善福寺公園めぐり

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仁左衛門・玉三郎 東海道四谷怪談

歌舞伎座「九月大歌舞伎」の第3部、4代目鶴屋南北作の「東海道四谷怪談」を観る。f:id:macchi105:20210909105641j:plain

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4月、6月の「桜姫東文章」上の巻、下の巻に続く片岡仁左衛門、板東玉三郎の共演。やはり南北作の「桜姫東文章」での2人の共演が36年ぶりなら、仁左衛門民谷伊右衛門玉三郎のお岩の共演は1983年以来で、38年ぶりという。

38年前は「花形歌舞伎」と銘打っての若い役者による上演で、当時、片岡孝夫を名乗っていた仁左衛門は39歳、玉三郎は33歳。ほかに、与茂七を28歳の中村勘九郎(のちの18代目中村勘三郎)、直助権兵衛を37歳の尾上辰之助(現在の尾上松緑の父親)、お岩の妹のお袖を28歳の5代目中村時蔵といった顔ぶれ。「夢の場」の清元は名人とうたわれた清元志寿太夫だった。

勘三郎辰之助はすでにこの世になく、辰之助の息子の松緑が父親と同じ直助権兵衛を演じるというのも感慨深いものがある。

 

38年前の舞台の映像も残っていて、それを見ると仁左衛門は当然のことながら若々しい。今も若々しいのだが、当時はやはりちょっと青臭い若さがあった。一方のお岩の玉三郎も若くて美しく、はだけた感じの薄着姿が実に色っぽい(形相が変わってからは恐ろしいが)。

 

今回、上演されたのは全段通しではなく、「四谷町伊右衛門浪宅」から「本所砂村隠亡堀」の場までの一部。浪人の伊右衛門がお岩の父・四谷左門を殺し、妻のお岩と復縁したのちの話。

出演、お岩とお花(小仏小平の妹)の二役・板東玉三郎、直助権兵衛・尾上松緑、小仏小平と佐藤与茂七・中村橋之助、お梅・片岡千之助、按摩宅悦・片岡松之助民谷伊右衛門片岡仁左衛門ほか。

 

仁左衛門は全く年を感じさせず、たっぷりと円熟味が加わっているので、なおさら色気のある悪が際立つ。

玉三郎は、女形の38年はさすがに年を感じるが、美しさは変わらない。ことに、良薬といわれて飲んだ薬が実は顔を醜くする毒薬と知り、感謝の気持ちが怨念に変わっていくところがリアリティがあっていい。醜い顔の“お岩さん”になってからの、よろめく感じの立ち姿の美しいこと。

仁左衛門の見得の場面など、こういう芝居こそ大向こうからのかけ声がほしいところだが、コロナ禍ゆえそれがないのが残念だ。

 

それにしてもこれほど悪に徹した仁左衛門はなかなか見ない。

悪事を働く冷血で美しい二枚目を歌舞伎用語で「色悪」というが、「四谷怪談」の伊右衛門がまさにその代表といえる。なぜそんな色悪に魅力を感じるのか。あらためて「東海道四谷怪談」とはどんな物語なのか、考えてみた。(だからちょっと長いです)

 

初演は今から200年近く前の文政8年(1825年)、江戸文化が爛熟した文化・文政の時代の作品。

もともと「四谷怪談」は、赤穂浪士の討ち入りを題材にした「仮名手本忠臣蔵」のパロディーというか、裏の物語としてつくられた。「四谷怪談」の初演は、「忠臣蔵」と半分ずつ交互に上演され、2日間で完結する形式だっという。

南北は、80年近く前に初演された「忠臣蔵」と、当時としては現代劇だった「不忠臣蔵」とを対比させて、観客に見せようとしたのではないだろうか。

忠君愛国・滅私奉公の「忠臣蔵」に対して、正邪、善悪、道徳なんてくそ食らえ、生きるためには何でもするという人間の“本性”を描くのが、主家の仇を討つ気などまるでない“不忠臣・伊右衛門”を主人公にした「四谷怪談」。江戸初期の上方ふうの元禄文化寛延元年(1748年)に初演の「忠臣蔵」もその時代を反映している)とは違い、流通経済が発達して町人が富を蓄えるようになり、封建制のタガがゆるむ中で、享楽的傾向が強くなっていった江戸の町人文化の隆盛がこの作品の背景にあるといえる。

 

現代人に「四谷怪談」が人気なのも、表向きの顔とは違う人間の“本当の顔”が描かれているゆえかもしれない。

仁左衛門も今回の出演前にインタビューの中でこう語っている。

「ほとんどの方が皆、自分の中のどこかに悪の要素をお持ちだと思うのです」

残酷な作品はけっこう観客に喜ばれるもので、だから仁左衛門自身、舞台の上で悪いことを堂々とできるので楽しみにしている、というようなことをいっている。

“悪の魅力”にひかれる思いはだれしも心の奥底に隠し持っていて(悪、とまでいかなくても狡賢さや身勝手さ、自己愛といったものも含めて)、ときにそれを恥じたりする。といっても「伽羅先代萩」の仁木弾正みたいな「実悪」(いかにも憎々しい根っからの悪人)はゴメンだが、仁左衛門のような女性にもてる二枚目の悪にならなったっていい。芝居という虚構を通じて心の奥底にある“悪”を引っ張りだすことでいっときの間“悪の魅力”に浸るとともに自らを戒めてもいるのだろうか。

 

