善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

ラジオぱちぱち23周年記念放送

日曜日朝の善福寺公園は快晴。きのうに続き春うらら。

 

きのうは地域の友人たちとやっているミニラジオ放送「ラジオぱち」の開局23周年の記念放送。

毎月第2土曜日の午前中、開局以来ずっと近くの善福寺北児童館から放送してきたが、コロナ以後はオンライン放送となっていた。

きのうは23周年というので、善福寺公園近くのアパートの一室に1年半ほど前にオープンした「蔵書室ふもと」をお借りして、そこからの生中継によるリアル放送。

放送したのは、

飛び出す紙芝居「黄金バット第134作・怖〜いゾ!?妖怪の木の巻」

蔵書室ふもとの今月の1冊

みんなで語ろう「私の1冊」

お散歩まさやのスギナミお散歩報告

プリンセスKeikoの「教えて、その音」子どもたちに聞く「教えて善福寺池と公園の音」

善福寺公園だより「善福寺公園の鳥クイズ」「知っておきたいオスとメスの話」「いま注目の花たち」

など、盛りだくさんの内容だった。

夜はメンバーの家に集まっての打ち上げ。

一品持ち寄りの楽しい宴会となった。

 

けさはいつも通りの公園1周。

上池、下池とめぐっていくと、エナガが梢をめぐっていた。

くちばしの先にくわえているのは虫さんかな?

尾っぽがピンと張っている。

抱卵中だと尾っぽの先が少し曲がっているのだが、ピンと張ってるということは、ヒナが生まれてエサを与えようとしているのだろうか?

 

枝に隠れたところにいるのはメスのカワセミのヤエちゃんかな?

その後、もう1羽がやってきて一緒に飛び去っていった。

求愛給餌をしたように見えたが・・・。

 

再びエナガと遭遇。

やっぱりエサを自分で食べちゃうんじゃなく、くわえているように見える。

 

ササの葉っぱでジッとしているのはクサグモ?

それともササグモ?

冬鳥たちがいなくなって、虫の季節がやってきた。

赤いサクランボ

土曜日朝の善福寺公園は快晴。春の陽気。

 

上池のほとりのカワヅザクラの木にサクランボがなっていた。

 

遠くにマルちゃんらしいオスのカワセミがとまっていたが、下池方面に飛び去った。

メスのヤエちゃんを探しているのかな?

 

下池にまわると、とっくに北に帰ったと思っていたツグミ

もう1羽いたから、カップルだろうか?

これから帰るところかもしれない。

 

カワセミのメスのヤエちゃんは下池にいた。

近くにはオスのマルちゃんはいない。

ゲットしたエサをすぐ飲み込んで、次の獲物を狙っていた。

色気より食い気が先。

 

サクラ(ソメイヨシノ)はかなり散ってしまったが、まだ残っている花の蜜を吸おうとヒヨドリ

くちばしの先に黄色い花粉がいっぱいついている。

蜜をもらうかわりに花粉媒介に協力していて、鳥と花は持ちつ持たれつ。

アメンボのオスは卑劣?

金曜日朝の善福寺公園は曇り。朝の冷え込みはない。

 

上池では、けさもカワセミの姿は見えない。

ツツジの上になぜかカルガモが鎮座している。

高いところが好きなのか。

 

下池に向かう途中には、今年の初グモ。

生まれたばかりで元気がいいのか、逃げ脚が早くて正体不明。何グモ?

 

下池のほとりの菜の花の実がなってきた。

アブラナ科の植物らしくサヤになっている。

ここからタネ、つまり菜種を取り出して搾ると油になるのか?鑑賞用の菜種と油を搾る菜の花とでは品種が違うらしいが。

 

エナガが朝の食事タイム。

それともヒナのエサを探しているの?

 

公園のはずれでハナミズキが咲いていた。

高いところで咲いていたので気がつかなかったが、いつの間にか満開になっていた。

よく見るとクモが網を広げていた。

 

下池を1周して再び上池へ。

冬鳥はあらかた北へ帰ってしまったが、アオジはまだいてくれる。

やがて標高の高いところに移動して繁殖するのだろうが、今は繁殖のための体力づくりか。

伸び上がってエサを探している。

男の子のようだから見返り美男?

