善福寺公園めぐり

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国立劇場「彦山権現誓助剣―毛谷村-」+荻窪 おざ

東京・半蔵門国立劇場11月歌舞伎公演・第2部の「彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)―毛谷村-」を観る。ほかに、清元の舞踊で「上 文売り(ふみうり)」「下 三社祭(さんじゃまつり)」。f:id:macchi105:20201111230857j:plain

「彦山権現誓助剣」はもともと人形浄瑠璃文楽)で、全11段からなる敵討ちを題材にした長編時代物。通しの上演はほとんどなく、文楽の9段目にあたる「毛谷村の場」がもっぱら上演される。それだけじゃ話のスジがわからないだろうと、その前の「杉坂墓所の場」とあわせて上演。

 

出演は、仁左衛門、孝太郎、彦三郎、松之助、彌十郎東蔵ほか。

梅枝の息子で5歳になる小川大晴が初お目見えで出演。

 

毛谷村は「けやむら」と読む。大分県中津市にある実在の地名。本編の主人公の六助も実在の人物といわれる。

安土桃山時代の剣術の達人で、今の福岡県と大分県にまたがる英彦山(ひこさん)のふもとに住む百姓だったが、武術にすぐれ武芸者となる。修行のため山中のケヤキの虚(うろ)に住んでいて、それから下ったところに村を開いたので、毛谷村の名はケヤキにちなんでいるんだとか。

六助は武芸だけでなく腕っぷしも強く、太閤秀吉の御前相撲で37人抜きをしたことから加藤清正の家臣に取りたてられて名を「貴田孫兵衛」と改め、秀吉の朝鮮出兵に赴いて一番槍の名を馳せたといわれている。

一方で六助は母親孝行でも知られ、やがて豪傑でなおかつ孝行者という六助伝説が流布され、毛谷村六助を主人公とする「彦山権現誓助剱」と題する人形浄瑠璃が成立した。

1786年(天明6年)に大坂で初演されて大当たりとなり、歌舞伎にもなって今日に伝わっている。

 

物語は、ときにユーモラスに、そしてドラマチック。

英彦山の麓、毛谷村に住む六助。純朴な若者で、穢れを知らず、自分が得をするような駆け引きはしない。自分に厳しく、そして母思い、師匠思いの男。演じるのは仁左衛門

まず第1幕・杉坂墓所の場。

六助は武術に優れ、小倉藩から仕官の誘いがありながら未だ未熟ゆえと断っている。そこで藩は彼と立ち合って勝った者は五百石で召し抱えると触れ書を出していた。

亡き母の墓参りに出かけると浪人の微塵弾正(彌十郎)があらわれて、「病の母に仕官した姿を見せたいので、試合で勝ちを譲ってほしい」と懇願される。六助は孝行心に打たれて試合に負けてやることを約束する。

2人が別れ六助がいったん引っ込んだあと、舞台には老僕(松之助)と子ども(初お目見えの小川大晴)があらわれ、山賊に襲われる。そこへ再び戻ってきた六助、山賊をやっつけるが老僕は死に、残された子どもを引き取ることにする。

 

そして2幕目の毛谷村六助住家の場。

試合で六助は弾正にわざと負けてやる。

高笑いして弾正が去っていくと、一人の老女(東蔵)が登場し、「親は健在か?」と聞く。「いや、母を亡くしてやもめ暮らし」と答えると、「では私を親にしませぬか」と“押しかけ親”となって居すわってしまう。目が点になる六助。

すると今度は虚無僧がやってきて、「家来の仇!」と刃を向けてくる。どうやら虚無僧は山賊に殺された老僕の主人らしい。

しかも虚無僧は実は女で、名前はお園(孝太郎)。六助の素性を知ると、いきなり「私はお前の女房じゃ」と夕食の支度を始める。再び目が点になる六助。

 

いったいどーなってんの?と子細を聞くと、お園の父親は長門国の剣術指南役・吉岡一味斎だったが、一味斎はだまし討ちにされ、残された妻と2人の娘は敵討ちの旅に出た。姉のお園は女ながらも大力で武芸が得意だったが、妹お菊は仇に返り討ちされ、お園は悲嘆の中で彦山の麓の毛谷村にたどり着いたのだった。

「何と、お師匠さまが闇討ちにあったとは!」と驚く六助。

 

実は六助にとって一味斎は剣の師であり、お園と六助は会ったことはなかったが、2人は一味斎が認めた許嫁の間柄だった。

さらに山賊に襲われ残された子どもは妹のお菊の一子であり、「私を親にしませぬか」と“押しかけ親”となった老女は一味斎の妻でお園・お菊の母親だった。

そしてさらに、「わざと負けてくれ」と懇願した微塵弾正こそは、一味斎をだまし討ちにした張本人であり、「病の母のため」というのも真っ赤なウソで、善良な六助をだまして試合に勝ち、仕官しようと画策したのだった。

 

いかに純朴で心優しい六助であろうと、そうとわかればただじゃおかない。師匠の仇、この前のいかさま試合の借りも返してやると意気込むと、一味斎の孫は「おじさん、オレにも仇うたせて」。お園は「わが夫よ」と梅の枝を捧げ、老女は「婿どの」と椿の枝を捧げる。

こうして六助は勇んで敵討ちへと向かうのだった。

 

伏線がいろいろとあって、やがて最後には一点に収斂していく。実にうまくできてる話だった。

 

仁左衛門の六助は2011年に大阪で初役で演じて以来、今回で4年ぶり3度目だとか。それにしてはすでに得意芸にした感じで、最初の若々しくハツラツとしたところもいいし、後半のキリッとした姿にホレボレ。

許嫁のお園を演じる孝太郎は仁左衛門の息子で、なかなか息が合っていた。

 

「文売り」は梅枝の女形舞踊、「三社祭」は鷹之資、千之助の若手コンビによる舞踊。

このところ進境著しい梅枝。魅力たっぷりの踊り。時間が短いぐらい。

鷹之資は今は亡き五代目中村富十郎の息子で21歳。千之助は仁左衛門の孫、孝太郎の息子で20歳。若い二人の切れのよい清新な踊りに、見ているこちらもウキウキしてくる。

 

芝居が跳ねたのが午後7時と早い時間。

帰りはJR荻窪駅近くの「おざ」でイッパイ。酒はサッポロ赤星ビールのあと日本酒。青森・八戸の「陸奥 八仙」、山形・天童の「山形政宗 秋あがり」、山形の酒米出羽燦々」を使って高知で醸したという「南 ひやおろし」。

食べたのは、まずはお通し。f:id:macchi105:20201111230927j:plain

兵庫・室津の牡蠣。f:id:macchi105:20201111231009j:plain

野菜のお浸し。f:id:macchi105:20201111231052j:plain

刺身盛り合わせ。f:id:macchi105:20201111231110j:plain

焼きナスのトロロ乗せ。f:id:macchi105:20201111231133j:plain

シイタケの白子焼き。f:id:macchi105:20201111231152j:plain

きょうもシアワセな気分で帰還。