とにかく「四谷怪談」は何人もの人間が殺される凄まじい物語。非情、残酷、そして怨念が入り交じったような筋立てなんだが、お岩の髪梳きの悲しくも壮絶な場面とか、戸板返し、提灯抜け、仏壇返しなどの大道具、小道具を使った演出や仕掛けが見事で、つい見ほれてしまう。

 

見事な演出の極致の1つといえるのが「連理引き(れんりびき)」だろう。

幽霊となったお岩(きのうの場合は人魂)が、逃げようとする伊右衛門を離れたところから自分の方に引き寄せようとするシーンで使われていたが、歌舞伎用語でこれを「連理引き」という。

子どものころ観た怪談映画でもよくこのシーンがあって、とても怖かったのを思い出す。

「連理」の本来の意味は、「1つの木の枝が他の木の枝と合い連なって、木目の相通じること。古来、吉兆とされる」と日本国語大辞典にある。「連理の契り」といえば「男女の契りの深いこと」を指す。人形浄瑠璃にも、お半長右衛門の情愛を描いた「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」という演目があった。

もともとは中国の詩人白居易の「長恨歌」の中に「天にあらば比翼(ひよく)の鳥となり、地にあらば連理の枝とならん」というくだりがあり、これは玄宗皇帝と楊貴妃の仲を詠ったものだが、それが日本に伝わって男女の仲の睦まじさあらわす言葉となった。

ところが、「連理引き」となるとまるで意味が違ってきて、「恨み晴らさでおくべきか」と見えない糸をたぐり寄せるように引くと、逃げようとする伊右衛門はもがきながらも引き戻されていく。仲睦まじかったはずの男に裏切られると、その恨みはかくも恐ろしいんだよと「連理引き」は表現しているのだろう。

 

以下、あらすじを紹介しておく。

塩冶(えんや)判官(浅野内匠頭)の家臣・四谷左門にはお岩、お袖という2人の美しい娘がいて、お岩はやはり塩冶家の家臣・民谷伊右衛門と、お袖は同じく塩冶家の家臣・佐藤与茂七と結婚する。ところが、伊右衛門が塩冶家の公金を横領したことを知った左門は、お岩と伊右衛門を離縁させてしまう。

殿中での高師直吉良上野介)への刃傷沙汰で塩冶判官が切腹し、お家断絶になっても、伊右衛門には仇討ちの意志などさらさらない。一方、浪人となった左門は物乞い、お岩は夜鷹、お袖も売春宿の女になるが、伊右衛門は左門にお岩との復縁を迫り、拒絶されると左門を殺してしまう。お袖に横恋慕する下僕の直助権兵衛は、お袖の夫の与茂七を殺すはずが間違えて元主人の奥田庄三郎を殺してしまう。

伊右衛門と直助は、お岩・お袖の姉妹に父と夫の仇討ちを手伝うと約束し、伊右衛門とお岩は復縁し、直助とお袖は夫婦になる。

伊右衛門と復縁したお岩は男児を産むが、産後の体が思わしくなく病に伏せっている。一方、隣家には高師直の家臣・伊藤喜兵衛が住んでいて、喜兵衛は孫娘のお梅が伊右衛門に惚れているのを見て、添い遂げさせる約束をして、それには伊右衛門の女房のお岩が邪魔だと、お岩を追い出すため顔を醜くする毒薬を「血の道の妙薬」と偽って渡す。

伊藤家に招かれた伊右衛門は、喜兵衛から「ぜひとも孫娘と夫婦に」と頼まれ、さきほど渡した薬は実は毒薬と知り、それなら高師直への仕官を条件にとお梅との夫婦の約束をする。

そんなことは知らずに毒薬を飲んだお岩は、たちまちのうちに体がしびれ、顔が醜く腫れ上がって、髪の毛がごっそり抜けて世にも恐ろしい姿となり、伊藤家を呪いながら死んでしまう。

わが家に戻った伊右衛門は、死んでいるお岩を見ると、使用人の小仏小平を殺して2人を心中したように見せかけるため死体を戸板の表裏に釘で打ちつけて川に流す。

その夜、伊右衛門はお梅と祝言をあげるが、そこへお岩の幽霊があらわれ、錯乱した伊右衛門は誤ってお梅と喜兵衛を殺してしまう。

お梅の母お弓は伊藤家が取り潰しになったため非人になっていて、自分の父伊藤喜兵衛と娘のお梅を殺したのが民谷伊右衛門と知ったがために本所砂村の隠亡堀で伊右衛門に殺される。お梅の乳母も鼠に隠亡堀に引き込まれて死ぬ。伊右衛門隠亡堀で釣りをしていると1枚の戸板が流れて来て、そこにはお岩と小平の死体が打ちつけられていた。

お袖は仇討ちの助太刀をしてくれるというので直助に肌を許すが、そこへ死んだと思った与茂七が現われ、愕然としたお袖はわざと2人に斬られて死ぬ。一方の直助も、実はお袖とは兄妹であったことを知って自殺してしまう。
お岩の幽霊に日夜苦しめられるようになった伊右衛門は、母親のお熊の手引きで本所の庵室に身を隠す。お熊は、燃える盆提灯の中からあらわれたお岩の幽霊によって取り殺され、高師直への士官に協力する伊右衛門の悪仲間も仏壇の中に引きずり込まれて死ぬ。そして最後に伊右衛門は、赤穂義士四十七士の一人となる与茂七によって討ち取られ、お岩の怨念がようやく晴れる。

 

あらすじを勘定しただけで12人が死んでいるが、ほかにも殺される人がいただろう。とにかく壮絶な物語で、人間の怨念の凄まじさが描かれた作品だといえよう。