 

上池に戻ると、アメンボの上にアメンボ。

交尾しようとオスがメスの上に乗っかったらしいが、スイスイと早脚で移動していたかと思ったら、ピタッととまった。

どうやら交尾中のようだ。

上に乗っかったオスはメスを前脚でしっかりと捕まえている。

アメンボのオスはけっこう卑劣なことをするらしい。

いきなりメスの上に飛び乗り交尾を要求して、メスにその気がないと、オスはわざと脚を水面でバシャバシャやって、アメンボの天敵を呼び寄せようとするのだという。

上から押さえつけられたメスは自分から先に食べられちゃ大変とばかりに、オスの要求に応じるのだそうだ。

人間界だったら許せぬ行為だが、自然界ではしょうがないのか。

きのうのワイン+映画「コンペティション」「太陽が知っている」

イタリア・プーリアの赤ワイン「ネプリカ・プリミティーヴォ(NEPRICA PRIMITIVO)2022」

1385年からというイタリア最古のワイン生産者アンティノリがイタリア南部のプーリアで立ち上げたワイナリー、トルマレスカの赤ワイン

ネプリカとはネグロアマーロ、プリミティーヴォ、カベルネ・ソーヴィニヨンの頭文字をとって名づけられた3種類のワインシリーズで、きのう飲んだのはプーリアの土着品種プリミティーヴォ100%。

適度に渋みがあり飲みやすいワイン。

 

ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していたスペイン・アルゼンチン合作の映画「コンペティション」。

2021年の作品。

現代「OFFICIAL COMPETITION」

監督・脚本ガストン・ドゥプラットマリアノ・コーン、出演ペネロペ・クルスアントニオ・バンデラス、オスカル・マルティネス、ホセ・ルイス・ゴメスほか。

華やかな映画の世界の裏側で繰り広げられる監督と俳優2人の三つどもえの“戦い”を皮肉たっぷりに描いたドラマ。


大富豪だが誰からも尊敬されない80歳の老人が、せめて生きているうちに自分のイメージアップを図ろうと映画製作を思いつく。飲酒運転事故を起こして両親を死なせた兄を許せない男を描いたノーベル賞作品を原作にしようと決まるが、もちろん老人は読んでない。

監督は、変わり者でちょっとイカれてるが天才監督と評判のローラ(ペネロペ・クルス)を指名。主演俳優の1人は、世界的スターだが演技の実力はあまりないフェリックス(アントニオ・バンデラス)、もう1人は、実力十分のベテラン舞台俳優だが華のないイバン(オスカル・マルティネス)。

奇想天外な演出理論を振りかざす監督と、スターと老練俳優のそれぞれ自分の演技法に固執する2人の主演俳優はことごとく反りが合わず、ぶつかり合い、クランクイン前の台本読みの段階から思わぬ事態に見舞われていく・・・。

 

本作は、出だしからして美しいデザインのモダニズム建築が映し出され、ついついそちらが気になってしまう。俳優の演技もモダニズム建築の中で行われる。

調べてみたら、撮影地はマドリードから少し離れた位置にあるサン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアルとアビラというところで、前者は世界遺産修道院で有名な町であり、後者も「城壁と聖人の町」として知られ世界遺産に登録されている。

前者の町にはマドリッドを拠点とするピカド‐デ・ブラス(Picado-De Blas)という建築スタジオが設計したオーディトリアム劇場があり、ほとんどをそこで撮影している。

ただし、建物をそのまま使ったのではなく、建物内部の映像に出てくる建築空間は20世紀のモダニズム建築を代表するドイツの建築家、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエが1929年のバルセロナ万博のドイツ館として建てたバルセロナ・パビリオンを模してつくられたセットであり、三つどもえの“対決”シーンはそこで撮影されたという。

