善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

プラハ・ウィーンある記 4

プラハ・ウィーンある記の4日目(9月26日)は午前中、ユダヤ人街を歩く。

キリスト教徒からの迫害を受け、放浪の民となったユダヤ人。しかし、自分の国を持たず、放浪を繰り返しながらも民族のアイデンティティーを持ち続けたのがユダヤ人であった。
その名残がこの街にある。
写真はヨーロッパ最古のシナゴーグユダヤ教会)旧新シナゴーグ。13世紀に建てられ、16世紀に新しい教会が建て増しされたので、以前の建物とあわせてこう呼ばれる。
ギザギザの飾り屋根の形は燃える炎のようにも見える。
イメージ 1

中世から近代にかけて、ヨーロッパ各地の都市にユダヤ人の強制居住区域であるゲットーが設けられたが、プラハには中世最大のユダヤ人ゲットーがあった。

その歴史は10世紀にさかのぼる。当時のプラハは比較的ユダヤ人に対して寛容だったようで、ヨーロッパの各地からプラハをめざしてやってきた人々でゲットーは大規模化した。
しかし、あまりにも人が群れあふれ不衛生となったため、19世紀半ば、時の皇帝ヨゼフ2世はゲットーの解体を決め、プラハ市の一地区として組み込む改革が行われた。

それでも人の流入はやまず、スラム化していったため、19世紀末から20世紀初頭にかけて再開発が行われた。その一方で「古い街並みを残そう」という運動が起こり、6つのシナゴーグや集会所、ユダヤ人墓地などが現存している。

いくつかのシナゴーグを見て回り、最後に入ったのがピンカスシナゴーグ。建物内部の壁一面には、ナチスにより殺害されたユダヤ人およそ8万人の名前、生年月日、死亡年月日、死亡場所がびっしり書かれている。
鎮魂とともに、悲しみ、怒りが文字の1つ1つに込められていて、胸に迫る。

その後、地下鉄で新市街へ。モルダウ川のそばにたつダンシングビル。
イメージ 2

正式名称は「ナショナル・ネーデルランデン・ビル」。1992年~1996年に保険会社のオフィスとして建てられたポストモダンの建物。
体をくねらせて踊っているように見えることからこうに呼ばれているが、1930年代のミュージカル映画のスター、ジンジャー・ロジャースフレッド・アステアのコンビにちなんで「ジンジャー&フレッドビル」とも呼ばれる。
ビルにダンスをさせるなんて、何てステキな発想。

昼食はカモとジビエの店「U・Modre・Kachnicky2(ウ・モドレー・カフニチュキ2)」。本店は小泉首相も訪れたこともあるという高級店だが、こちらは支店で、カジュアルな服装でもオッケー。カモのグリル、ジャガイモのスープ、サラダ、それにピルスナービールに赤ワイン。

このときちょっと迷ったのがローストにするかグリルにするか。以前、肉を頼んだとき、焼いてもらったはずなのに、ソースがかかっていたためもあったのか煮込んだみたいなのが出てきた。ホントはコゲめのついたぐらいのを食べたかったのだが・・・。あのとき頼んだのはローストだったかグリルだったか。

そもそもローストというのは遠火でじっくり火を通すことをいうらしい。多くはオーブンで焼くが、蒸し焼きの状態になるので、外はカリッ、中はジューシーとなる。
ローストビーフ、ローストチキン、ローストハムなどがその代表だろう。

一方、グリルはもともと「焼き網」という意味だそうで、バーベキューのように網にのせて直火で焼くのがグリル。オーブンでも強火の近火で焼くので、香ばしい焦げ目がうまみともなる。炭火焼きとかヤキトリなんというのもグリルのことだろう。ま、炭火で焼いても遠火で焼けばローストになってこれはこれでおいしい。

大いに満足したところで、歩いてヴァーツラフ広場へ。広場というより大通りという感じで、パリのシャンゼリゼみたいな雰囲気(ってパリに行ったことないのだが)。
写真は国立博物館前から見たヴァーツラフ広場。
イメージ 3

プラハにやってきた1つの理由はこの広場を歩くことだった。

1968年の「プラハの春」の際、侵攻してきたソ連軍の戦車が乗り入れたのがこの広場であり、抗議の群衆がまわりを埋めつくした。非暴力の抵抗の模様を克明に撮影した写真家、ジョセフ・クーデルカの写真展を今年6月に見て感動を覚えた。
この写真展を見て以来、チェコという国の国民性にも関心を抱いた。

チェコは、他国の支配や干渉を受けながらもじっと耐えてきた国だ。第2次大戦後、社会主義国になったときも、多くの国が暴力革命の果てに新しい政治体制になったのに、チェコ(当時はチェコスロバキア)は平和裡の選挙によって社会主義を選択している。

プラハの春」も「人間の顔をした社会主義」の道を歩むことであり、もしあのときソ連の武力侵攻を許さず、ドプチェクの理想が実現していたら、社会主義は新しい世界を築いていたに違いない。このときのチェコの指導部は結局、ソ連に屈してしまったが・・・。

それから20年後の1989年、民主化を求める100万人の市民が埋めつくしたのもこのヴァーツラフ広場であり、「ビロード革命」といわれる無血革命によって今の政治体制となった。チェコスロバキアが分離するときもスムーズだったみたいだ。
武力で何とかしようというのではなく、民衆の力を信じるのがチェコという国であり、どこからそんな国民性が生まれたのか、今も興味が尽きない。

どこか根っこのところに、やさしさ、寛容さがあるのではないかと思う。

夜は国立マリオネット劇場で、あやつり人形によるモーツアルトの「ドン・ジョバンニ」。初演以来、毎日こればっかり上演しているそうで、観客を飽きさせないよう工夫も加えられていて、それなりにおもしろかった。先着順の自由席なので早めにいって一番前の席を確保したが、団体の客もいて開演時には満員となった。

観劇のあとは帰り道をそぞろ歩きしているうちに見つけたビアホール「U Vejvodu(ウ・ヴェイヴォドゥー)」でイッパイ。もちろんピルスナービール。しかも何とこの店のビールがバカ安。0・5ℓで32・9クローネ、0・3ℓで19・9クローネ。日本円にして100円にもならない。
これだったら世界一のビール消費国になるのも当然か。