善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

読んで損した本

本にもいろいろあって、読んでよかったと思う本、それほどでもなかったなと思う本、途中で投げ出した本、最初から読む気のしない本、といろいろだが、一番くやしいのは、読んで損したと思う本だろう。時間を浪費した無念さだけが残るからだ。

最近は危ない本は最初から忌避するからそんなことは少なくなったが、やっぱりやってしまった。
プラハに興味を持って手に取ったのが『プラハを歩く』(岩波新書)。著者は建築史が専門で京都精華大学教授の田中充子さんという人。こういうところであんまり人の悪口はいいたくないが、とにかくひどい本だった。

何といっても許せないのは、建築史が専門といいながら歴史の勉強をおろそかにしていること。

たとえば、「逃げ城」が封建制をつくった、という記述がある。筆者によれば「逃げ城」とはいざというとき農民をかくまうための城で、プラハ城がそれだというのだ。おお、何とプラハの王さまは慈悲深いお方か、と思ってしまう。
領主たちが農民をかくまう「逃げ城」をつくったおかげで、農民は保護され、それが王朝を成長させ封建制をつくった、というのだが、乱暴な理屈だ。
いざ戦いというとき、農民など領民を城に引き入れるというのはどこにでもある話で、日本の戦国時代でも例は多い。それは農民を守るためではなく、農民はあくまで駒にすぎない。農民を守るためでなく、領主を守るために、いくさに駆り立てられたにほかならない。だから戦国時代の農民はかなりの数が武装していて、豊臣秀吉は天下を平定すると刀狩りをして農民から武器を奪った。

ほかにも、「日本の江戸時代には幾何学が発達しなかった」と結論づける。
たしかに江戸時代は鎖国によって海外との交渉が断たれ、独自の文化を生み出すしかなかったけれども、それなりに海外との交流もあり、数学の分野ではかなり高度な幾何学が発達していた。

その証拠の1つが「算額」だ。これは、神社仏閣の軒下に美しく彩色を施して幾何の問題を記して奉納したもので、奉納したのは当時の知識階級である武士だけでなく、商人や農民などあらゆる階層の人々にわたっていたという。現在確認されているだけで日本全国で880枚以上の算額が見つかっていて、そのレベルは西欧の数学より何年も早く高度な定理を扱っていたものも少なくないといわれている。

足で歩いて完成させた伊能忠敬の日本地図も、幾何学の知識なしには完成し得なかっただろう。

それに、各地に築かれた城の石垣は、石の建築文化そのもので、さまざまな幾何学模様が美しい。

もっとオソマツなのはよほど社会主義がキライらしく、ソ連の独裁者、スターリンは天をめざす超高層ビルを建てたが、それはヒトラームッソリーニへの対抗意識からで、その結果、「スターリン・ゴシック、あるいは社会主義リアリズム建築は生まれたのである」と単純に描いている。
社会主義リアリズム」って独裁者の発想なの?

この田中さんという人によると、もっともソ連にはスターリンが独裁体制を固める前にはいろんな近代建築が生まれていた。それというのも「西欧的な教養を身につけたレーニン」が生きていたからだという。そのレーニンが死んでスターリンの独裁がはじまってからおかしくなったというのだ。

田中さんという人によると、「西欧的な教養」を身につけているかどかうかでその人間の価値が決まるようで、それなら日本人は、少なくとも私なんかはいったいどうなるのだろうか?