水平と垂直で構成する無機質だが美しい空間。

登場する3人の監督と俳優はときに遠景で描かれていたが、それまでの石造りやレンガ造りの制約から解き放たれ自由な空間をめざすモダニズム建築と対比させることで、瑣末なエゴと虚栄心のために争い、憎み合う人間の小ささを表現しようとしたのだろうか。

それにしても、物語もおもしろかったが、同時に建築にも目がいってしまう映画というのも滅多にない。ひょっとして建築はただの背景ではなく、“もう一人の役者”なのかもしれない。

監督のガストン・ドゥプラットマリアノ・コーンの2人は、モダニズム建築と人間との対比が好きみたいで、2009年に共同でつくった「ル・コルビュジエの家」というサスペンスタッチの映画の舞台は、コルビュジエが設計したブエノスアイレスにあるクルチェット邸。普段は資料館として公開されているこの邸宅にアルゼンチンの現代アートを配置して撮影されたんだとか。

 

民放のCSで放送していたフランス映画「太陽が知っている」。

1969年の作品。

原題「LA PISCINE」

監督・脚本ジャック・ドレー、出演アラン・ドロンロミー・シュナイダーモーリス・ロネジェーン・バーキンほか。

真夏の日射しが降りそそぐ南仏サン=トロペ。別荘で優雅にバカンスを過ごしていたジャン゠ポール(アラン・ドロン)とマリアンヌ(ロミー・シュナイダー)だが、マリアンヌが招待したハリー(モーリス・ロネ)と娘ペネロープ(ジェーン・バーキン)がやってきてから雰囲気は一変する。

ハリーはマリアンヌの元恋人であり、作家としていまだ鳴かず飛ばずのジャン゠ポールは、音楽業界で成功したハリーに劣等感と、そして憎悪を抱いていた。

緊張をはらんだ怠惰な夏の時間はゆっくりとすぎていき、やがて事件が起こる・・・。

 

4Kをマスターとした2Kダウンコンバート放送。

邦題の「太陽が知っている」は、明らかに「太陽がいっぱい」にあやかろうとしているが、原題の直訳は「プール」。本作の9年前の「太陽がいっぱい」とはまるで関係ない。

冒頭のクレジットタイトルからして、出演者やスタッフの名前が水の上でプカプカ浮いてる感じで、「この映画のポイントはプールですよ」と暗にいってる。

しかし、監督が「太陽がいっぱい」を意識しているのはたしかで、太陽を全身に浴びてプールサイドで寝そべっているポール役のドロンがまず映り、遠くから名前を呼ぶ声に起き上がるシーンから映画は始まる。

どこかで見たことあるなと思ったら、ルネ・クレマン監督でアラン・ドロンモーリス・ロネが共演した「太陽がいっぱい」のラストが、ギラギパした太陽が照りつける中で寝そべっているリプリー役のドロンが遠くから呼ぶ声に起き上がるシーンだった。

まるで「太陽がいっぱい」の続編みたいな映画の出だしで、監督もなかなかニクイことをやる。

しかも相手役というか敵役が「太陽はいぱい」と同じモーリス・ロネとくれば、いうことなしだし、内容もどこか似ている。

ただし、「太陽がいっぱい」のヒロインはマリー・ラフォーレだったが、本作ではロミー・シュナイダー

 

ドロンとロミー・シュナイダーは私生活ではくっついたり離れたりいろいろあった仲で、本作は彼女にとって因縁の作品のようだ。

ドイツ出身で15歳で映画に出演して以来、ヨーロッパを代表する女優に登りつめたのが彼女だが、1958年に最初に共演した映画のあと、ロミーはドロンと恋に落ちる。

この当時ロミーは人気女優として絶頂期にあり、一方、ドロンはまだ無名といっていい存在。彼が大スターになったのは「太陽がいっぱい」の成功以後だ。

ドイツで人気女優だった彼女はドイツを離れてフランスに行ってドロンと同棲するが、このときロミー19歳。ドロンは3歳年上。一時は婚約にまで至るが、ドイツでは祖国を裏切った女優というので人気は凋落。ドロンがスター街道を駆け上がる中で亀裂が生じ、交際して4年後、破局に至る。

