善福寺公園めぐり

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国立劇場 隅田春妓女容性

国立劇場大劇場で「12月歌舞伎公演」を観る。
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12時開演で演目は「今様三番三(いまようさんばそう)」「通し狂言 隅田春妓女容性(すだのはるげいしゃかたぎ)三幕九場―御存梅の由兵衛―(ごぞんじうめのよしべえ)」

「今様三番三」は30分ほどの長唄舞踊。曽我二の宮実は如月姫中村雀右衛門、佐々木小太郎行氏・中村歌昇 結城三郎貞光・中村種之助。大薩摩連中、長唄囃子連中。

「隅田春妓女容性」は休憩を入れて3時間半の長丁場。
並木五瓶の傑作といわれる芝居で、国立劇場文芸研究会の補綴によるもの。
梅の由兵衛・中村吉右衛門、源兵衛堀の源兵衛・中村歌六、土手のどび六実は十平次・中村又五郎、由兵衛女房小梅と丁稚長吉・尾上菊之助、横恋慕相撲取り延べ紙長五郎・中村歌昇、芸者小糸・中村種之助、米屋娘お君・中村米吉 金谷金五郎・中村錦之助、額の小三・中村雀右衛門信楽勘十郎・中村東蔵ほか。

久しぶりに1列目真ん中寄りで見たが、役者の表情がよくわかって思い入れも深くなる。
吉右衛門が江戸の男伊達(おとこだて)――俠客を演じる。
大正から昭和にかけて初代中村吉右衛門が名演を残し、八代目松本幸四郎白鸚)に引き継がれた。今回の上演にあたり、初代吉右衛門が磨き上げた台本を原作も踏まえて「通し狂言」として新たに補綴し、当代吉右衛門が由兵衛に挑んだ。
忠義を貫き通す由兵衛の意気地と情愛、そして、一転して悲劇の後半へ。

並木五瓶は江戸時代中期から後期にかけての人だが、なかなかニクイ芝居づくりをしている。
たとえば、丁稚の長吉が姉孝行のため100両の金を工面しようとするくだり。隣の家で浄瑠璃「ひらかな盛衰記」の四段目を語る声に合わせて、まるで「ひらかな盛衰記」との掛け合いをしているような感じで、見事な演劇的効果を生んでいた。

何といっても吉右衛門がすばらしくてほれぼれするが、長吉と瓜二つの姉、小梅の二役を演じた菊之助もなかなかよかった。
吉右衛門の由兵衛が長吉を殺す場面、そしてそのあとの心の葛藤、いずれも出色だった。

人名の隼人を「はやと」ではなく「はいと」「はいと」と呼んでいたのが不思議だったが、「日本国語大辞典」によると、「はいと」は「はやひと(隼人)の変化した語」で、室町期の文書に「はいと」という呼び名もあったらしい。
一方、Wikipediaでは次のように記している。

(隼人とは)古代日本において、薩摩・大隅・日向(現在の鹿児島県・宮崎県)に居住した人々。「はやひと(はやびと)」、「はいと」とも呼ばれ、「ハヤブサのような人」の形容とも。
方位の象徴となる四神に関する言葉のなかから、南を示す「鳥隼」の「隼」の字によって名付けられたとも(あくまで隼人は大和側の呼称)。
風俗習慣を異にして、しばしば大和の政権に反抗した。やがてヤマト王権支配下に組み込まれ、律令制に基づく官職のひとつとなった。兵部省の被官、隼人司に属した。百官名のひとつとなり、東百官には、隼人助(はやとのすけ)がある。現在は、日本人男性の人名としても用いられる。

米屋の娘、米吉のお君もかわいかった。
(どうもタレ目に弱い)