善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうの日本酒+「佐倉義民伝」

山形・酒田の酒「上喜元 純米吟醸 蔵の華」無ろ過、生原酒。

「蔵の華」は「美山錦」の後継の酒造好適米で、60%にまで精米し、熊本県酒造研究所の酵母で仕込み、醸した純米吟醸生原酒。まだ発酵してるのだろう、瓶のフタをとるとポンと音がした。

おととし近所に魚屋がオープン。鮮度がいいというので購入した魚でイッパイ。

刺身盛り合わせは、シマアジ、クジラ大トロ、ノドグロ、クエ、アオリイカ、シマエビ、マダコ、紅サーモン、天ダイ(天然のタイ)、本マグロ。

それに大振りの殻付きカキ。

どれもこたえられない味で、酒が進む。

 

日本酒の友で観たのは、民放のBSで放送していたコクーン歌舞伎「佐倉義民伝」。

2010年6月のBunkamuraシアターコクーンの舞台を映像収録したもの。

中村勘三郎が亡くなる2年前の舞台で、お酒よりその名演技に酔う。いまさらながら生きていてくれたら・・・と惜しむ気持ちがわく。

演出・美術・串田和美、脚本・鈴木哲也、ラップ歌詞・いとうせいこう、音楽・伊藤ヨタロウ、作調・田中傳左衛門。出演・中村勘三郎中村扇雀中村橋之助坂東彌十郎中村七之助片岡亀蔵笹野高史ほか。

 

「佐倉義民伝」は、佐倉宗五郎 (そうごろう)の名で知られる下総(しもうさ、千葉県)佐倉の名主・木内宗吾 (そうご)の物語を脚色したもの。まずは実録本や講談に扱われ、1861年文久1年)河竹黙阿弥(もくあみ)が「桜荘子後日文談(ごにちのぶんだん)」の題で歌舞伎にし、その後も手が加えられて今日の「佐倉義民伝」として定着している。

 

佐倉の名主・木内宗吾は、領主堀田上野介の暴政に苦しむ農民を救うため、江戸屋敷に門訴したが、不成功に終わったので、いったん国へ帰る。しかし、再び妻子に別れを告げて江戸へ上り、上野・寛永寺で将軍に直訴する。願いはかなえられるが、上野介は宗吾を妻子もろとも磔刑(はりつけ)にする。しかし、宗吾一家の亡霊に悩まされ、ついに堀田家は滅びる。

 

土を入れた箱形の可動装置の上での演技は、土に生きる農民を表現したかったのか。

ラップが巧みに取り入れられた群衆劇で、現代劇ふうにもなっていて、今を生きる人間にもわかりやすい展開。

ただし、残念というか見ていてガックリきたことが1つ。

宗吾一家の2人の息子はまだ子どもだが、農民のために働く父を頼もしく思っていて、領主の搾取により農民が食べる米がないと知ると、こんなセリフをいう。

「米が食べられないならまんじゅうを食べればいいのに」

作者としては、ここは笑いをとる場面だったのか。

しかし、このセリフを聞いてフランス革命で断頭台の露と消えたルイ16世の妃、マリー・アントワネットの逸話を思い出した。

アントワネットはフランス革命前、民衆が貧困のためパンも買えずに飢えていると聞いて、「パンがなければお菓子(あるいはケーキ)を食べればいいじゃない」といったという(のちにこれはアントワネットの言葉ではないともいわれているらしいが)。

お菓子あるいはケーキは、当時はバターや卵、砂糖を使ったぜいたくな食べものだったに違いない。庶民の暮らしなど何も知らないアントワネットは、贅沢三昧の毎日の中で能天気な発言をしたというので、民衆から憎まれることになってしまったという。

 

江戸時代の日本だって同じことで、「米がないならまんじゅうを」というセリフは、義民・宗吾のせがれの発言としては情けない。

 

佐倉宗五郎をモデルとした話で、その息子のエピソードとして描いたもので思い出すのは、斉藤隆介・作、滝平二郎・絵による「ベロ出しちょんま」という創作童話だ。

 

ちょんまと呼ばれる長松と、幼い妹の物語。

ちょんまは妹をあやすために、いつも思いっきりベロを出して眉を八の字にして、おかしな顔をして笑わせていた。

2人の父親が年貢軽減を幕府に直訴したというので、一家全員が磔の刑になる。

柱にくくりつけられ槍を突き立てられると、妹は怖がって泣き出す。すると、ちょんまは妹を怖がらせまいと「お兄ちゃんの顔を見ろ」といって、自分の眉を八の字に下げ、ベッーと思い切り舌を出す顔をした。

それには妹は笑い、まわりで悲しそうにしてみていた農民たちも笑い、笑いながら泣いて、一家は処刑された。

悲しいけれど、心がズンと温かくなる話だった。