ドロンは他の女性と結婚し、ロミーは14歳年上の妻子あるドイツ人舞台演出家と交際し、妊娠。彼の離婚が成立して27歳のとき結婚するが、ドイツでは「またもやふしだらな行為」というので非難ごうごうだったらしい。

彼の演出家としての仕事もうまくいかず、彼女も映画から遠ざかったことで忘れられかけた存在になってたという。

そこに手をさしのべたのがドロンだった。彼は、本作の相手役にロミーを指名。ロミーにとって久しぶりのヒット作となり、彼女は劇的なカムバックを果たす。

その後も1972年に「暗殺者のメロディ」で再度ドロンと共演するなど、数々の映画に出演してドイツではなくフランスのトップ女優となるが、1982年、43歳で急死。死因は心不全で、自然死と診断されたが、自殺とも疑われるような亡くなり方だったといわれる。

彼女が亡くなるまでドロンとは友人同士だったのだろう、葬儀はドロンの手配で行われたという。

初々しい萌黄色 御衣黄桜咲く

木曜日朝の善福寺公園は快晴。風はなく、春の陽気。

 

上池を1周するも、カワセミの姿は見られず。

カイツブリもこのところ姿を見せてなくて、カモの姿もあまりない。

 

巣から出てきたらしいエナガがサクラの木にとまった。

卵を温めていたのだろう、尾っぽの先がちょっと曲がっている。

 

下池をめぐっていると、カワセミの声が聞こえる。

しかも鳴き交わす声だ。

声を頼りに探すと、カワセミがとまっていた。

前からきていて観察していた善福寺池カワセミに詳しいカワセミ・ウオッチャーによると、上池にいたメスのヤエちゃんとオスのマルちゃんが下池に引っ越してきたらしい、という。

マルちゃんがヤエちゃんに求愛給餌をして、交尾をするところも見たという。

ヤエちゃんとマルちゃんは上池で順調に愛を育んでいたかに見えたが、巣づくりに苦労している様子だった。それで下池に引っ越してきたのか。

あるいは、上池より下池のほうがエサをゲットしやすいのか。

いずれにしろ、子づくりに励んでいるらしいのはよかった。

 

池のほとりのギョイコウザクラ(御衣黄桜)が咲き始めていた。

ソメイヨシノが散り始めるころから咲き出すが、何より特徴は花の色。

開花したばかりは淡い緑色で、徐々に黄色に変化していき、やがて花びらの中心が赤く染まっていく。

花の変化を毎日楽しめるのもいい。

御衣黄の名前は江戸時代中期から見られ、その由来は貴族の衣服の萌黄色(もえぎいろ)に近いことからという。

 

萌黄色(もえぎいろ)とは、芽吹いたばかりの葉の色を思わせる鮮やかな黄緑色をいう。

平安時代の「宇津保物語」「今昔物語」「紫式部日記」などにも貴族が着る御衣に萌黄色が使われていたことが書かれている。

また、萌黄色は若者の初々しさの象徴としても表現されたようで、「平家物語」では18歳の平敦盛や20歳の那須与一が萌黄縅の鎧を身に纏っている様子が描かれている。

 

ヒメリンゴの白い花も咲いていた。

 

ポツネンとするアオサギの姿が水面に映っていた。

 

花が散ったサクラの木にシジュウカラがやってきた。

シジュウカラは花よりダンゴならぬ、新芽や虫だろうか。

 

公園のあちこちでツツジが咲き始めた。

初夏の足音が聞こえる。

四月大歌舞伎 「於染久松色読販」と「嫁菜売り」

東京・銀座の歌舞伎座「四月大歌舞伎」夜の部を観る。

平日午後、というか午後3半ごろの銀座。道行く人は外国人ばっかり。歩いている人の半分以上は外国人という感じで、一瞬、ここはどこの国?

