善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

プラハ・ウィーンある記 6

プラハ・ウィーン旅行の5日目(9月27日)はプラハを離れてオーストリアのウィーンに向かう途中、チェコの南にあるチェスキー・クルムロフへ。

ところがここでとんでもな事態が発生。プラハに着いた翌日、プラハ中央駅近くのバスターミナルでチェスキー・クルムロフまでのバスの切符を購入し、乗り場もそのバスターミナルだろうと出発の30分前に行ったら、電光掲示板には該当する便がまるで出てこない。不審に思ってインフォメーションで聞くと、乗り場はここじゃない、地下鉄で何駅か先のところが乗り場で、今からでは電車では間に合わないからタクシーで行けという。
あわててタクシーに乗るが、ちょうど9時前で道路は渋滞。ようやくバスの乗り場に着いたと思ったら出発時刻をすぎていて、もはやバスはいない。

さあどうしょう。もう1度切符を買い直すとしても次の便はいつなのか、きょう中に着けるか逡巡しているとタクシーの運転手がいう。
「200ユーロ出すんならチェスキー・クルムロフまで行くんだけど」
「ユーロはないがドルならある」というと、
「じゃあ300ドルで…」
わが渉外兼財務係の即決でゴー!となり、タクシー貸し切りの何とも贅沢な旅。
普段はケチッても大事なときは豪気なのである。
おかげでバスより早く午前11時ごろチェスキー・クルムロフに到着。宿泊予定のホテルに荷物を預け、たっぷり時間をかけて街をめぐることができた。

ヴルダヴァ(モルダウ)川がS字を描いて流れているところにあるのがチェスキー・クルムロフ。「クルムロフ」とはドイツ語のねじれた形の川辺の草地の意味で、「チェコの」を意味する「チェスキー」が加えられて町の名前になったという。
カメラを向けるとシャッターを押すだけですばらしい写真がとれる。まさに絵になる町。
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13世紀ごろから町が形成され、城が築かれたが、領主が貧乏だったか没落したかしてその後栄えることがなく、それがかえって古い街並みを残す結果となった。500年前の街並みが完璧な状態で残り、歩いているとプラハの街以上に、中世の時代にタイムスリップしたかのようになる。
見た目はまったく違うが、どこか中国の麗江と似てる。
1992年にユネスコ世界遺産に登録され、“世界一美しい町”とも呼ばれる。

城の見学ツアーに加わったが、とにかく早く始まるやつと選んだのがチェコ語だったのでチンプンカンプン。ガイドさんはわれわれを一目見て英語の案内パンフを差し出してくれたが、英語もわからない当方にとってはどっちもおんなじ。

びっくりしたのは遠くから見ると美しかった城壁が、実は絵に描いてあるものだったこと。レンガが積まれたように見えるのも、やっぱりだまし絵。城の最上階に仮面舞踏会の部屋があったが、ここでも枯れ木も山のにぎわいとばかりに、仮面をかぶった紳士淑女の絵が壁面いっぱいにところ狭しと描かれてある(しかも漫画チック)。
昔の領主は、相当金がなくて絵ですまそうとしたのかもしれない。あるいはしゃれ心の持ち主だったのだろうか。

注目は、かつてビール醸造所だったという建物にあるエゴン・シーレのアートセンター。シーレはウィーン生まれだが、母親がチェスキー・クルムロフ生まれで、美術学校を退学したあと、母の故郷であるクルムロフに一時住んでいた。

シーレは人物画だけでなく風景画も描いていて傑作が多いが、その源泉はチェスキー・クルムロフにあったかもしれない。しかし、シーレがエロチックな女性の裸を描くものだから町の人々の反感を買い、結局、町を出て行く。
そしてシーレはまだわずか28歳のときに、スペイン風邪にかかって死んでしまう。

追い出したたたりなのか、エゴン・シーレの名を冠しながらこのアートセンターにはシーレが描いた作品はほとんどなく、複製ばかり。
それでもデスマスクや、写真、ビデオでシーレの足跡がよくわかって勉強になった。

シーレ以外にも現代アート作家の作品が展示されていて、その中に目を引くものがあった。クリップを並べてカテドラルを表現したものや、ホーローの鉄の板を溶接してブルッと震えている女性を描いた作品(題名は「インザバスルーム」)。作者は女性のアーチストだった。

夕方5時ごろホテルにチェックイン。町の真ん中にある「ホテルルージェ」というところで、部屋はデラックスルーム。今回の旅で一番贅沢した宿。
もともとイエズス会の学校だった建物を利用したホテルで、従業員はすべて中世のコスチュームを身につけていた。
部屋は広々として寝るだけではもったいない感じ。なんとトイレまで肘掛け付きで、王さま気分で用が足せる?

夕方の街歩きもなかなか雰囲気がある。
日もとっぷり暮れて川沿いのレストランでせせらぎの音を聴きながら優雅に食事。と思ったら、より川に近いテラスに席をとったのはいいがローソク1つの灯でだんだん暗くなってきて、やがてまるで見えなくなる。闇鍋状態になって、スモークミートとチェコ国民食クネドリーキ(小麦粉を練ってバケット状にしたもの)を食べたのだが、あまり印象がない。
やっぱり食べるというのは味覚だけでなく視覚も大切な要素なんだなと実感した次第。