善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

プラハ・ウィーンある記 5

プラハで気になったことをいくつか。

1つは赤い屋根のこと。プラハに限らずヨーロッパの民家の屋根はどれも赤い。これは赤い屋根瓦を使っているためだが、イタリアに行ったとき、どこかの市では法律で赤い屋根じゃないといけないと決まってるところもあるそうだが、プラハの屋根の赤さも際立っている。
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赤い理由がようやくわかった。
そもそも家の壁にしても屋根にしても、土を素材にしているのならその土地の土の色が建物に反映されるはずである。
以前、モロッコに行ったとき、街ごとに壁の色が違っていて、それは土地土地の土の色がみんな違っているから壁の色にも違っていたのだった。

では赤い屋根はどうしてか?
実は土の色は関係なくて、屋根瓦の「焼き方」に違いがあるのだそうだ。

日本にも赤い屋根の町があって、それは沖縄である。赤瓦は沖縄の伝統的な瓦であり、首里城や古い民家などはみんな屋根が赤い。

瓦、だけでなく焼き物には酸化焼成還元焼成とがある。酸化・還元の原理はよくわからないのでブッ飛ばすが、要するに還元焼成だとしっかり焼きしまって硬い瓦ができ、カチンカチンで吸水率も小さい。日本でよくみかける黒い瓦がこの還元焼成による焼き方だ。

一方、酸化焼成では素焼きの状態になって、こちらは吸水率が大きい。
土中にはわずかながら酸化鉄が含まれていて、酸化焼成で焼くと赤いベンガラとして残る。それで赤い瓦ができあがる。つまり、黒い瓦と比べて使う土に変わりがあるからでなく、焼き方が違うからにほかならない。
そして、この酸化焼成の焼き方の方が、還元焼成に比べて工程が簡単でコストが少なくてすむのだという。

人口が増えて家が次々と建てられるようになれば、瓦の需要も増す。すると燃料の薪の需要も高まって次々と樹木を伐採することになる。黒い瓦に比べ、赤い瓦なら燃料の薪が少なくて済むから、雨を吸収しやすくなるなど質としては劣るけれども、低コストで環境保護にもつながる?のが赤瓦というわけなのである。

もう1つ、日本とプラハ(だけでなくウィーンも含めて)ではずいぶん違うなと感じたのが交通機関の切符の買い方、使い方。

日本では電車やバスに乗るとき、どこからどこまでと行き先で料金が決まる。乗るときも、ちゃんと改札口には駅員がいてチェックを受ける。
ところがプラハなどヨーロッパでは違う。

切符は目的地、つまり距離で値段が決まるのではなく時間制なのだ。プラハもウィーンも同じだが、鉄道の切符も地下鉄もバスもトラムと呼ばれる路面電車も同じ1枚の切符で乗り降りでき、しかも30分以内でいくら、90分でいくらと時間で値段が決まる。たとえば3つ先の駅に降りるなら30分以内で行けるというので、自動販売機で30分券を買う。
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プラハでは24コルナだったから日本円にして100円ほど。入口で切符に時刻を刻印すればあとはフリーパス。乗り換えるときも切符を見せる必要がなく(そもそも駅には改札口がなく、時刻の刻印機があるだけ)、勝手に降りてそれでおしまい。
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いわば自己申告制。それだけ市民の自主・自律が確立している証拠ともいえる。
それは「自己責任」とかいう乗せる側(会社)の理屈で説明されるようなものではない。主人公はあくまで乗る側(乗客)なのであり、乗客の「乗る権利」を認めたことが、自己申告制を実現させているととらえるべきだろう。

ウィーンでは3日間滞在なので72時間券を買ったが、1度時刻を刻印しただけであとは地下鉄もトラムもフリーパスだった。料金は13・6ユーロだったから日本円で千数百円ほど。1日500円前後。円高が進めばさらに安くなる。

自己申告制でフリーパスなら不正も横行しているはずだが、そんな様子は感じられなかった。ときどき切符をチェックする係員が回っていて、われわれもプラハで1度だけ遭遇したが、もし不正が見つかると相当の罰金をとられるらしい。

列車の乗り方もかなり自主性が問われる形で、駅についても乗るべき電車が何番線から出発するか直前までわからない。
大きな電光掲示板があってそこに列車の出発案内が表示されるが、15分ぐらい前になってようやく何番線から発車と表示される。ここでも改札はないから、直接ホームまで行って電車に乗り込む。自分でしっかり判断しないと電車に乗れないことになる。
まあこのほうが効率的で合理的だとはいえる。

プラハでもウィーンでも、犬を連れた乗客をよく見た。カゴかなんかに入れるのではなく、大型犬を引き連れて普通に道路を歩いている感じで乗ってくる(ただし口輪はつけることになってるらしい)。街中でも犬の散歩をよくみかけた。猫の姿はあまり見なかったが。
プラハではめったに見なかったがウィーンでは自転車利用も多い。街の中でもけっこう自転車が走っているが、そのまま電車にも乗ってくる(プラハは石畳で坂が多いから、自転車は利用しずらいのか)。
日本では電車やバスというと、靴を脱いで家に上がるのと同様、「切符を拝見」という儀式をへて、ようやく乗り込むことになるが、ヨーロッパの人は、電車やバスはただの道路の延長と考えているのだろうか。
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ちなみにエスカレーターに乗ると片側をあける風習はプラハもウィーンも同じで、みんな右側に立っていた。それに駅によってエスカレーターの速さが違う。ものすごく速いエスカレーターがあって、多少の“勇気”が必要になるほどだった。

気候的にはわれわれが行った時期は絶好の日和が続いていて、雨は結局一滴も降らなかった。朝は多少冷え込むが、昼は暑いくらい。若い女性はタンクトップが目立ち、だったら真夏のころはどんな格好をしてたんだろうと心配になるほど。夜も寒くないので、夜の散歩も快適。治安もよかった(場所によるんだろうが)。

それに夜の街が明るい。といっても煌々とした明るさではなく、あったかい温もりのあるランプの下を歩く感じ。プラハを歩くなら昼より夜がいい、といった人がいたが、その通りだと思った。
東京に帰って来て、自宅周辺の暗いこと。節電の影響かもしれないが、街の暗さは人の心も暗くする。