この日は午前中、台風のような風雨の強い時間帯があり、それで日本人はジッと家の中にいて、相対的に外国人のほうが多かったということもあるだろうが、円安を享受しようとやってくる外国人が増えているのは確かだろう。

 

本日の演目は四世鶴屋南北作「於染久松色読販(おせめひさまつうきなのよみうり)」、「神田祭」、九條武子作「四季」の3本立て。

まずは四世鶴屋南北作の「於染久松色読販」。

上演されたのは土手のお六と鬼門の喜兵衛をめぐる名場面。

惚れた男のために悪事を働く“悪婆”と呼ばれる役柄の土手のお六を坂東玉三郎、色気ある悪に満ちた喜兵衛を片岡仁左衛門。1971年(昭和46年)に初めてふたりで演じて以来、上演を重ねてきた当り役で、歌舞伎座で観たのは2021年2月以来。

ほかに出演は中村錦之助坂東彦三郎ほか。

お六と喜兵衛の2人で死人をタネに強請を働くものの、あえなく失敗する顛末が描かれているが、フグで死んだ人間をいかにも殺されたように細工するところでは細工をする場面ごとに仁左衛門の見得が入り、凄惨なはずなのにうっとりしながら見るから不思議。

強請の場では、仁左衛門玉三郎のちょっと間の抜け掛け合いもあって、そこが南北の芝居づくりのうまさか。

凄味を見せながらも、結局は目論見が外れて退散するユーモアたっぷりの幕切れ。

 

続いては仁左衛門玉三郎の舞踊「神田祭」。「天下祭」といわれる神田明神の祭を題材に、粋でいなせな鳶頭を仁左衛門、艶やかな芸者を玉三郎が勤め、客席も華やぐ。

2人して大勢を相手にした立廻りも見どころ。

 

夜の部の打ち出しは、舞踊「四季」。明治・大正時代に活躍した女流歌人の九條武子の遺作で、1928年(昭和3年)初演。「春 紙雛」「夏 魂まつり」「秋 砧」「冬 木枯」を通した上演、また歌舞伎座での上演は実に43年ぶりとなるとか。

出演は、このところ共演が続く尾上菊之助片岡愛之助で女雛・男雛の仲むつまじい恋模様、中村芝翫とその息子・中村橋之助中村歌之助成駒屋一門による大文字の送り火と若旦那たち、片岡孝太郎勤めるところの李白漢詩をもとにした夫を思う若妻の心、尾上松緑坂東亀蔵のみみずくに尾上左近坂東亀三郎、尾上眞秀ほかによる木枯らしに吹き舞う木の葉の群舞。

とんぼやアクロバティックな動きも盛り込まれた、美しくもあり楽しい舞台だった。

 

ところで、鶴屋南北の作品を観ていていつも思うのは、江戸・下町の暮らしの雰囲気がよくわかるように描かれていること。

彼が活躍したのは、江戸時代も終わりにさしかかり町人文化が爛熟し尽くした文化・文政期(1804年~1830年)。長く下積みの生活を送った南北は、市井の風俗やはやり言葉、最下層の人々の暮らしをよく知っていて、舞台にも取り入れている。

たとえば、「於染久松色読販」に出てきたのは「嫁菜(ヨメナ)売り」。

参詣する人でにぎわう柳島の妙見大菩薩(現在の墨田区業平)に「嫁菜売り」がやってきて、この男が重要な役割を演じるのだが、江戸の町は棒手振(ぼてふり)と呼ばれる天秤(てんびん)棒の両端に商品の入った箱や籠を吊り下げて魚や野菜などの食材や日用品を売り歩く商売が盛んだったから、近郊の農家が畑で採れた嫁菜を売りにやってきたのだろう。

嫁菜は、今日では道端で見かける野菊の代表のような植物で、花は夏から秋にかけて咲くが、春の若い葉を摘んで食べることでも知られていて、日本では万葉の昔から親しまれている。名前の由来は、嫁のように可憐で美しいからとか、女性が好んで摘んだためなど諸説あるが、古名はオハギ、ウハギといって、万葉集にもその名が出てくる。

