善福寺公園めぐり

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「形態の生命誌」と三木成夫

長沼毅『形態の生命誌』(新潮選書)を読む。

「なぜ生命にカタチがあるか」がテーマ。長沼氏は辺境生物学者広島大学大学院生物圏科学研究科准教授。

もともと長沼氏は、生物学者ではあるがモノとしての生物よりも、コトとしての生物のほうが好きで、カタチにはあまり興味はなかったそうだ。しかし、いろんな人から生物のカタチの面白さを教えられ、形態学に興味を持ったという。

本書ではなぜ人間の食道と気道が交差する“不都合なカタチ”をつくったのかとか、口のカタチはタテグチかヨコグチか、カメは甲羅を脱げるのか脱げないのか、シマウマや熱帯魚はなぜ“アニマル柄”なのかなど、身近な例に触れながら生命が織りなすカタチの神秘から、生命進化の本質に迫っている。
ときどき難解な数式とかアルゴリズムが出てきて戸惑うが、長沼氏の発想がなかなか面白い。

本の最後の方に三木成夫(みき・しげお)の話が出てくるが、ここはもう少し深くつっこんでほしかった。
三木成夫こそは、生命はそもそもカタチにあると説いた形態学者。最近、特に関心を持っている学者だが、すでにこの世にいない。

変わった経歴の持ち主で、最初、九州帝国大学で航空工学を学ぶが、戦後、東大の医学部に移って解剖学を専攻。東大時代、一時は音楽家を志して江藤俊哉について本格的にバイオリンに取り組むも、結局助手として東大に残り、東京医科歯科大学の解剖学教室助教授となる。47歳のとき、なぜか東京芸術大学の保健センターに助教授として転出し、のちに教授。1987年、61歳で脳内出血により死去。

三木は「生とは何か」という問いに対して次のように答えている。
「生きているのは“すがた・かたち”であって、“しかけ・しくみ”ではない」「生命とは、生活の中にではなく森羅万象の“すがた・かたち”に宿るものである」

こうして、生物の“すがた・かたち”の進化の歴史から、生命の謎を考えたのが三木成夫だった。

しかし、生きている間に三木の主張はあまり注目されず、彼の考え方は主として『総合看護』という看護師向けの雑誌に載ったにすぎなかった。
生前に出版した著書は『内臓のはたらきと子どものこころ』(築地書館)と『胎児の世界』(中央公論社)のわずか2冊。死後、相次いで生前書いた論文やエッセーなどが出版され、彼の業績はその生前よりも死後において高く評価されている。

三木が強く影響をうけたのはゲーテだった。ゲーテは文学者として名高いだけでなく、実は形態学の始祖と呼ばれる人で、三木によれば「ゲーテは人間独自の“すがた・かたち”を人間の原形と呼び、この原形の解明にその生涯を賭した」と述べている。

三木は、ゲーテの形態学を受け継いだヘッケルの反復説(個体発生は系統発生をくり返す)にも共鳴し、個体発生と系統発生の関係を究明し、その両者の比較から、「脾臓の発生と骨髄造血の進化を、生体力学対応による造血臓器の変遷、すなわち海からの上陸による重力対応としてみごとに検証した」(西原克成『顔の科学』より)。

三木はまた、感覚-運動をつかさどる器官は動物器官(体壁系=外皮・神経・筋肉)であり、一方、栄養-生殖をつかさどる器官は植物器官(内臓系=腸管・血管・腎管)だが、植物器官(内臓系)こそが生物本来の営みであり、感覚-運動に携わる器官系は、「栄養-生殖」という生物本来の機能を営むために開発されたものにすぎないといっている。

さらに三木は植物と動物の違いについて触れ、植物の体が“積み重ね”によって造られるのに対し、動物の体は“はめ込み”によってできると述べ、外へ開いた体を持つ植物は自然に宇宙リズムに共振する「遠」の観得の性能を持つが、それは本来、動物にも備わっているものである。
しかし、内に閉じこもる体制の動物は「近」の感覚を持ち、それは人間では「精神」による「自我」の意志作用となり、「肉体」を支配する。
この「精神」の束縛から逃れるためには、植物のもつ「遠」と交流する「心情」を取り戻すことが必要である、というようなことをいっている。(後藤仁敏「三木成夫の生涯と業績」)より。

こうなるともう哲学的ですらある。

ものごとの本質を把握しようとしたら、その由来を訪ねればよい、といったのはゲーテだという。
人間の原形としてのカタチの研究はこれからもっと必要になってくるのではないだろうか。