いと疲れは感じないもの。

少し歩いた奈良町にある「テラス(TERRACE)」でランチ。

“和とフレンチのマリアージュ”をうたうシャレたレストランで、和食の伝統とフレンチの技法や食材を融合させた料理をランチ、ディナーともに1コースのみで提供してくれる。

シェフによれば、こだわりは「奈良食材」と「四季を感じていただくこと」だそうで、伝統的な大和野菜や奈良の肉などをふんだんに使うほか、奈良で育てられている食材も積極的に使っているという。

「ぜひとも至福のひとときを」というので、うれしくなって白ワイン「笛吹甲州グリ・ド・グリ」をボトルで注文。

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料理は、まず八寸。

カキ、くり、胡麻豆腐、揚げなすのジュレ、キッシュ風味ズワイカニ乗せ、など。(シェフは素材名を詳しく教えてくれたが、記憶してるところだけ。以下、同じ)f:id:macchi105:20211107143606j:plain

バターナッツ南京のすり流し、ホタテのしんじょ、カニのほぐし身のせ、ゆず風味。f:id:macchi105:20211107143706j:plain

お造りは、戻りガツオ、シマアジ、ハーブ乗せ。f:id:macchi105:20211107143732j:plain

鯛、泡麸、エリンギ、朴葉味噌あえ。f:id:macchi105:20211107143812j:plain

蓮根まんじゅう、さわら揚げ(煎餅の衣)、カラスミパウダー。f:id:macchi105:20211107143842j:plain

大和牛薄切り、ジャガイモとニンジンマッシュ。サラダ南京、オクラ、食用コスモスの葉を揚げたの。f:id:macchi105:20211107143913j:plain

ムカゴとマツタケご飯、なめこ赤だし。f:id:macchi105:20211107144224j:plain

デザート

洋梨のソルベ、レモン風味のムース、シャインマスカット。f:id:macchi105:20211107144423j:plain

夜のディナーにも負けない極上のランチとなり、まさに至福のときをすごす。

帰りにはシェフ自らお見送りしてくれた。f:id:macchi105:20211107144506j:plain

 

帰りの電車まで時間があるので、正倉院を見学しようと東大寺へ。

観光客はだいぶ戻ってきていて、修学旅行生も多かった。

わが国最大の山門、東大寺南大門。f:id:macchi105:20211107144539j:plain

天平時代に創建されたときの門は平安時代に大風で倒壊。現在の門は鎌倉時代東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したもの。

南大門には左に阿形像、右に吽形像の金剛力士象が相対している。

運慶と快慶が仏師13人を率いて造立した阿形像。f:id:macchi105:20211107145302j:plain

定覚と湛慶(運慶の息子)が仏師12人を率いて造立した吽形像。f:id:macchi105:20211107145325j:plain

2体は、同時進行によりほぼ70日間で造像されたという。

 

大仏殿の北、東大寺の敷地のはずれにある正倉院f:id:macchi105:20211107145359j:plain

三角の木を組んだ校倉(あぜくら)造りの高床式倉庫で、屋根裏を含め3層になっていて、高さ14m、横の長さ33m、左から南倉、中倉、北倉。

宝物はこの建物の中で唐櫃(からびつ)という容器に納められてた。正倉のとびらは天皇の許しがないと開けられず、みだりに中に入れなかった。

ただし、宝物は今、昭和になって建てられたコンクリート造りの東宝庫と西宝庫に移されていてそこで大切に保存されている。

 

大仏殿。f:id:macchi105:20211107145438j:plain

奈良公園周辺の鹿は、秋になると角を切られてしまい、「鹿の角切り」は秋の風物詩になっているが、中には角切りを免れた鹿もいるようだ。f:id:macchi105:20211107145522j:plain

なかなか立派な角。

 

奈良は紅葉が進んでいる。

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近鉄奈良駅から京都に出て、新幹線「のぞみ」で東京へ。

現代アートとお寺参拝と文楽、それに正倉院展。京・大阪・奈良を駆け抜けた2日間だった。