善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

正月の東京都写真美術館

正月2日は東京都写真美術館がタダというので出かけていく。
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3つの写真展を開催中。全部みれば1,800円するからたしかにおトク。

まずは「ストリート・ライフ」。「ヨーロッパを見つめた7人の写真家たち」という副題がついているが、イギリス、ドイツ、フランスで19世紀後半から20世紀前半に展開したソーシャル・ドキュメンタリー写真に焦点をあてている。ソーシャル・ドキュメンタリー写真とは「社会的な問題を記録した写真」の意味。

さまざまな社会問題を写真にとらえ、それを世の中に広く発表することは多くの人々に現実を突きつけ、ついには社会改革をおこす力ともなった、という。
また、単なる記録にとどまらず、芸術性の高い作品となったものも数多くあり、今回は183点が出展されている。
たしかに、19世紀から320世紀初頭にかけての社会のさまざまな断片が写真で記録されていて、生々しい。

特に心ひかれたのは、ドイツのビル・ブラント(1904-1983)の作品群。
マン・レイ の助手をつとめていた人だそうで、シュルレアリスムの影響を受けた作品が高い評価を得ている。
ハリファックス市の急坂」(1937年)「屋根の上から」(1933年)など陰影が際立つ作品が印象的だった。

同じドイツのハインリッヒ・ツィレ(1858-1929)の作品もよかった。
ワイマール政権下の市民生活を風刺したリトグラフなどで名を知られた画家だったそうで、写真を始めたのは1880年代末ごろ。画家としての主題を、都市の社会的弱者に向け始めたころという。薪を運ぶ女たちの姿など、働く人びとへの共感の眼差しが写真にあらわれている。

ハンガリー出身のブラッサイ(1899-1984)のパリの夜を撮った写真もいい。マグネシウム・フラッシュを多用して、パリの光と闇をとらえている。

やはりドイツ出身のアウグスト・サンダー(1876-1964)は、あらゆる階級や職業のドイツ人を記録し、社会構造をみようとする壮大なプロジェクトを手がけた。1枚1枚のポートレート写真が見るものに無言で語りかけてくる。彼の作品は36年、ナチスに押収されるが、幸運にも消失を免れたネガからのプリントと撮影が戦後も続けられたという。

2つ目の展覧会は「日本の新進作家展 VOL.10 写真の飛躍」
若手作家たちの冒険的な作品が実に新鮮だった。

たとえば、佐野陽一の作品は、わざわざぼかして撮った写真なのか、スポットライトに照らされていてなかなか幻想的だ。ピンホールカメラで撮影したのだそうで、それでぼんやりとした写真となっている。そのぼんやりが、むしろ対象を鮮明に写し出しているようにも見える。

北野謙の写真は、台湾のコスプレ少女とか、インドのヒンズー教徒など、ある場所で特定の人びとを撮影したネガを多重露光で142㎝×178㎝の大きな1枚の印画紙に1人ずつ重ねて焼き付けたもの。何人もの人が幾重にも重なると、光は溶け合い、不思議なポートレートとなる。

西野荘平の作品は「写真による地図」とでもいったらいいのか。世界各地を訪ねて撮影した35ミリフィルムのコンタクトシート(ベタ焼き)の各カットを手作業で切り貼りし、縦2m近い大画面に複写する。作者はニューヨークならニューヨーク、東京なら東京を歩き回って何千枚もの写真を撮って、それを各都市の俯瞰地図に仕上げている。撮影するのも大変だし、切り貼りする作業も大変だったろうと思う。
作者は「そこに現れるのは、旅の視点で見た私自身の“記憶”であり、歩くという行為の中で気づかされるさまざまな発見でもある」といっている。
コラージュ作品といえるが、旅で出合ったものを写真で記録し、それを地図に描くというのは、単なる風景の再現ではなく、自分自身が見た「記憶」の刻印といえるかもしれない。まるで山下清の貼り絵のようで、その細かい作業に驚嘆した。

3つ目の展覧会は「見えない世界のみつめ方」
「映像をめぐる冒険」シリーズ第4弾として、「拡大と縮小」をコンセプトに見ることのできる領域の拡大と世界の見方をテーマにした展覧会という。
「人間の世界観や視覚体験に変革をもたらしてきた貴重な資料や当館収蔵作品とともに、新たな世界の見方を提案する市川創太、小阪淳、鳴川肇の作品を展示します。約60点の資料や作品を通じて、過去から未来へと繰り返される世界の見方が変わる瞬間のときめきを実感できる」と宣伝文句にあるが、どう言葉で説明したらいいのか。文字であーだこーだいうより、とにかく見に行くのがいい展覧会。

タダとはいえ、3つも展覧会をめぐると、最後はさすがに疲れた。
で、帰りは美術館近くのエビス・ビアステーションでイッパイ。