国立新美術館(東京・六本木)で開催中の「ミュシャ展」(6月5日まで)を観る。

月曜日の午前中に行ったが、降りしきる雨の中、チケット売り場は長蛇の列。
同じ建物で草間弥生展も開かれているから、きっとそっちが人気なのだろうと会場に入ると、ミュシャ展もスゴイ人出。
オバサン、オジサンに混じって若い人も目立つ。なぜかそれがうれしい。

月曜日の午前中に行ったが、降りしきる雨の中、チケット売り場は長蛇の列。
同じ建物で草間弥生展も開かれているから、きっとそっちが人気なのだろうと会場に入ると、ミュシャ展もスゴイ人出。
オバサン、オジサンに混じって若い人も目立つ。なぜかそれがうれしい。
ミュシャは以前から名前は知っていたが、アール・ヌーヴォーのポスター描きというイメージしかなく、あまり興味は抱いていなかった。
ところが、実はポスター描きは志を実現させるための借りの姿で、晩年に心血を注いだ「スラヴ叙事詩」という大作があることを知り、たちまちファンになってしまった。
ところが、実はポスター描きは志を実現させるための借りの姿で、晩年に心血を注いだ「スラヴ叙事詩」という大作があることを知り、たちまちファンになってしまった。
アルフォンス・ミュシャ(1860年~1939年)は、オーストリア=ハンガリー帝国領モラヴィア(現チェコ)に生まれ、ウィーンやミュンヘンを経て、27歳でパリに渡り、絵を学ぶ。
やがて画家となったミュシャは糊口をしのぐためポスター作家となる。
しかし、彼には描きたいものがあった。
美しい女性像や流麗な植物文様など、華やかで洗練されたポスターや装飾パネルを手がけた彼は、50歳のとき故郷に帰り、その後の約16年間、渾身の作品「スラヴ叙事詩」(1912-1926年)に挑む。
それは、故郷チェコや自身のルーツであるスラヴ民族のアイデンティティをテーマにした作品だった。
スメタナの組曲『わが祖国』を聴き、構想を抱いたともいわれている。
やがて画家となったミュシャは糊口をしのぐためポスター作家となる。
しかし、彼には描きたいものがあった。
美しい女性像や流麗な植物文様など、華やかで洗練されたポスターや装飾パネルを手がけた彼は、50歳のとき故郷に帰り、その後の約16年間、渾身の作品「スラヴ叙事詩」(1912-1926年)に挑む。
それは、故郷チェコや自身のルーツであるスラヴ民族のアイデンティティをテーマにした作品だった。
スメタナの組曲『わが祖国』を聴き、構想を抱いたともいわれている。
なにしろドデカイ作品の数々。
およそ縦6メートル、横8メートルにも及ぶ巨大なカンヴァスに描かれた20点のテンペラ+油彩画である。
古代から近代に至るスラヴ民族の苦難と栄光の歴史を映し出す壮大なスペクタクルがそこに描かれている。
およそ縦6メートル、横8メートルにも及ぶ巨大なカンヴァスに描かれた20点のテンペラ+油彩画である。
古代から近代に至るスラヴ民族の苦難と栄光の歴史を映し出す壮大なスペクタクルがそこに描かれている。
そもそもこんな絵があるなんて知らなかった。
それもそのはずで、チェコ国外で公開されるのは世界で初めてだし、チェコの国内でも、1960年代以降、モラヴィアのモラフスキー・クルムロフ城で夏期のみ公開されてはいたものの、ほとんど人の目に触れることはなかったという。
2012年5月になって、ようやくプラハ国立美術館ヴェレトゥルジュニー宮殿(見本市宮殿)にて全作品が公開されたという。
それもそのはずで、チェコ国外で公開されるのは世界で初めてだし、チェコの国内でも、1960年代以降、モラヴィアのモラフスキー・クルムロフ城で夏期のみ公開されてはいたものの、ほとんど人の目に触れることはなかったという。
2012年5月になって、ようやくプラハ国立美術館ヴェレトゥルジュニー宮殿(見本市宮殿)にて全作品が公開されたという。
なぜか絵の左下あたりに、ジッとこちらを凝視する人物が描かれていて、何か訴えかかけているようで、近づいてこっちからも凝視してしまう。
20点全編を通じて感じるのは、テーマは王さまや偉人のエピソードでも、絵の主人公になっているのは民衆だということだ。
戦いの様子も描かれているが、そこでも主役は屍だ。
ミュシャの視点がどこにあったかが分かる。
戦いの様子も描かれているが、そこでも主役は屍だ。
ミュシャの視点がどこにあったかが分かる。