 

春日野(かすがの)に煙(けぶり)立つ見ゆ娘子(おとめ)らし春野の菟芽子(うはぎ)採(つ)みて煮らしも

 

(春日野に煙の立つのが見えるけど、きっと少女たちが春の野で嫁菜を摘んできて煮ているのでしょう)

 

古来、草花は薬草であり、万葉の時代には春の若菜摘みは摘んできたものを食べると長寿が得られるとの信仰があり、若い娘たちが若菜積みに出かける習慣があった。

同じような習慣はヨーロッパにもあり、夏至の前夜に草花を摘む習慣があるそうだが、シェークスピアの「夏の夜の夢」で妖精パックが摘んだのは惚れ薬になる薬草だった。

それはともかく、健康長寿のため若菜を食べる習慣の代表的なものが「七草がゆ」だろう。かつて高貴な人たちの習慣だったらしいが、江戸時代には庶民の年中行事にもなった。

七草がゆ」ではないにしても、春の若菜を食べるのは江戸の庶民の人気だったに違いない。「目には青葉山ホトトギス初鰹」の句がある通り、初物好きなのが江戸っ子。縁起がいいというので初物の菜にも目がなかったと思うが、庶民が暮らす江戸の町中には畑なんかない。野菜はもっぱら行商の野菜売りから買うしかなかった。

「嫁菜売り」もそのひとつだったに違いない。

江戸時代の百科事典ともいえる「守貞謾稿」(1853年)には、ウリやナスなど1、2品だけを売り歩く棒手振の行商人を前菜売り、数種を売るのを八百屋と呼んでいて、必ずしも店で売るだけが八百屋ではないことがわかる。

そういえば、落語に出てくる「唐茄子屋政談」も、放蕩して勘当された大店の若旦那が棒手振のカボチャ売りになる噺だった。

エナガの尾が曲がってるワケ

水曜日朝の善福寺公園は快晴。日差しは暖かいが風が冷たい。

 

きのうの雨と風の余韻が残っていて、公園のサクラ(ソメイヨシノ)はだいぶ散ってきた。

一面に広がる花のジュウタン。

 

エナガが朝の食事中。

いつもはピンと張った自慢の尾っぽが少し曲がってるんだけど。

けさはカワセミの姿を見ない。

あとで聞いた話では、巣の適地を探して遠くまで遠征しているのではないか、という。

毎年、上池のカワセミは巣づくりに苦労している。

 

上池を半周して下池へ。

サクラが散って花筏ができていた。

葉桜になってきた枝の向こうからエナガがのぞいてる。

こちらのエナガはやっぱり尾っぽが曲がっている。

別の場所で見たのも、曲がってる。

エナガの尾っぽが曲がってる理由。それは、子育てと関係がある。

エナガは丸いドーム型の巣をつくる。

尾っぽが曲がっているのは、この丸い巣の中に入って長い時間抱卵していたからといわれる。

つまり尾っぽが曲がってるのはエナガの子育てのサインというわけだ。

ということは、今、公園内ではあちこちでエナガが巣をつくって子育てをしているということになる。

エナガの場合、日中はメスのみが卵を抱き、夜はオス・メス両方で抱卵するという。

ヒナの誕生が楽しみだね。

 

モミジの花が咲き出した。

イロハモミジでは雄花と両性花が混在しているという。

下向きの花から雄しべを突き出しているのは雄花かな。

 

下池を1周して上池に戻る途中ではアオジの姿。

おととい3羽で一緒だったが、けさも3羽。

2羽が並んでいたが両方ともオス。

メスも少し離れたところにいた。

春めいてきた今ごろの時期、アオジは繁殖のためのつがいをつくっているかと思ったら、まだ小さな集団で移動しているのだろうか。

目のふちが黒いのがオスの特徴。

背伸びしてエサをゲット。

口の中でモグモグやっている。

 

上池に戻ると、ここでも花筏

 

ドウダンツツジが咲いていた。

小さな花が集まると大きな花となって、虫を呼び寄せるのだろうか。